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色とりどりのフェルトや布をカゴに入れ、続いて中に入れる綿を探す。
裁縫や手芸は専門外だ。それをわざわざネガティブな目的で作ろうなんて、どうかしている。
それでも陽菜が百均の手芸コーナーに来たのは、なんでもいいからツバメに関連したアクションをしていないと落ち着かないからだった。
一刻も早く営巣の観察に移りたいところだったが、あいにく機材が届くのは明日の予定だ。
いったん学校から帰宅したさいに覗いたときには、おそらくメスと思われるツバメが巣に鎮座していた。卵を産み足しているのかもしれない。
魔女が邪魔できないように、魔女のぬいぐるみに針を刺しておかねば。
と、勇んでやってきたのはいいものの、カゴの中に材料が増えるたびに面倒な気持ちが勝っていった。
……やっぱり、呪いなんてばかばかしい。お金と時間の無駄でしょ。
怠惰な言い訳をもてあそび、商品を返そうかと思案し始めたとき、ベージュのヒト型をした商品が目に入った。
手のひらサイズのヒト型になっているぬいぐるみの素体だ。百円ではないものの、これをベースに作れば手間を大幅に省いてぬいぐるみが作れるというわけらしい。
よく見たら、「推しぬい」専用のコーナーがあるではないか。
服も完成品が売っていた。髪もフェルトを切って貼ってでよさそうだし、労力としては目の縫い付けくらいだろうか。なんだ、それも専用のシール素材が並んでいる。
しかし、なんでもテンプレートを利用したらつまらない。
陽菜だって一応はデザイン畑だ。こだわりがある。
作成を検討したときにイメージしておいた「ボタンでできた目玉」のために、カラフルなボタンも用意しよう。これもつぶらな黒目が作れる専用商品があったが、あえて普通のボタンを流用することにした。
しぼみかかっていたやる気を取り戻し、商品点数も気にしないでカゴに追加の材料を放りこんでいく。
忘れずにボールチェーンの部品も買っておこう。やはりどこかで「呪いなんて」という気持ちもぬぐい切れず、これはある種の言い訳でもあった。
材料費の総計がぬいぐるみそのものが買えるくらいに達したが、そのくらいのほうが逃げ道を断てていい。
道具に関しては、小学校のころに買わされた裁縫セットがある。あとは糸と待ち針だけ買い足しておこう。
こういうときだけは、両親が仕事を優先する家庭に感謝する。小学生の時分から生活費用の口座を管理していた陽菜にとっては、自身のおこづかいの調整もお手の物だ。
帰宅し、家事の合間にネットで調べながらぬいぐるみ制作を進めていく。
裸の素体を前にしてまた億劫になっていたが、イメージに近づいていくたびに愛着が沸いてきた。
手始めに取り掛かったのは、どうせ針を突き刺すからと練習を兼ねた魔女だ。ところが、なかなかどうして可愛い。
あとから気づいたことだが、初めから魔女を作る予定があったせいか、素材に黒、紫、オレンジが多かった。ハロウィンにしては気が早いなと苦笑する。
この調子だと、針は刺さずにカバンにぶら下げることになってしまうだろう。
まあ、それはそれで悪くない。学校にも推しキャラクターを真似て作ったぬいぐるみをぶら下げている子がいる。余談だが、中には「付き合ってる彼氏」をぶら下げているませた子もいる。
美術部活動をそっちのけで手芸に血道を上げるのはどうかとも思うが、こうして女子中学生らしく流行りに乗れば、自分も「普通」になった気がしてくる。
陽菜は思う。
やっぱり、わたしの中にあるのは「呪い」じゃなくて「願い」なんだろう。
材料を買い足して、家族全員ぶんの人形を作るのも悪く――。
――ツピッ!
陽菜は立ち上がった。回転椅子が勢いよく部屋のまんなかまで滑る。
ツバメの鳴き声だ。それも、警戒音!
取るものもとりあえず、薄暗い庭へと出る。
春風家の正面の道路にある電線に目を凝らすが、ツバメはいない。
そういえばねぐらまでは把握していない。この電線は開放的すぎる。
とにかく、うちのつがいのツバメが何かに驚いて逃げた可能性があった。
ツバメは巣の建築、産卵、雛の誕生と進むにつれ、営巣を諦めなくなると聞いているが、今の出来事で巣と卵を放棄しないだろうか。
陽菜の心臓は高鳴っていた。
懐中電灯はおろか、スマホすらも持ってきていない。
取りに戻るか? いや、ここでイレギュラーに灯りなど使えば、本当にツバメが戻らなくなるかもしれない。
陽菜はすごすごと家の中へと引き返した。
着席して手仕事に戻ろうとするが、もうそんな気分ではなくなっていた。
集中しすぎていたらしく、いつの間にか日付の変更も近い。
枕に頭を沈めて、ツバメが鳴いた原因を考える。
カラスは昼行性だ。ヘビはいない……と思う。野良ネコや地域ネコはこの地区にはいない。野山から離れているし、イタチだのハクビシンだのも出そうにない。
やはり魔女の仕業なのではないか。あいつがツバメを追い払ったのだ。
あんなやつは呪術にて罰するべきなのだ。
確証もないまま犯人への罵詈雑言や罰を考えているうちに、陽菜は眠った。
……深夜。あるいは明け方まえだろうか。
陽菜は、何かの気配のようなものを感じて目覚めた。
この家の二階には陽菜の部屋、かつて陽菜の実父が使っていた紗鳥の部屋、そして今は物置状態となった実父の作業部屋がある。
作業部屋自体に用事はないが、ベランダにつながっているため、洗濯物を干すさいによく出入りをしている。
ベランダから身を乗り出せば、雨どいのそばの巣を見ることができる。
しっかりと見るには踏み台か何かを使う必要があってあまり安全ではないし、カメラを設置するまでの辛抱だと思い、陽菜は一度しかそこから巣を覗いていない。
陽菜の脳裏には、烏丸邸の白い壁についた泥の跡が浮かび上がっていた。
作業部屋の窓を開けると、少し青臭い空気が鼻を衝いた。
外の世界は静謐さが支配していた。
まるで音という概念が消えてしまったかのようだった。
陽菜は回転椅子を持ち出した。
それをベランダに置くと、陽菜は座面の上に乗り、手すりをつかんで身体を支えながら、樹木の枝が伸びるように身を乗り出した。
……あっ!
声は出なかった。否、出せなかった。
陽菜はツバメの巣よりも先に、眼下の光景に視線を奪われた。
踊っていたのだ。
枝の束のような、冬の葦原のようなものが、左右に大きく、頭を振っていた。
ふいに、視界が上へと大きく移動した。
陽菜はぼんやりと考える。これは、椅子のキャスターが回転する音だ。
次の瞬間、全身を浮遊感に支配された。
衝撃が身体を突き抜ける。
遅れて、臀部と両の手のひらに痛み。
視界いっぱいにベランダの壁。どうやら、ベランダ側に落下したらしい。
あれだけ身を乗り出していてこちら側に落ちたのは、幸運というよりは奇跡に近かった。
初夏だというのに、氷風呂に飛びこんだかのように全身が冷えていた。
立ち上がる。大きなケガをした感触はない。
痣ができているかもしれなかったが、陽菜は捨て置いて今度は椅子を使わずにベランダから下を覗いた。
……誰もいない。
さっき見たのは、なんだったのだろうか。
見間違い? 勘違い? 夢? ……あるいはおばけ?
さすがに庭に出て確認する勇気はなかった。
首を傾げつつ部屋に戻り、横になると瞬く間に朝となった。
あまりにも早い明けへの転換に、昨晩に見た光景やツバメの悲鳴は幻だったのではないかと考えてしまう。
だが、あれは現実だった。確かにツバメは鳴いたし、庭に何かがいた。
それに何より、したたかに打ちつけた臀部が痛い。
玄関の扉を開けると、陽菜は淡い朝の光に包まれた。
まばたきひとつ。すると、青黒く光る物体が家の前を横切った。
ツバメだ。電線にも、燕尾の長いもう一羽がいる。
オスツバメはまるで陽菜を待っていたかのようにさえずり始めた。
ここは自分の縄張りだ、その子は自分の伴侶だと主張するものだろう。
巣も健在。陽菜の祈りも願いも、まだ果てていない。
「よかった……」
ため息とともに腰から力が抜け、思わず庭にへたり込みそうになるも、膝に手を当て、すんでのところで踏みとどまった。
すると、地面に何かが落ちていることに気づいた。
枯草のような、藁のような物体。
陽菜はそれをつまみ上げると、烏丸家を睨視した。
どんな顔でにらんでいるのか、よく分かっている。
これは能面のひとつ、般若だ。
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