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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
16/25

page.20

 典子と路上で会話をした晩、陽菜のスマートフォンに舞から連絡が入った。

 夕食の席で典子が「お隣の娘さん」を口汚く罵っていたというのだ。


 陽菜は魔女の典子が嫌いだ。

 彼女がどうなろうと、彼女に嫌われようと陰口を叩かれようと構わない。


 だが、これまでは手加減をしていた。


 具体的には、ツバメの件について舞に教えるのを踏みとどまっていたのだ。

 もちろん、息子夫婦のあいだに己の居場所を探す初老の女に同情心が芽生えたからではない。

 妊婦の心理的なストレスになってはいけないと考えたからだ。


 しかし、典子は行き過ぎていた。


 聞くだけで嘘と分かるような話も織り交ぜての陽菜への罵詈雑言を吐き散らかし、舞が思わず食事の席を立ってしまったほどだという。

 舞のメッセージの文面からは、普段の姑をとがめるような怒りは感じられなかった。そこにあるのは陽菜への心配だった。

 彼女は陽菜が典子と対峙したのは、単純に自分の味方としてではなかったのではないかと、気づきつつあるのだろう。

 陽菜はとうとう観念して、ツバメに関する典子の行動を白状した。


『信じられない。巣があったのは知ってたけど、カラスがやったから片づけたって聞いてた。雛がいたんだったら住まわせてあげたらよかったのに。それに、夜中に他人の家に入ったなんて』

『侵入に関しては、見間違いの可能性もゼロじゃないですけど……』

『やりかねないと思う。あの人、私を手伝いたくないのはいまさらだけど、陸にいい顔をしたいから、私がチクったら言い逃れできないようなことはしないの。でも、鳥が相手なら何をしても平気でしょう?』


 舞は断罪的に続ける。


『掃除についても口うるさかったのに、雛が孵るまで気づかなかったのは考えられない。雛が孵ったのを見て邪魔する気になったんだと思う。あの人、子離れできてないんだよ。陸と結婚したとき、私のことを気に入らなそうだったし』


 結婚は当人同士の問題だ。

 だが、陸は仕事柄の多忙もあり、籍を入れてから典子に報告していたという。

 舞の推測ではそれが効いているとのことだった。


『イヤな女だと思われるかもしれないけど、じつはあの人が足を悪くしたっていうの疑っててね。病院に行ってる様子もないし、近所の人と出かけたり、町内会関係の用事にも出てるし。そもそも同居にしても、最初は独りで暮らすって話だったんだけど、家を建てたあとになってから足を悪くしたって連絡があって、そしたら陸が一緒に暮らそうって言い出したの』


 陽菜は、文面を読み進めるうちに怖くなってきた。

 舞から典子の悪口を聞かされるのは日常だし望むところだった。

 だがこれまでは、些細な不親切や口論についてが中心で、学友の愚痴に耳を傾けるのと大差ないものだった。

 しかし、今回の話では、結婚前から連綿と降り積もった姑の嫉妬と嫁の憎悪が克明に浮かび上がっていた。

 陽菜はグリムやペローの原作に触れたときの恐怖を思い出す。

 今や童話の代名詞となった彼らの集めた話も、原著では残酷で、大人にまで教訓を与えるような内容だった。


『私は入院が決まったし、産まれてからしばらくは平気だろうけど、陽菜ちゃんは気をつけてね。あの人は噂話とかも好きだから。この辺りって、回覧板とか自治会とかけっこううるさいみたいだし』


 魔女の毒針がこちらを向いた。そう感じた。

 魔女に鉄槌を加えることは正義だと信じていた。いや、今でもそう考えている。

 烏丸家の物語において、陽菜は正しき魔女の配役を賜ったのだから。

 先ほどやっつけたときの典子の悔しそうな顔には、本当に胸がすいた。

 口論というほどではないが、勝ちを実感して、してやったりと思った。

 たとえ典子が焼けた鉄靴を履いて死ぬまで踊らされても、同情しないだろう。

 だが、それは烏丸家の物語での話だ。

 ここから先は陽菜の物語。

 物語が変われば「魔女」にしろ「おばあさん」にしろ、善悪も攻守も容易く入れ替わる。


 それからというもの、陽菜は典子の目を気にするようになった。

 烏丸邸の前を通るときは視線を足元に落として早足になったし、ツバメの巣を見上げるときも、なんとなく首筋に視線を受けているような錯覚を受けた。

 巣立ち間近の仔ツバメたちがホウキで蹴散らされる夢まで見た。


 ……いつ魔法をかけられるか、毒を仕込まれるか。


 この先、舞が入院をすれば舞当人はもちろん、陸も自宅のほうには気を配らなくなるだろう。

 そのときが魔女にとって反撃のチャンスに違いない。


 だが杞憂(きゆう)に過ぎないともいえた。

 典子は初老で、背丈も高はくない。陽菜と大差がないから一五〇センチ台だろう。

 そんな人間がホウキを手にしたからといって、二階の屋根に近い部分にあるツバメの巣が落とせるはずがないのだ。

 それこそ、脚立でも使わなければ無理だ。


 だが、いくら言い聞かせても安心できなかった。


 舞から買い物の代打を頼まれることがなくなったのも効いた。

『入院までもう少しだからいいよ』と、断りがあったものの、気を遣わせてしまっている……いや、典子との一件で舞からの陽菜への評価が下がったのではないかと気を揉んだ。

 確かめることなんてできなかったし、仮に訊ねてもそれこそ大人の対応をされて終わりなのは目に見えていた。

 舞が嫌わなかったとしても、典子はきっと町内会の関わりで要らぬ噂をバラまくに違いない。

 昔から親が不在で苗字まで変わった一家に付け加えられるエピソードは、どんな愉快なものだろうか。


 紗鳥に不安を打ち明けるか?

 この恐怖を正確に伝えるには、自身がやった意地の悪いことまでも打ち明けねばならない。

 せっかく春風家もまとまり始めているのに……。


 八方塞がりに感じた。

 これこそが魔女の呪いか。いや、人を呪わば穴二つ。あるいは呪い返し――。


 陽菜は頭を激しく振った。そんなはずはない。


 ……そうだ。いうなれば、これはペナルティだ。


 幸福そうな夫婦の世界に憧れ、無理に配役を求めた代償。

 対価を支払うことは、物語においての必然。


「たとえば、人魚姫」


 身分違いの恋を成就させるために声を失った。


「たとえば、赤い靴のカーレン」


 おのれの美しさを鼻にかけてしまったために踊らされ続けた。


 陽菜は自分の間抜けさに笑いだしそうになった。

 どちらも幸福なラストではないではないか。

 童話にはイソップ物語のような教訓話だって多い。

 自分は愚か者だったのではないか。

 机の上に置かれたままの春風家の面々をかたどったぬいぐるみも、酷く不格好でゴミと大差ないように思えてきた。


 そうだ。日記になら吐き出してしまえる。

 陽菜は赤いリボンを結んだグリーンの日記帳を引っ張り出した。

 日記には正直に『怖い』と書いてもいい。

 魔女のほうに原因があったのだと、悪しざまに書いたっていいではないか。

 陽菜はペンを執り、願いと事実の織り交ざった物語をしたため始める。



 こんこん。



 扉がノックされた。

 陽菜は悪事を見咎められたかのように驚き、上ずった返事をした。


「ね、陽菜ちゃん。ツバメのことで気になることがあるのだけど」


 ……まさか、やられた!?


 陽菜は気色ばむも、紗鳥は落ち着いていた。

 だが、どことなく表情に暗色があるような気もする。

 義姉と共にリビングに下りると、拓也がノートパソコンに向き合っていた。


「お、来たね。録画した動画の確認をしてたんだけど、これってどっちだと思う?」


 ……どっち?


 見せられた動画のシーンには、巣を覗きこむツバメの成鳥の姿があった。


「これ、母親でも父親でもないよね? 雛たちが顔を出してないし」


 ツバメは長い燕尾の片方が大きく欠けている。

 つまりは見慣れたツバメ夫婦とは別個体の、それもおそらくはオスの成鳥だ。

 ツバメの営巣において、最大の敵ともいわれるのが「乗っ取りツバメ」だ。

 メスの獲得のために巣にある卵や雛を引きずり出してしまう。

 ただし、第三の成鳥が必ずしも敵とは限らない。

 鳥の世界では「ヘルパー」と呼ばれる子育てを手伝う個体もいて、ツバメの営巣でも確認されている。


「身体の大きさの違うスズメだったら、対処のしようもあるんだけどね」


 拓也はマウスを操作しながら唸っている。

 彼の見解ではこのツバメは外敵なのだろう。

 陽菜もその可能性が高いと思う。

 雛たちが反射的に餌を要求しないあたり、すでに攻撃を経験しているのかもしれない。親鳥が警戒して敵だと教えたのかもしれない。


「やっぱり、自然は厳しいな……」

 紗鳥は怒ってるというよりは困惑顔だ。

「でも、こういうのも含めて観察なのかな」


 もちろんそうだろうが、陽菜にとってこのツバメの営巣はただの自然の営みではない。

 自身の物語や春風家の命運を賭けているのだ。必ず成功裏に終わらなければならない。

 このツバメが邪魔者なら、どうにかしてやりたい。

 しかし、口には出せなかった。

 他所の家庭にくちばしを突っこむ行為。

 まるで自分がとがめられている気がした。

 陽菜は弱い。

 鏡の言うことを突っぱねることも、信じて敵を排除することもできない。


「ツバメが共通で嫌がるものでも置いてみるかい? 両親はそのくらいで子育てをやめなくても、乗っ取りは諦めるかも。でも、リスクは……陽菜ちゃん?」


 拓也が覗きこんできた。


「すごく心配そうだね?」


 呆けていた。

 いまだ典子の仕返しへの不安が、蜘蛛の巣のように胸に絡みついている。


「ま、なるようになるさ。邪魔者だったら、両親が戦って追い払うはずさ」


 拓也は努めて明るい顔をしたようだ。

 少し挑戦的な、格好をつけているような笑み。


「でも、親のいない隙を狙ってきてる気がするけど……」


 紗鳥が不安げに言う。


「なあに。しっかり見てるに決まってるさ。親っていうのは、多分ふたりが思ってるよりも、ずっと強いものだからね」


 拓也はそう言い切るとなぜか自分の胸を叩き、今度はヒキガエルの笑みを浮かべた。


***

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