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「陽菜ちゃん、紗鳥が帰ってこないよ」
義姉が失踪してひと月半。
連絡は取り合っている。美羽も状況を理解している。
紗鳥は、亡くなった生みの母親の両親の元に身を寄せている。
どうして彼女が不良少女じみた行動を取ったのか。
なぜ家を出たのか。
執拗に陽菜のことを心配するのか。すべては答え合わせ済みだ。
「でも俺は、しょうがないと思うんだ」
拓也が一歩近づいてきた。
陽菜は不精だなと思う。爪が伸びて汚れていた。
「だってさ、紗鳥はもう、じゅうはちさいだからさ。おとななんだよ」
紗鳥は十七。今年の誕生日もまだだ。
父親だというのに、そんなことも分からないのか。
陽菜は紗鳥とはこの夏、その誕生日に会う約束をしている。
「紗恵もいなくなってしまった」
紗恵は拓也の亡くなった前妻、紗鳥の実母だ。
拓也が一歩近づく。やはり無精者だ。いや、男性では普通なんだろうか?
すね毛が生え散らかしていた。
「美羽もいなくなってしまった」
陽菜は最近、美羽ともよく連絡を取るようになっていた。
それから、血のつながった父である達樹とも。
「陽菜ちゃんはさあ……。いなくならないよね?」
陽菜は答える。「いなくなりません」
「そっかあ、よかったあ」
拓也の目が垂れ、口の端が大きく吊り上がる。
「じゃあさ、代わりになってくれるよね? 紗鳥みたいに。ひなちゃんはさ、じゅうはっさいだよね? じゅうはっさいは、おとななんだよ?」
陽菜は滑稽だと思う。いや、相応しい格好か。
ヒキガエルが服を着ていたら、それこそ滑稽だ。
カエルで服を着ていていいのは、カエルの王子様くらいだろう。
視界の隅で、けち臭いオタマジャクシがセイチョウするのが見えた。
陽菜は失笑した。それでも小さなムスコ。なんという皮肉でしょう。
こちらに手が伸びてくる。汗と脂で照った指。
陽菜は言った。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが暮らしていました」
子守歌を諳んじるように続ける。
「ふたりには子供がいなかったので、神様にお願いをしました。ふたりはそれは熱心にお参りをしたそうです。指ほど小さな子供でも構いませんから、どうか子供を授けてください。すると願いが通じて、ふたりは子供を授かったのです」
拓也は首をかしげた。
「それは、なんのおはなしなんだい? あ、分ったぞ。親指姫だ」
陽菜は首を振った。
それから拓也はもう一度、首を傾げた。
視線は娘へと伸ばした己の手へと向いていた。
彼の手の甲に、小さな花が咲いていたからだ。
銀色の茎とプラスチックの花弁。赤くて小さなお花。待ち針。
陽菜は言った。
「一寸法師」
拓也の二の腕にも花が咲いた。彼は叫ぶ。痛いからだろう。
陽菜はままならないものだと思う。
日本の昔話に登場する老夫婦はいつだって善人で、血のつながらない子供を大切にするというのに。
拓也が叫び、しりもちをついた。
腐った桃のような尻が、落丁した日記のページを踏みつける。
陽菜は余った待ち針を床に撒いてやった。
立ち上がろうとしていた義父が短く悲鳴をあげる。
もう一種類、針がある。
陽菜は自身の指が痛んでも躊躇をしない。
鬼の肩に突き刺さった針。
鬼退治。鬼退治だ。陽菜は突き立てられた針に向かって、平手を振り下ろす。
手のひらに感じる痛み。
強く強く押しこまれた針は、拓也の肉をかき分けて体内へと消えた。
「ぎゃあああああ!」
陽菜は絶叫を聞き流し、針を押しこむ際にできた手のひらの痣を見つめる。
義姉も痛かったのだろうか。
可哀想なおねえちゃん。
だが、ほんの少しだけ同じになれたと思うと疼痛は甘く切ないものに変わった。
「び、びなぢゃん、なんでごんなごどをお……」
鬼畜でも泣くのか。汚い。
顔が真っ赤。まるで赤鬼。泣いた赤鬼? 赤鬼に失礼だ。
やれやれ、この人の娘の涙はあんなにキレイだったのに。
彼は肩を掻きむしるようにし、「取れない、針が取れないぃ……」。
陽菜は吹き出した。
鬼は情けなく脚を広げた格好で針を抜こうとしていたからだ。
まるでカエルの脚だ。
それから、せっかく大きくしたはずのオタマジャクシがしぼんでいた。
その先端、男性特有の、桃色で柔らかそうな肉。
亀の名を冠している部位だが、陽菜はアレに似てると思った。
「桃太郎」
陽菜は机の上に置いてあった紗鳥のナイフを手にした。
それから鬼は逃げ出し、女の子は血塗れのナイフを洗ってこう言った。
***
「めでたし、めでたし」
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