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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
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page.6

 翌朝、陽菜は眠気にまとわりつかれながら、家じゅうのゴミを回収してまわった。今日は燃やせるゴミの日だ。

 ドアの閉じられた美羽の部屋は避け、キッチンのゴミ箱に紗鳥の部屋のぶんの袋が加えられているのを確認したのち、ひとつにまとめて外へ持ち出す。

 昨日の夕食のゴミを見ていると、いまさらながら昨晩の食事の席では自分も義姉も近況を聞かれなかったなと思い返す。

 美羽はやはり、ああいう人なのだ。数年前くらいまでは両親を見て「大人は勝手」だと考えていたが、今となっては「大人のなり損ない」だと思う。


「おはようございます」


 ゴミ捨て場で袋をチェックしていると不意に挨拶をされ、陽菜は心臓を縮めた。

 烏丸家の奥さん、舞だ。腹部の膨らんだエプロン姿に髪をひとつに結い、すでに化粧も済ませている。

 陽菜は丁寧に挨拶を済ませると、カラスや野良ネコ除けのための大仰な金属のボックスを開けて一歩下がった。


「お先にどうぞ」

「……ありがとうございます」


 舞は鼻声ぎみだ。

 本当なら、高さのある回収ボックスにゴミ袋を入れるのも手伝いたかったが、そこまでするとかえって気を遣わせてしまうかもしれない。

 身重の上に調子が悪いのは大変だろうな。それなのにあの魔女は。

 陽菜はこころの底で悪態をつき、働き者の妊婦が帰るのを見送った。

 それから、自室のゴミが透けていないか袋をよく検め、ボックスへ葬った。



 家族のぶんのパンを焼くだけの状態にセットし、いつもの登校時間になんとか間に合わせる。義姉くらいは起きていてもいいはずだったが、家を出るまで誰とも顔を合せなかった。

 学校の近所まで来ると、朝練で外周を走っている生徒とすれ違う。

 陽菜は汗を流す彼らを見るたびに、部活選びを失敗したなと思う。

 陽菜の両親、そして継父の拓也の三人は、もともと同じデザイン会社に勤めていた。拓也の娘である紗鳥も芸術肌で、絵画の才がある。

 紗鳥の作風や絵筆を持つ姿は、陽菜が紗鳥に対して抱く憧れの中でも、三本指に挙げられる。(といっても、二年半前に紗鳥の高校の文化祭で彼女が実演していたのを見たきりだが)

 とまあ、そういうわけで美術部に入部したものの、じっさい陽菜にはあまり向いていなかった。腕前や成長度合いこそ並み以上、美術の授業では「さすが美術部」と言われるのもしばしばなのだが、「描く」という行為がそれほど楽しくなく、題材やテーマ決めでは特に詰まってしまうのだ。

 しかも、美術部といっても活動は個人単位で自由にやっており、一部の部員は部外の友達を連れこんで美術室の一部を占拠したり、そのグループ内でいじめのようなものがあって不登校者が出るような悪環境というおまけつきだ。

 自宅を好ましく思っていない陽菜としては、放課後や土日の逃げ場として部活動が機能しないのは大減点だ。

 本当なら高校進学も紗鳥を追うつもりでいたが、偏差値的にどうも憧れだけで到達するのは難しいと悟り、最近になって進路変更を余儀なくされている。


 陽菜は大きなため息をついた。


 ……わたしの物語はままならない。


 しかも、おとぎ話のような幸運も大きな試練もないときている。俯瞰(ふかん)して見れば今の状況が決して幸福ではないのは中学生の彼女にも分かるのだが、かといって、現状から飛び出すほどの張力も持ち合わせていない。

 むしろ粘液のように蜘蛛の糸のように絡みつく現実だ。だからこそ、祈りや願いしか頼る手立てがないのだ。


 教室に到着すると、いつもはまだいないはずの友人の優花が、半泣きで駆け寄ってきた。


「ひなっち、やっと来た~」

「いつも通りですが。優花、朝練は?」

「休んだ。聞いてよ。一号以外もみんな死んだ!」

「は……?」


 一号は優花の家で飼っていたキンカチョウの名前だ。

 もともとは二羽の(つがい)だったのが繁殖して、全部で七羽になった。

 日ごろから感情表現の大げさな友人だったが、どうやら目に浮かべた液体は本物のようだ。


「以外って、残りの子も全員? 二号から七号まで?」

「そう」

「原因は?」

「分かんない。昨日、お風呂のあとケージのカバーをかけ忘れてたの思い出して掛けようとしたら、みんな網の上に落ちて死んでた」

「いっぺんにだったら、病気?」

「春の健康診断では健康だって。なんで死んじゃったんだろ」


 優花は「半年ごとに七羽合わせて二万円も払ってたのに。なん羽も買える金額だよ」と付け足した。

 確かに二万円は大出費だが、それは言わないほうがいいのではと陽菜はこころのなかで突っこみを入れた。


「鳥のことだったら、生徒会長に聞いたら?」


 教室の端のほうにいる男子、空木(うつろぎ)つばさのことだ。

 趣味なのか鳥に詳しいらしく、少し前に優花とツバメの巣について話をしていたさい、急に会話に割って入ってきた変わり者だ。


「会長に? 無理無理無理。だって今日もモテモテじゃん」


 優花の言う通り、彼の周りにはほぼ固定で二名の女子がいる。

 鴫野(しぎの)と真原。

 今年になって初めて同じクラスになったふたりだ。話によると鴫野は二年の夏に転校してきた子で、眼鏡をかけた真原は美術部で一緒なのだが……。

 なのだが、というのも彼女が漫画研究部の一団を美術室に招き入れた挙句、グループ内で揉めて学校に来れなくなった子だ。真偽は定かではないが自殺未遂を図ったなだととも噂されている。

 彼女は春から復帰していたが、陽菜はほとんど会話をしたことがなかった。


 ……いじめに転校、か。


 今でこそ友人たちのそばで談笑しているが、彼女たちにも苦難のストーリーがあったのかもしれない。


「え、今のため息、何? 陽菜って会長狙ってるの?」

「は? 無い無い。死因の究明はしなくていいの?」

「いいよ。あたしって意外とタフなんよ。昨日の晩御飯のおかず、チキンステーキだったけど、フツーに食ったし」

「ええ……」

「泣きながら食べたけどね。新しいフライパンで焼いただけあって美味かった。すごいよね、テフロン加工」

「さすがに引くよ」

「トリっていっても、鳥類って大きな括りでしょ? それって、ヒトでいったら哺乳類に当たるじゃん? ウシやブタも哺乳類。ニワトリとキンカチョウも遠いよ」

「そう言われれば、そうだけど。じゃ、会長に訊いてこなくてもいいね?」

「いいよ。ホントは、なんとなく分かってるし」


 ふいに優花の目が座った。


「原因、分かってるの?」

「たぶん山田の呪いだよ」

「山田の呪い」


 友人の口から飛び出した珍妙なワードに、陽菜は吹き出しそうになった。 

 優花は「ちょっとこっちに来て」と、陽菜を廊下に引っ張り出した。


「……真原さんだよ」

「彼女が何か? 山田じゃなかったの?」

「ひなっち、美術部だから知ってるでしょ? あの話」

「あの話って、グループで揉めて真原さんが学校に来れなくなった?」

「そうそう。その件について空木つばさがあっちこっち聞きまわってたじゃん? それで、莉央の友達としてあたし、ちょっと喋っちゃったんだよ。この前それが山田にバレてるのが分かってさ」


 莉央は優花の友人、山田はグループのリーダーで共に漫画研究部だ。そういえば、陽菜も二月か三月に、空木から真原や彼女のグループの内情について訊ねられていたのを思い出した。

 山田……。山田結愛は漫研グループの花形で、いつも会話の中心だった。名字で呼ばれるのを嫌っており、陽菜が彼女の名字を知ったのは事件が起きてからだった。


「バレたのはご愁傷様。でも、それと鳥が死んだのにどんな関係があるの?」

「だから、呪いだよ」


 莉央はオカルトやホラーに通じているらしく、山田に呪いのやり方を聞かれたらしい。


「あたしは突っこんだよ、莉央に。ボス猿と親友のどっちが大事なのって」

「あー……教えちゃったんだ。っていうか、莉央はまだつながってたの?」

「集まるのはやめたけど、メッセージのグループとかはそのままだってさ」

「なるほど」

「でも、莉央も山田のことがウザかったみたいで、呪い返しの方法を教えるって」

「呪い返し? やったの?」

「その時は呪いなんて信じてなかったから断った。でも、一号が死んだときにまさかって思って」


 呪い。これもまた「願い」や「祈り」の形のひとつだろう。

 噂によると、山田結愛は教員や保護者にいじめのことを追及されたうえ、今年度のクラス編成も事件のことを配慮して組まれ、仲のいい友人や関係者と引き離されたと聞いている。もちろん、図書室や美術室など、彼女たちがたむろするのに使っていた場所にも制限が掛かった。

 陽菜は思う。事件の具体的な内容は知らないが、山田には山田の言い分や視点があったはずだ。彼女もまた、今回の件で手足をもがれたようになり、「呪い」という手段に頼らざるを得なかったに違いない。


 それにしたって。

 ……優花はたぶんバカだ。


 陽菜は先ほど談笑していた真原の顔を思い返す。

 山田結愛が呪うなら、告げ口をした程度の間接的な位置にいる優花ではなく、真原当人だろう。それこそ、キンカチョウとチキンステーキだ。

 ついでにやった、あるいはすでに真原を呪っているかもしれないが、万が一にも呪いが効果を発揮して飼い鳥が七羽も死ぬのなら、真原が五体満足なのはおかしい。

 祈りや呪いがそう簡単に通じるはずがない。陽菜にはよく分かる。


「……で、みんなやられちゃったし、もう呪い返しなんかじゃ弱いと思って」


 手に何かが押し付けられた。

 紙袋だ。『HAPPYVALENTINE』などと書かれている。


「チョコ?」

「余ってた袋。これに呪いに必要な道具が入ってるから」

「え?」

「やり方を書いたメモも一緒に入ってる。これで一緒に山田を呪って!」


 優花は紙袋を挟むようにして手を合わせ、陽菜を拝んだ。


「いやいや、なんでわたしが? 呪い返しなんだから優花がやるべきでしょ」

「大丈夫だよ。そういう呪物が入ってるから。あたしもやるし」

「呪物って、やだよ。山田さんに怨みないし、呪いなんて子供っぽい」

「子供っぽいの好きでしょ?」

「まだ、それ言うの?」


 小学六年生のころのことだ。義姉の文化祭で影響を受けた陽菜は、絵を描く最終目標に「絵本作り」を掲げていた時期があった。

 図書室に足繁く通い、高学年はもう借りないような図書に目を通していたのだ。それを優花に見つかって以降、子供っぽいとからかわれている。


「ごめんって、一生のお願い!」

 陽菜は再び拝まれた。

 呪いなんて魔女側の常套手段だ。わたしの役目じゃない。

 バカにされてる気もする。陽菜は断ろうと口を開いた。


「……意味ないって、分ってる」

 優花が拝んだままつぶやく。

「一号たちが死んだのも、山田は関係ないって、理解してる。でも、お願い」

 彼女の祈りに挟まれた紙袋が握られ、くしゃっと音を立てる。


 優花ももう、そうするほかないのだ。

 彼女の飼っていた一号、二号は小学校からの付き合いだ。

 その二羽から三から七号が誕生したとき、陽菜も優花から毎日のように成長記録を聞かされていた。

 キンカチョウの孵りたての雛は、指先に乗るほどに小さい。

 それでも生きている。一個のいのちなのだ。

 失われたいのちは戻らない。

 いまさら足掻いたところで、死なせた事実は変わらない。

 八つ当たりされる山田結愛も不憫(ふびん)だ。


 ……けれど、願うことによって取り戻せるナニカが、あるのかもしれない。


「分かった。手伝うよ」


 友人は「ひなっち、ありがとう!」というと涙をこぼし、陽菜の手の上に紙袋を乗せた。


***

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