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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
17/25

page.22

『朝から大変だった。あの人、階段から落ちたよ』


 朝食の最中、舞から連絡が入った。

 典子が深夜に自宅二階の階段から転落したという。

 転落には誰も気づかず、早朝に陸が発見したものの、典子は自力で歩くことができない状態だった。

 しかし、典子は近所の目を気にしたらしく緊急搬送を拒否し、出勤前の息子に病院へ運ばせたという。


『細かい検査は今からだけど、内出血と腫れの感じからして折れてると思う』

『大変ですね。お大事にと伝えてください』


 陽菜は「ざまあみろ」と思いつつトーストをかじっていたが、その手を止めた。


『それはいいんだけど、ちょっと引っかかることがあって』


 舞が言うには、典子に二階での用事はないらしい。

 足の悪い典子の部屋は一階で、二階には陸と舞の部屋がある。

 舞も身重となってからは一階の空き部屋に移動し、陸もまたそちらを主軸に生活をするようになり、現在は二階がまるまる使われていない状態だという。


『もうひとつ、おかしなところがあるの』


 典子は寝間着姿で廊下に倒れていたのだが、衣類のあちらこちらに泥が付着していたのだという。

 陽菜はそれを聞くと席を立ち、外へ出た。

 庭には、倒れた脚立が放置されていた。

 陽菜はそれをスマホで撮影する。

 だが逡巡し、舞には画像を送らず、『外で何かあったんですかね』と返すにとどめる。

 臨月の妊婦に要らぬストレスは与えるべきでない。


『ツバメの巣の様子は?』


 舞は勘ぐっているらしい。

 毎朝、朝起きてノートパソコンを立ち上げるのは陽菜や紗鳥の日課だ。

 今日もツバメ一家がすでに給餌活動を始めていたのを確認している。

 それを告げると、舞から『よかった』と返信を貰う。


 陽菜が戻ると、起きてきた拓也が「どうかしたの?」と訊ねてきた。


「お隣のお姑さん、怪我をして病院に行ったそうです」

「へえ、そりゃ大変だ」


 拓也はあくびをしながら返事をし、コーヒーメーカーのセッティングを始めた。

 陽菜は彼がこちらを向くのに合わせて、脚立の画像を表示したスマホを突きつけるようにして見せた。


「それって、捨てるやつだよね。……もしかして?」


 意図が伝わったらしく、陽菜は黙ってうなずく。


「カメラに映ってるかな。映ってたら嫌だなあ。ご近所トラブルってやつだけど、不法侵入は民事じゃなくて刑事? 陽菜ちゃんはどうしたい?」


 ……どうしたい、か。

 決定権を委ねられても困る。

 陽菜は「とりあえず、舞さんのお産が済むまでは保留で」と答えておく。


「優しい子だね。そんな優しいうちの娘の可愛がってるツバメをどうこうしようなんて、お父さん許せないな~」


 拓也はおどけているのか、しきりに両眉を上下させつつ言った。


「ま、なんにしても春風家のことは俺が守るからね」


 いつものヒキガエルの笑みだ。


「あ、ちなみに、血を分けたもう一人の娘は守ることができず」


 陽菜は、ぎょっとして拓也の顔を凝視する。

 だが拓也は、なんてこともないふうにコーヒーをすすると、「昨晩から高熱を出してるみたいでね。ウイルスや病原菌は目に見えないからなあ。陽菜ちゃんも気をつけてね」と言った。


 気づかなかった。ここ数日は魔女のことで気が気でなかったのだ。

 言われてみれば確かに、昨日はリビングで紗鳥の姿を見かけなかった。


「あの、コロナとかじゃないですよね? いまうちの学校でもまた流行ってて。食事とか病院とか、わたし、学校休み……」


 拓也が遮る。「大げさだよ」


「本人はただの風邪って言ってるし。様子を見てあとでおかゆか何かこさえて持っていくよ。俺だって、一応は紗鳥の父親なんだぞ?」


 ちょっとだけ怒ったふうの表情になる。

 すぐに一転、「だから、きみはちゃんと学校に行きましょう」と念を押される。

 陽菜が不承不承に返事をすると、「よろしい」と、またヒキガエルだ。

 拓也はトーストを片手に席を立つとノートパソコンを覗きこみ、「きみたちも守るぞ」と言った。

 パンくずが、彼の軌跡を描くようにこぼれていた。



 陽菜が登校で家を出て烏丸家の横を通り過ぎると、腹の底からふつふつと湧きあがるものがあった。

 それは、不法にツバメを手に掛けようとした典子への怒りだったが、胸を通り過ぎるころには誅された魔女への嘲笑いになっていた。


 天罰だ。陽菜はそう思うことにした。

 拓也の反応と紗鳥の病気ことが少し引っかかるが、今日は一日を気持ちよく過ごせるだろう。


 陽菜は予想通り平和に授業をこなし、放課後に美術室へ顔を出した。

 ツバメを題材にした作品作りについて、顧問に相談したかったからだ。

 顧問は不在だったものの、同じ美術部員の真原がいた。

 真原は地域の中学生でいちばんだろうというほど絵が上手い。

 昨年度はいじめの憂き目に遭っていたが、今は明るさを取り戻している。

 陽菜的にはなんとなく近づきがたい印象があったため、帰宅しようと考えた。


「あ、春風さんだ」

「え、えっと、こんにちは」

「もしかして、夏の作品作りの相談だった? 先生、いないみたい」


 話しかけられるとは思わなかった。

 真原の言う通りだったため、陽菜は「そっか」と無難な返事を選択した。


「文化部に引退はないけど、人によってはこれが最後の作品になっちゃうよね。春風さんは、何を描くのか決めた?」


 訊ねられ、陽菜は遠慮がちにツバメのスケッチをしたためた冊子を渡す。


「すごい。ツバメ、ツバメか。いいなあ。私も今年はツバメのウォッチをしてるけど、描こうとは思わなかった。カメラで撮るのも大変だし、巣のあるところで落ち着いて観察なんてできないから……」


 真原の言う「すごい」が陽菜の技量やアイディアに対してではないのは分かってはいたが、彼女の画力が高いのは陽菜も認めるところだ。

 なんとなく劣等感を感じる相手ではあったが、やはり褒められると悪い気はしない。

 陽菜は自宅にツバメの巣があることや、家族ぐるみで観察をしていることを話した。


「いいなあ、うらやましい。うちは両親ともほとんど家にいないから……」


 真原のこの話をきっかけに、陽菜も自分の家の事情を口にする。

 すると、お互いになんとなく共通点があることが分かった。

 真原の家も芸術家家系らしい。だが、陽菜のようなデザイン畑というわけではなく、両親が音楽家なのだという。兄もまた音大生で、彼女だけが絵筆を握っているのだそうだ。

 両親の仕事は海外も多く、幼少から家で残されることも多かった。

 真原はその辺りの事情で家族との確執をかかえていると話した。


「みんな、家族のことで苦労してるんだね」

「みんな?」

「私とよく一緒にいる、つば……空木くんや鴫野さんも、いろいろ大変で。細かいことは勝手に言えないけど、春風さんもふたりと仲良くなれると思うよ」


 各々の事情は知らないが、みんなそれぞれにそれぞれの物語がある。

 たまたま居合わせて話す機会があっただけではあるが、陽菜は真原にかすかな友情を感じた。

 私事を話して胸襟を開いた陽菜は、真原に絵についてのアドバイスを求め、久しぶりに「部活動らしい活動」をした。

 最終下校時間まで残り、真原と別れて帰宅する。

 今から買い出しをすると時間が押してしまうため、晩御飯は有り合わせの食材を使って作ることになる。


「カレーにしよう」


 陽菜はそうつぶやくと、着替えを済ませてキッチンに立った。

 春風家には春風家の確執や苦労があるが、今は追い風、上向きの時期だ。

 陽菜は、カレーの香りに誘われてキッチンに現れる継父や義姉、果てはまだ職場であろう母の姿を思い浮かべながら玉ねぎを炒める。


 調理中、舞からメッセージが入った。典子は腰と左脚を骨折していたそうだ。

 ついでにいくつか検査をしたところ、どうも右脚が悪いと言っていたのはウソらしいことが分かり、その上、典子がそういった演技を続けていたせいで、関節のあちらこちらが本当に悪くなりつつあるのだという。


 陽菜は鼻孔を広げ、カレーの香りを思いっきり吸いこんだ。


 よそと比べることに意味がないのは承知だが、こうしてカレーを用意できることは幸せに違いないのだろう。


 ほら、誰かの足音がする。気配からして拓也がキッチンに入ってくるようだ。

 彼もまた、例外なくカレーが好きだ。



 だが彼は、家じゅうに充満しているだろう香りを無視してこう言った。


「陽菜ちゃん、紗鳥の姿が見えないんだけど、知らないか?」


***

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