第九話 動き出す時間
(各務様、大丈夫かな……?)
“しばらく両親の仕事場にいる”と言ったきり、おそらく一時間は経つはずなのに全く出てくる気配がない。
(行っちゃダメとは言われてないよね。お茶持っていこう)
お盆を抱え、引き戸をノックする。
「各務様、お茶をお持ちしました」
しかし、中から返事はない。
「各務、様……?」
***
戸を隔てた向こうでは、各務が約三年ぶりの作業に没頭していた。
久しぶりの感触にもかかわらず、手はその感覚を忘れてはいなかった。
桶の水を少し垂らし、力強く練り始める。
頭の中にはしっかりとした完成図が描かれていた。
(まさか、再び触れるなんてな……)
そう思いながら、少しずつ想像を形にしていく。
その時、戸がガラッと開く。
そこにはお盆を持った湯呑が立っていた。
「各務、様……?」
戸惑いながらも、その目線は自分が捏ねている壺に注がれている。
――それも無理はない。
「す、すみません!」
そう言って頭を下げた湯呑が、なぜか出て行こうとする。
「お茶を持って来てくれたのだろう。ちょうど喉が渇いていた」
その背中を引き留める。
一瞬躊躇いながらも、湯呑が部屋に入ってくる。
相変わらず視線は壺に釘付けだ。
「……それは……?」
「……湯呑が言っていた“オーブン”を作ろうと思ってな」
「え……」
「まだ上手くいくかは分からない。だが、窯を使えば――」
先程三年ぶりに手入れを終えた窯に視線を向ける。
何かを尋ねようとしたのか、湯呑の唇が開く。
が、すぐにそれは閉ざされた。
「……お茶、熱いの持ってきてしまったので、冷たいのを取ってきますね」
そう言われて、汗が流れていることに気付く。
「いや、構わない。それより湯呑……この後、温泉に行かないか?」
「え?」
「ここにきて一度も行っていないだろう。統央を出れば問題ない」
「でも、各務様お仕事は……?」
「今日は夜番だ。もう少し作業に時間がかかるから、その後になるが構わないか?」
「はい!」
***
湯呑が部屋を出て行くと、再び静けさが戻った。
温かいお茶が身体に染みわたる。
(驚かれるのも当然か……)
あの時、湯呑が何を尋ねようとしたのかは、想像に難くない。
(……だが、今はとりあえず作業が優先だ)
一つめの壺を作り終えると、今度はそれよりも一回り小さい壺作りに取りかかる。
再び額に汗が滲む。
その眼差しには、かつての自分と同じ光が宿っていた。
(……よし!)
出来上がった二つの壺を重ねて、大きさを確かめる。
(今日のうちに乾燥させて、明日焼くか……)
汚れた手を洗い、汗を拭うと、各務は湯呑が待つ家の方へ向かった。
***
湯呑は庭にしゃがみ、鶏を見つめていた。
(そういや、“コッコ”と呼んでいたな。早速名前を付けるとは……)
「湯呑」
その背中に声をかけると、立ち上がって振り向く。
「……各務様!」
「待たせた。今から出られるか?」
「はい!」
その表情から楽しみにしているのが読み取れる。
共同浴場に行けないがゆえに不自由な思いをさせてきた。
「統央を出るまで、また頭巾を」
「はい」
自分にとっても久しぶりの統央外だ。
かつて何度か通った温泉に向け、馬を走らせる。
「湯呑」
「はい」
「さっき、あの時……何か言いかけただろう」
「!」
前に座る湯呑が身動ぎをする。
「……私はいずれ、両親の跡を継ぐつもりだった」
「じゃあ各務様は……」
「治安司になったのは三年前だ。それまでは、両親と共に陶器を作っていた。まだ駆け出しだったが」
「!」
顔は見えないが、明らかに驚いているのが分かる。
「もう触ることもないと思っていたが、まさかな……」
「それって、私のせいで――」
「そうではない。湯呑のおかげで……楽しめた」
「!」
「上手くいけば、明日には“各務式オーブン”の完成だ」
“各務式オーブン”の言葉に、湯呑が無邪気に笑いだす。
が、ひとしきり笑った後、急に真剣な声色に戻る。
「各務様、本当にありがとうございます!」
「……」
「……今日だけじゃなくて、ここに来た日からずっと」
「そんなことは――」
湯呑が首を横に振る。
「不審者でしかない私を家に匿ってくれて、各務様の実家に住まわせてくれて、色々用意してくれて、コッコ……じゃなくて鶏も連れてきてくれて、その上オーブンまで……」
その時、前方に白い湯気が立ち上るのが見えた。
木々の合間、その奥からは屋根が僅かに覗く。
「……見えてきた、あれだ」
近づくにつれて、硫黄の匂いと湯気が風に乗って流れてくる。
さらにしばらく馬を走らせると、その輪郭がはっきりと浮かび上がる。
やがて湯宿の前で馬を止め、二人はその静けさの中に降り立った。
「素敵ですね」
「ああ。ここは湯も良いし、落ち着く場所だ」
山あいの静かな場所に佇む小さな湯宿。
そこは知る人ぞ知る穴場だった。
***
入口の戸をくぐると、ふわりと温かい空気が身体を包み込む。
「いらっしゃいませ」
年配の女将が笑顔で出迎えてくれる。
「二人だ。日帰りで温泉と食事を頼む」
「かしこまりました。この廊下を右に進んで突き当たりが男湯、角を曲がった先に女湯がございます。貸切の混浴風呂もございますが、いかがされますか?」
その言葉に、思わず吹き出しそうになる。
隣の各務様は、相変わらずクールなままだ。
「部屋の鍵はこちらになります。ごゆっくりどうぞ」
木の札を受け取る。
(この時代にもこんな場所があるんだ……)
辺りをキョロキョロと見回す。
「湯呑、行くぞ」
「あ、はい」
タオル代わりの布を渡され、温泉に向かって歩き出す。
「上がったら部屋で待っている。だから気にせずゆっくりしてこい」
「はい!」
(やっぱ優しい。それに何か……ちょっとデートみたい)
各務様と男湯の暖簾前で別れた後、さらに廊下を進んで角を曲がった先の女湯に向かう。
久しぶりのお風呂に、思わず足取りが軽くなる。
扉を開けると、ふわりと白い湯気が立ち込めていた。
誰もいない。
(貸し切りだ!)
手早く着物を脱ぎ、湯気の向こうへ足を踏み入れる。
大きな湯舟から、絶えず溢れる湯。
身体を洗った後、早速湯に浸かる。
「あぁ……」
思わず声が出てしまう。
肩まで湯に沈むと、ここに来てからの疲れがじんわりとほどけていくようだった。
(いいところだな……)
贅沢な時間だ。
各務様が“ここは湯も良いし、落ち着く場所だ”と言っていたのも納得だ。
静かな湯気が、ゆっくりと天井へ溶けていった。
◎2026年4月第2週目以降は、水曜・日曜を目安に投稿してまいります◎
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