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陽菜が帰宅すると、庭には脚立が立てられ、玄関先にはいくつものダンボールが置かれていた。
機材が届いたらしい。カメラのパッケージやケーブルの束のようなもの、何やらやたらと細長い――身長くらいありそうな――箱などもある。
……あれ? これもカメラ?
カメラは一台ではないようだ。二点から撮影するほどのものなのだろうか。
……ま、いっか。
疑問符を浮かべたのもつかの間、陽菜は元気よく「ただいま」と玄関で宣言し、すぐにリビングでノートパソコンと対峙する義父を見つけ出した。
「やあ陽菜ちゃん、おかえり。日の出てるうちに済ませちゃうね」
「ツバメが戻ってきちゃいますからね」
「そうそう。あと、ついでに二階の物干し竿を交換しようか」
「物干し竿?」
陽菜は首をかしげる。
「本当なら、突っ張り棒でもつけれるスペースがあればよかったんだけど、あいにく無くてね」
陽菜は「突っ張り棒?」と、もう一度首をかしげた。
「ふふ、気づかないか。物干し竿が親ツバメの寝床にならないかなって。二階のベランダの竿を延長したら、ちょうど巣の近くになるだろ?」
思わず手を打った。「拓也さん頭いい!」
「ははは、それはどうも。といっても、使ってくれるかどうかはツバメ次第だけどね。ホントに長い竿だから粗大ゴミにならないといいけ……」
陽菜は拓也が言い終わらないうちに玄関先に戻り、長い箱をかかえて戻る。
「物干し竿、取り付けてきます!」
背中に「落っこちないように気をつけてね」と注意を受け、陽菜は箱を壁にぶつけながら階段を登る。
今日の授業中はずっとお尻が痛かった。確かめていないが、痣くらいはできているだろう。
眼下で揺れる枯れ枝の束。
夜中に見たあれは、ホウキの穂先だったのではないかと思う。
あの魔女がツバメを害さんと春風家に不法侵入し、ホウキを振ったのだ。
その証拠に今朝、庭で穂先の切れ端を発見している。
拓也にも相談しておくべきだろう。
一応は春風家のあるじなのだし、魔女の行為はれっきとした不法侵入だ。
陽菜が古い竿を下ろそうとしたとき、つと昔の記憶が蘇った。
小さなころからさまざまな家事を任されてきた陽菜だったが、台風で物干し竿が落ちたり、壊れて交換となったときは、美羽がやってくれていた。
大した作業ではないものの、小さな陽菜にとっては竿は重く、掛ける場所も高かったから大人の手が必要だった。
いまさらながら首をかしげる。交換してくれたのは父ではなく母だった。
どういう経緯でそうなったかは覚えていないが、確かに美羽がやったことだ。
古い竿がなんとなく名残惜しく思えた。ツバメが去ったら、また戻そうか。
新しい竿はベランダを飛び出し、巣から一メートル弱のところまで延びた。
よそから見たら、なかなかに不格好だろう。
だが、ちょうど屋根も掛かっているし、親ツバメが雛たちを守り育てるのには都合がいい。
今度こそ、巣立ちを見られるだろう。
そうすれば、「わたしの物語」も明るいほうに進むはずだ。
竿の交換に満足して大げさに鼻息を吐くと、眼下に拓也の姿を見つけた。
作業を開始したようだ。
今のうちに自分の用事を済ませてしまおう。
着替えやちょっとした家事を片づけ、義父の作業の進捗をうかがいに行く。
どうやら作業は難航しているようだった。
電源ケーブルやカメラを支えるパーツの取り付けに悩んでいるらしい。
美羽や名義上の持ち主である実父――巳住達樹――には話していないため、壁に穴を開けることはできない。
カメラは雨どいを利用して設置するとして、電源ケーブルは二階の部屋へと延ばしてどうにかするしかないらしい。
「……なんだけど、脚立の調子が悪いときた。陽菜ちゃんは上らないようにね」
「支えますか?」
「とても助かる。二階にケーブルを回すのも手伝って欲しいな」
「もちろん」
「カメラの角度の調整もね。さすがに可動式だと揉めるから」
「揉めるんですか?」
「二階に設置すると、道路やよその家の敷地まで映っちゃうからね。上手に巣だけ映さないと」
拓也と共同作業をするのは初めてのことだ。
陽菜はこうやって家族になっていくのだろうかと考え、工作に勤しむ義父を頼もしく感じた。
親密度が上がったついでに、深夜に起こった出来事を話した。
心配されると面倒だから、回転椅子を使って転んだくだりは省いた。
ホウキについては「見間違いかも」と付け加えた。
「……見間違い、だといいんだけどね。カメラも設置したからね。間違いじゃなくても、もうやらないだろうけど」
カメラの角度はノートパソコンで確認しつつ、陽菜が指示を出して決めた。
画角に納まるのは巣と物干し竿の先端くらいだ。
仮に巣を狙う人間がいたとしてもほぼ映らない。
だが、カメラがあるという事実は、犯行に心理的な高い壁を築くはずだ。
あとは親ツバメが竿を寝床にすれば、鉄壁の守りだろう。
ちなみに、巣にはすでに三つの卵が産み落とされていた。
「そういえば、カメラの箱がふたつありましたけど」
「ふたつ? ああ、片方はデジカメだよ。スマホだと物足りないかと思って」
そう言われれば、そうだったかもしれない。
陽菜は少し呆れた。拓也はカネに糸目をつけていないらしい。
親ツバメの寝床についても対策を考えていたし、陽菜に匹敵するほどにこの観察に力を入れているらしい。
嬉しい反面、負けているようで悔しい気持ちにもなった。
となれば、美術部の作品の題材はこれに決定としよう。
現物の観察と高解像度の写真、それとツバメに入れこむ熱意があれば、質のいいものが描けるはずだ。
「それにしても、過干渉な親ってのは本当にいるもんなんだね。うちも美羽さんとこも、両親は放任気味だったからな」
拓也は壁に立て掛けた脚立に乗ったまま、お隣さんのほうを見た。
「典子さんは妊婦によくないとか言ってましたけど、舞さんにはいじわるなんですよ。お腹が大きくなったのに買い物を押し付けたり、庭の掃除をさせてるんです」
陽菜は説明しているうちにまたもヒートアップし始める。
「しかも、少し前に自分の家についてたツバメの巣もホウキで壊したんです! もう雛が生まれてたのに!」
「ええ!? それは酷いな」
拓也は顔をしかめると、もういちど烏丸家のほうを見た。
鋭く、厳しい顔だ。
その顔を見て、陽菜は話して正解だと思った。
知らせておくだけで安心ができるような、営巣が上手くいくような気がした。
「また何かあったら言ってね。陽菜ちゃんや紗鳥のことは俺が守るよ。もちろん、ツバメたちもだ」
そう言い、拓也が見下ろしてきた。
彼はどこかヒキガエルに似た大げさな笑みを浮かべていた。
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