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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
13/25

page.17

 週に二回ある可燃ごみの日。そのうちの片方。

 陽菜は朝食の支度を済ませると自分もさっさとパンを平らげ、まだ眠そうな義姉や継父の部屋から容赦なくゴミを回収した。

 地域のゴミの集積所の前に到着。ボックスはまだカラだ。ゴミ袋を傍らに置いたままスマホを操作し始める。

 スマホに用事があるのではない。烏丸家から誰かがゴミを捨てに来るのを待っているのだ。

 いつものならあと十分程度で舞がゴミを捨てに来るはずだった。

 回収ボックスは剛健な金属製で、投入口も高めだ。先週は手伝ってやれなかったが、今週は妊婦の舞に代わって手伝うつもりだ。


 ……彼女が来れば、だけど。


 身重である以上、日を追うごとに肉体労働がつらくなるはずだ。

 だからこそ、そろそろ別の人間が捨てに来るかもしれない。

 陽菜にとって理想の夫婦である以上、夫である烏丸(りく)が捨てに来るべきなのだが、彼は若き医師で多忙だった。

 そして勤務場所の都合でも出勤が早かったり、夜勤もあるためにゴミ捨て作業は手伝えないと予想している。普段どおりなら。今日は烏丸家のカーポートに車が停まっている。陸が在宅の可能性が高い。

 五分、十分と時間が経過するにつれ、舞ではない誰かが捨てに来るだろうという予感が強くなっていった。

 姑である典子は来ないだろう。

 陽菜には魔女――あるいは鬼婆――が気を利かせるとは思えなかった。

 それに深夜の件の犯人ならば、春風家の人間と接触しないようにするだろう。

 もしも来れば、カマを掛けてやる。

 ほかの二人ならばどうしてやろうか。ツバメ殺しの悪行を教えてやろうか。


 陽菜はゴミ捨て場の利用者に挨拶をしつつ、用事のないスマホに視線を落として烏丸家へと意識を集中し続けた。

 二十分。この辺りのゴミ収集車の回収は九時ごろだから、限界まで待っていれば遅刻する。諦めてゴミを捨て、その場をあとにした。


 陽菜の張った網には誰も掛からなかったものの、登校のために家を出るとゴミボックスを閉める男性の姿が目に入った。

 あの眼鏡をかけた優しそうな顔。烏丸陸。舞の夫だ。

 小走りで駆け寄り、「おはようございます」と挨拶をする。

 陸はほかの二人に比べて近所の事情に疎いのだろう、いきなり女子中学生に挨拶をされて戸惑う様子を見せた。


「隣の春風です。今日は舞さんがゴミ捨てじゃないんですね」


 名乗りを受けた陸は、「ああ、お隣さん」と合点がいった様子を見せた。


「おはようございます。そういえば、引っ越しの挨拶をしたときに会ったね? もう、ずいぶん前の話だけど。本当はゴミ捨ては僕がやりたかったんだけど、仕事の都合でね」


 陽菜は彼の職を知っていたが、あえて「お仕事は何をされてるんですか?」と聞いた。


「一応は医師だよ。といってもまだまだ若手だけど。来月にやっと、滑りこみで球かが取れたんだ。制度的にはうちにもあったんだけど、男の育休はなかなかね」


 ということは、陸はもうしばらくすれば自宅に在中するということだ。舞が姑に意地悪をされる可能性がなくなる。それに「滑りこみ」と言った。おなかが目立つようになってけっこう経つ、もう臨月に差し掛かっているということだ。

 そう考えると、いまだに舞とスーパーマーケットで鉢合わせることに腹が立ってくる。仕事も仕事だし仕方ないのだろうが、陽菜は何かひとつ言ってやりたい気持ちになった。


「お母さんは何をしてるんですか? 買い物やゴミ捨ては舞さんばっかりですけど」

「心配してくれてありがとう。でも、おふくろはおふくろで右脚が悪くてね。僕も帰りにスーパーに寄ったりするけど、急患があるとどうしてもね」


 青い義憤を見透かしたのだろう、陸は苦笑を見せた。

 陽菜は出過ぎた真似をしたと頬を熱くし、小声で「失礼しました」と言う。


「気にしないで。舞も無理のない範囲では運動したがってるからね。でも、もし何かあったら、お隣さんだし頼ることもあるかもしれません」


 フォローを交えた社交辞令かと思ったら、陸はスマホを取り出した。

 彼は「舞とは番号を交換した?」と言いつつ操作をする。


「いえ、特には……」


 特にも普通にもないのだが、陽菜もスマホを取り出す。

 陸は舞に許可を得て陽菜に連絡先を教えてくれた。

 これでメッセージのやり取りができるようになる。

 もしも頼れる人がいないときに何かがあっても、陽菜が動ければ助けられるというわけだ。

 正直、上手くやる自信はないため、そういう事件は起こらないほうがいい。

 だが、憧れのお隣さんのストーリーに配役を与えて貰えたような気がして、陽菜は登校中にスキップをしたくなる気持ちに駆られたのだった。



「うわ、また変な顔してる」

 教室に入るなり、優花に茶々を入れられた。

「今度は何があったの? また彼氏でもできた?」

「同じネタ振られても困るんだけど。大した話じゃないよ」


 また優花に深掘りされるのかと気を重くするのもつかの間、「あ、そ。じゃあ、こっちの話を聞いてよ。陽菜っち最近、来るの遅いから待ってたんだよ」と、返された。

 登校時間を遅らせたことに関する弁明も面倒だなと思うも、優花は構わずに本題に入った。



「呪いの効果、あったみたい」



 優花は声を潜め、耳打ちをするように告げた。



「……山田結愛、死んだって」

「えっ!?」



 陽菜は声を上げて友人の顔を見る。

 背筋に悪寒が走った。

 同級生の死を告げるのにおよそふさわしくない顔。能面、(おきな)

 仲が悪いとはいえ、笑顔はないだろう。


「ウソだけど」

「だろうね」

「でも、月曜から登校してないよ」

「へえ、理由は?」

「コロったらしい」

「コロ?」

「ウイルスのやつ。金曜くらいから調子悪かったって。勘弁してほしいよね。絶対ほかにばら撒いてるでしょ。ま、いい気味。ついでに学校も休みにならないかな。そしたら感謝するんだけどな」

「学級閉鎖するくらい流行ってるの?」

「山田だけみたい。どう、呪いっぽいでしょ?」


 偶然の一致だろうが、優花は満足げだ。

 彼女はほかにも数人呪ったと言っていた。

 どうせ山田結愛の友人だろうから、時間差で発病する可能性もある。

 なるほど、それでまた呪いだと騒ぐわけか。よくできている。


「で、すっきりしたの?」

「まあね。気の持ちようってやつだよね」


 優花はおしゃべりも満足したらしく、「次は何飼おっかな~」などと言いながら自分の席に戻っていった。

 ペットを失った悲しみを埋めるためにすぐに次のペットを飼うという話があるが、あれはそういう感じではない。小学校からの友人ながら感心できない。


 昼休み。偶然だろうと片付けはしたものの、やはりなんとなく気になり、陽菜は山田と同じクラスの友人に探りを入れた。

 友人は「え、コロナ」と軽い驚きを見せた。この友人はわりあい交友範囲の広い子だと記憶していたから、彼女に情報が回ってこないということは、やはり山田はクラスで孤立気味なのだろう。

 去年のいじめの主犯格だったとはいえ、山田が少し憐れになった。呪い返しの片棒を担いだわけだし、あまりいい気はしない。もし、ふだんからメッセージのやり取りのある相手だったら、見舞いの言葉のひとつでも掛けただろう。

 メッセージアプリの「知り合いの知り合い」項目に「結愛」の名前がある。

 話しかけるわけではないが、陽菜は彼女の名前をタップしてみた。


 ところが、呪われた同級生のことなんてすぐにどうでもよくなった。


『烏丸 舞』


 お隣さんから新着メッセージだ。


『ちょっと愚痴を聞いてもらってもいいですか?』


 ……来た!


 陽菜は口元に手を当て、にじみ出る笑みを押し殺した。

『ちょうど昼休みです』と返事をすると、案の定、舞は典子への不満を語り始めた。

 陸の言った通り、舞は妊娠初期からしばらくは自発的に家事や運動を心がけていたそうだが、お腹が大きくなるとそうもいかなくなり、つわりの酷い日には食事のメニューを考えるのすら苦痛になったという。

 最初に大不調を感じたとき、典子は気遣う様子こそ見せたものの、実際に買い物の代わりを頼んだところ足が悪いのを理由に拒否されたという。

 仕方なく陸に可能な範囲で買い物を頼むようになったのだが、それが気に入らなかったのか、典子は厭味を言ったり運動を促す発言をしてくるようになった。

 その上、息子の前では「何も手伝わせてもらえない」などとこぼすのだという。

 そうして、出来合いの食事や外食が増えると、それはそれで「お金がもったいない」だとか、「何が使われているか分からない」と小言が増えた。

 特に舞は、先日は添え物のパセリを無駄にせず食べろと強要されたことに腹を立てていた。


 陽菜は鬼婆の仕打ちに憤慨し、相手の身内だというのに歯に衣着せぬ批判のメッセージを送った。


『酷いと思うよね』

『旦那さんは知らないんですか?』

『うすうす気づいてたみたい。というか、昨日なんだけど……』


 決定的な出来事があったという。

 昨晩、三人で食卓を囲んださい、赤ん坊の名前が議題に挙がった。

 舞には以前から陸とふたりで相談していた名前の候補があったのだが、なんの権利があってか、典子はそれに「軽薄」だの「お里が知れる」だのとの烙印を捺してことごとく却下、あまつさえ昭和やバブルを想起させるような堅苦しい名前を並べ立てたという。

 名前をひとつ挙げるたびに由来や画数を語り、必ず比較対象として却下した名前をこき下ろすというおまけつきだ。

 陸が「おふくろが却下した名前には僕が提案したものもあったけどね」と発言するまで、典子は止まらなかった。

 ふたりのメッセージ交換は、最初のうちは絵文字やスタンプを交えたものだったが、次第に色気を失い、代わりに気色ばんだ顔が画面の向こうに見えるような熱のこもった文章となった。

 陽菜がとうとう舞に加勢する意味合いを込めてツバメの件を暴露しようとしたとき、チャイムが昼休みの終了を伝えた。


 午後の授業は、まったく集中出来なかった。

 舞は『あの人には名前を決めさせないけどね』と息巻いていた。

 無論そうあるべきだろうし、おそらく陸も阻止するだろう。

 だが、わが子の命名権を侵害されかかったのは事実だ。

 それは、親としての誇りを踏みにじられることに等しい。

 配偶者は選べても、その家族は選べない。

 生まれてくる子の性質は選ぶことはできないが、名前は決めることができる。

 時に子にとって迷惑な話にもなるが、親から見れば仕方がない。

 陽菜はその観点から、命名権をとても重要なものだと考えている。


 陽菜自身も、己の名前にコンプレックスがあった。


 字面は可愛いと思う。太陽に向かって植物が目いっぱいに葉を伸ばす明るいイメージがある。

 だが、「ひな」は「雛」に通じるため、いつまで経っても大人になれないのではないかという不安を呼び起こすのだ。

 一方で、今の苗字の「春風」は非常に気に入っている。「陽菜」との相性も抜群で、自分の名前への不満を和らげてくれた。苗字の変更のさいに周囲との関係で少し煩わしい局面があったものの、春風姓を得たことは親の再婚で起こった変化の中で、紗鳥との出会いに次いでポジティブなものだ。

 ちなみに、旧姓である「巳住(みすみ)」はどうも字面が不格好だし、巳の字がヘビを意味するものだと分かったときには、陽菜はうんざりといった感じに舌を出してやった。


 陽菜は帰りの道すがら、舞と陸の子供の名前を想像する。

 ふたりの名前が偶然にも漢字で一文字だから、産まれてくる子も一文字だといいかもしれない。

 お互いに空と陸のイメージがあるから、そのあいだにあるものや、海にまつわる名前だとおしゃれかもしれない。そういえば、あれだけやり取りをして子供の性別を聞いていなかった。女の子なら「うみ」と読んで、男の子なら「かい」だろう。


 もちろん、これは妄想にすぎず、陽菜は決してそれを口にすることはない。

 烏丸家の物語において、自分は脇役に過ぎないのだから。

 だが、脇役でも何か出番があれば充分だ。

 典子は自身も脇役にすぎないことを理解しなければならないだろう。


 陽菜は次の妄想を巡らせつつ、家路を急いだ。


***

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