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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
7/25

page.9

 まさか、日記を読まれたのだろうか。

 キッチンに行った一瞬の隙を狙い、暗い廊下をモグラのように進み、プライベートな空間に鼻先を突っこんだ。

 想像するだけで背筋が冷え、身震いを呼び起こす。

 読まれたとして、あれを読んだ拓也は継父としてどう思ったのだろうか。


 脳裏にヒキガエルのにやにや笑いが浮かび、その口が日記の内容をほのめかすような冗談を言う。


 悪寒は背筋だけに留まらず、二の腕にも広がった。


「きゃっ!?」


 陽菜は右の二の腕に軽く刺すような痛みを感じ、手で払った。

 想像ではない、現実でだ。

 かつんと音を立てて、何かが机に落ちた。

 エメラルドグリーンの宝石のような物体。それはもぞもぞと動き始め、翅を広げて飛翔し、天井のライトに繰り返しぶつかった。

 陽菜は悲鳴をあげた。虫だ。春風家にはゴキブリはもちろん、蚊の侵入ですら珍しいことだった。どこから入ったのだろうか。

 平時なら冷静に対処できたかもしれなかったが、盗み読みの疑惑で心を乱されていたところだ。陽菜には激しく衝突を繰り返す虫を排除する手段が思いつかず、窓を開けることすら思いつけなかった。


「どうした!?」


 どすどすと重い足音と共に、男の声が部屋に飛びこんでくる。

 陽菜の視界に肌色……上裸の拓也が現れた。

 肺が勝手に息を吸いこみ、大声量の悲鳴をあげようとしたが、すんでのところで自身の口を手で覆い留まった。


「カナブン? いや、縦筋が見えるからコガネムシかな? 森の宝石、だっけな」


 拓也が陽菜の前で背伸びをすると、熱気と共に汗のにおいが漂った。

 彼は容易く虫を捕獲すると、「おっとっと」とつま先立ちで歩いて部屋から出た。


「泥棒とかじゃなくてよかったよ。安心して、俺は陽菜ちゃんの味方だから」


 拓也は笑っていなかった。

 彼の手の中で、虫がぱきりと音を立てて握りつぶされる。

 上裸の男は扉を閉め、ふざけることもなく去っていった。


 陽菜は大きく息を吐き、床にへたり込んだ。

 

 助けてもらったものの、感謝の気持ちはひとかけらも湧かなかった。

 部屋の中心、ライトの下にはまだ上裸男の残滓が滞留しているように思える。

 去りぎわに放った「味方だから」というセリフも、日記を盗み見たからこそ出たのではないかと、疑念を深めた。


 這うようにしてドアまで行き、そっと廊下の様子をうかがう。

 やはり拓也は素直に下に戻っていったらしい。 

 風呂に入ろうとしていたところに陽菜の悲鳴を聞きつけて、駆けつけてくれたのだろう。

 礼のひとつでも言うべきだったかと、今更になって悪いことをしたと思う。

 しかし、得体の知れない不快感はいまだに胸と鼻にこびりついたままだ。


 ……?


 音がした気がする。恐らくは、玄関の扉が閉まる音だ。

 紗鳥が帰ってきたのかもしれない。

 陽菜は急に助け船を得たような気になって、下へと降りた。


「……おねえちゃん?」


 一階の廊下や玄関は闇だった。

 聞き間違いだったのだろうか。

 陽菜は忍び足で玄関に近づく。


 ……鍵が開いてる。


 帰宅時にちゃんと閉めたはずだ。

 それに、そろえておいたはずの靴やスリッパが乱れていた。

 紗鳥の靴はなく、拓也の靴はある。母が戻ってきたわけでもなさそうだ。

 いちど帰ってきた紗鳥が慌てて出て行った……のだろうか?

 雨はまだ降り続いているらしく、外から雨音がしとしとと聞こえてくる。


 なんにしろ、鍵を開けっぱなしは不用心だ。

 最近は強盗のニュースもよく聞く、コガネムシなどとはわけが違う。

 陽菜は鍵を掛けると靴をそろえ直し、自室へと戻った。



 十一時五十五分。優花からメッセージが来た。

 陽菜は呪いの儀式の道具一式を机に広げると、それを撮影し、返信する。

 向こうの都合で通話はナシになったが、陽菜としてもそちらのほうがよかった。

 コガネムシの騒ぎ以降、扉の向こうに継父がいて聞き耳を立てているという錯覚が拭い去れなかった。


 呪いの儀式はとても単純だ。

 深夜に誰も見られず、願いを念じながら「見立て」に針を刺すだけ。

「見立て」は、フェルトと綿でできた手作りの山田結愛人形だ。


 ふと、零時を回る寸前になって、「こういうのって丑三つ時、夜中の二時とかにするべきなんじゃないか」と思い至ったが、すでに眠気が枕と頭を結びたがっていたため、余計なことは言わなかった。


 深夜零時。


 待ち針のケースを開け、針をひとつ抜き出す。

 針の頭は、まっかな花型のデザインだ。

 呪いの対象を思い浮かべながら、針を刺す。


 これがどういった由来、発祥の儀式なのかは知らない。

 陽菜としては、針といえば糸車に仕掛けられた毒針を思い出す。

 指先から回る毒が百年の眠りにいざなう。

 悪い魔女の予言では死ぬはずが、よい魔女の助力で眠りに変わった。


「眠り姫」


 最初の一本は、適当に胸に刺した。やまだゆあのむね。


「二回刺したらどうなるの?」


 願いを込めて、次の一本を刺す。やまだゆあのあたま。


「三回目」


 やまだゆあのめだまのそばに突き立てた。

 これを突き刺された瞬間、当人も痛みを覚えたりなんかするのだろうか。

 呪いはしょせん迷信で、お遊びだ。


 いや、呪いとは願いの力なのだ。信じなければ効力を発揮することはない。


「わたしは魔女。だけど、いい魔女なの。悪い女を懲らしめる、正義の魔女」


 陽菜はくちもとを引き攣らせると、下腹部を狙って刺した。

 フェルトと綿でできた身体は容易く針を受け入れ、反対側へ突き抜けることを許す。

 刺されたのは自分の見立てではないのに、鈍痛を感じた気がする。

 陽菜は腿をぎゅっと合わせて座りなおし、串刺しになったやまだゆあを上から下から眺めた。

 今度はふざけて、こめかみを狙い、右から左へと針を貫通させる。

 どこかでこんな怪物を見た気がする。あれは針ではなく、ボルトだったか。


「っ!」


 突き抜けた針が、陽菜の親指の腹に刺さった。

 数秒遅れて、赤い球が皮膚に浮かび上がってくる。

 高揚していた気分が、一気に醒めた。

 テンションが下がったせいか、眠気も強くなった。

 陽菜はふざけて刺した針をすべて抜くと、針が貫通しないように、頭部の上へと刺しなおした。

 それから、指先の血をやまだゆあのしんぞうのうえになりすりつけ、最後の一本をそこへと突き刺し、証拠の写真を撮影した。

 合計で十三本。それらしい数字にしたし、これなら文句も出ないだろう。

 これで山田結愛は百年の眠りにつくか、ペットか何かが死ぬ憂き目に遭う。


「バカみたい」


 つい言ってしまった。こんなことで呪いや願いが通じてたまるか。

 百円ショップで集めた材料で完全犯罪ができるなら、漫画やドラマのように連日、不審死がニュースを賑わしているだろう。


 優花からの返事を待つも、なかなか返ってこない。

 こちらは約束を果たしたし、返事は待たずに寝てしまおう。


 そう思ったとき、スマホがメッセージの着信を知らせた。 


「あれ?」


 メッセージは優花からではなく、紗鳥からだった。


『まだ起きてる?』

『そろそろ寝ようかなって思ってました』

『玄関まで出てきてくれませんか?』


 ……玄関?

 ひょっとしたら、さっきのはやはり紗鳥で、玄関に鍵を置いたまま出て閉め出してしまったのかもしれない。

 陽菜はそれに思い至ると、慌てて部屋を飛び出した。

 廊下と玄関の電気を点け、すぐにドアを開ける。


「おねえちゃん?」


 弱い雨の続く中、玄関先に紗鳥は立っていた。

 彼女は学生服姿で、傘を手にしながらもそれをさしていなかった。

 服に雨が染みこみ、薄い生地の下の正体を晒している。


 そして、彼女の顔を見た陽菜は驚愕した。



「どうしたの? その頭」



 紗鳥は髪を切りそろえ、真っ黒に染め直していた。

 いや、それはいい。

 それよりも、閉め出してしまったことを謝らないと……。


「陽菜ちゃん……!」


 紗鳥が駆け寄ってきて、抱き着いてきた。

 陽菜は驚き、動けなくなる。

 冷えた体温を感じると共に、じわりと服が濡れていくのを感じた。


 いったい、何があったのだろうか。

 分からない。でも、震えている。

 だから陽菜は、濡れそぼった義姉の身体を、そっと抱きしめた。


*** 

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