01. どんぶらこ! 航海譚が始まる
「いったい、なにが、どうなってんじゃあーッッッ」
果てしなく続くかと思われる、海原の彼方から。
どんぶらこ。どんぶらこ。どんぶりこ~!
近づいてくる、小さな小さな黒い影があった。
「どうして、海が緑色なんだぁぁぁーあ!? 野ッ原と、見分けもけじめもつかねぇだろぉがぁーッッ」
どんぶらこ。どんぶりこ。
けたたましいわめき声の方が、先にこちらに到着している。
どうも発生源は、その波の合間に浮かぶ黒い影のようなのだが……??
「ぎぃーっっ。空が崩れて海が割れて、柱みてぇに火の噴く間を、ようーやく通り抜けたってのに。他の皆はどこなんだ、あああー!? ブレンダン修道院長ぉぉ、兄さんたちぃーっっっ」
ぎんぎんにきれながら進んでくるのは、冗談みたいにちっぽけな、黒い舟にのった少年である。どんぶりこー!
大人ふたりも乗り込めば、満員大入りになりそうな舟だ。しなやかな柳枝に、小さく帆が張ってある。
ぼろっちい帆はまるまると膨らみ、風をいっぱいにたたえ、けっこうな速さで小舟を進ませていた。緑色の空と、緑色の海の間を……どんぶらこー!
「誰も、いねえーッッッ。なんで、俺ひとりなんじゃ! こらぁああ」
もしゃつく黒い巻き毛をなびかせ、そばかす満載の丸顔を引きつらせながら、でっかい少年はなおもいきり立って叫んでいた。
長い手足をふんばって舟の内側に貼りつき、手には櫂も握っている。
一人っきりで航海なんてしたこともなければ、舟の扱い方もほぼ全然わからない。しかし今、櫂を使う必要がないと言うことを少年は悟っていた。
少なくとも、自分がこの風によって導かれていること。眼前に浮かび見えてきた、黒っぽい陸地にむかって運ばれていることを、知っていたからだ。
「ざっけんじゃ、ねぇぞおおお!!」
なのでとりあえず、自分の運命に対してけんかを吹っかけている。
まったく未知の大海原で、同行の一団とはぐれてしまい一人ぼっち。
ポトリーグには他にするべきことも見当たらないのだから、いたしかたない。
「ってえええ、この陸地!! 巌じゃねえかぁっ!? こういうのって、接岸していいのかぁっっ」
いや、たぶんできない……!
ようやく目の前に祝ぐべき陸が広がってきたあたりで、ポトリーグはまたしても絶叫した。
砂浜だったら、そのまんま舟で乗り上げても大丈夫、ということは知っている。
しかしここのように、じぐざぐ・ぎざぎざの黒っぽい磯がそそり立つ岸にぶつかった場合、彼の小舟は無事でいられるのか!? おそらく……やぶれるッ! 何と言っても、牛の皮で出来た舟なのだ。いくら三枚重ねと言えど、裂けてしまうかもしれない!
「あんちきしょうッ。どうしたらいいんだッ」
羊毛織りの修道衣を着ているくせに、ポトリーグはこの時祈ると言う考えを、これっぽっちも脳内に持たなかった。人生、神だのみをするべき瞬間と言うのはいくつかあって、彼にとっては今がまさに絶好の機会であったのだが。
「はッ! そうだっ、舳先で櫂をかまえといてっ。ずどんとくる正面衝突を、避けりゃいいんでないのかぁっ!?」
いや、その前に帆を下ろさないか!?
「よっしゃあああ、来いやーッッ! 陸!!」
ポトリーグはちっぽけ小舟の舳先にふんばり、白樫の櫂をかまえた。来るぞ接岸……。
もわ~~ん。
しかしポトリーグが予想していた衝撃は、伝わってこない。代わりに、なめらかやわらか、もっさりした感触をもって、舟はゆっくり岩のはじにくっついた。
「……あれっ?」
何だか、波が急に重く、優しくなったようだ。驚いてポトリーグは、水面下を見る。
「ぎょえっ!? 何じゃこりゃ、海がどろどろじゃんかッ」
そこは磯岩が組み入ったところだった。大量の海藻がもりもりと流れ寄せられて、鳥の巣みたいになっているのである。
ポトリーグの小さな舟は、ちょうどその中心に直球座礁をきめていた。すとらいく!
「うおっしゃあーっっ」
逃してたまるか、この幸運! ポトリーグは全力で跳び、突き出た岩にびたっと着地した。
ぐりぐりっ、舳先につながるもやい綱をすかさず引っぱって、軽い小舟を引き寄せる! 牛の皮で出来た舟は、少年一人の力でも陸揚げすることができるほどに軽い。
ずるり、引き上げた舟とともに、ポトリーグは足早にべたべたと岩盤の上を歩いてゆく……。乾いた部分に、たどりついた!
「やったああああー!! 陸だ、あんちくしょーう!!」
ひっくり返した小舟の横、べたーんとへたり込みながら、ポトリーグは喜びの声をあげる。
久し振りにゆるがぬ陸地の上に立てたことが、もうたまらなく嬉しかったのだ。
「ようし。まずは上陸を祝してッ……」
おお、今こそ祈りを捧げるのだろうか。
「まずはしょんべんをしようッ。でもってその後、食う物を探しに行くぞ! こらぁっ」
がくーん。
しかしポトリーグは晴ればれとした満面笑顔で、周囲を見渡した。
岸にはごつごつとした磯が続いているが、内陸側にはかすかに緑も見える。ここがどこなのか全然わからないが、とりあえず生きて上陸できたのだからどうでもいい!
上機嫌で安堵の用足しを済ますと、ポトリーグはいつもの歩きじたくをする。
しかし、黒い皮の小舟を背負いかけた時だ。
「……ん?」
岩場をほんの少し行った先に、何か妙なものがうごめいているような気がした。
「何だ、ありゃあ?」
黒っぽい巨大な毛玉が、もぞもぞ動いているようなのだ。
純粋な好奇心にかられたポトリーグは、小舟をそっと置いて、ぺたぺたと歩いて行った。革のぞうりを履いているので、歩行の際にそういう効果音が出るのである。
「……うげぇ!」
しかし実際に近寄ってみると、ポトリーグは顔をしかめた。
「気ッ色ーッッ。虫~?? じゃねえっ、蛇だぁ!」
少年は正直、ものすごく引いた。しかし気持ち悪いもの見たさ、猟奇な好奇心が勝ってしまって、どうしても目が離せない。
「蛇がどんだけ、群れてんだよおおっ!?」
※航海譚、と書いてイムラヴァと読みたいのですが……タイトルにはふりがなが入りません、無念。「鍋聖人ポトリーグの異界航海譚」です!
☘Happy St.Patrick's day 2026, Éire mo chroí☘




