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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
11/25

page.15

「エモ~~い!」


 振り向こうとした瞬間、背後で大声が上がり、ふたりは肩を跳ねさせた。


「娘たちが手を握りあってる姿が見れるなんて。お父さん感動だなあ」


 拓也である。彼はポケットから何かを取り出すしぐさをすると、透明のハンカチで涙をぬぐった。


「お父さん……」

 紗鳥の声は嫌悪をまとっていた。

 陽菜も、せっかくのしあわせタイムに水を差されて不快感を顔面に表す。


「ふたりそろって、何をしてたいんだい?」

 拓也は、ひょこひょこと跳ねるような足取りで近づいてきた。

 ふたりは黙っていたが、拓也は知っていたかのように視線を上へと向けた。


「ははあ、ツバメの巣か」

「壊さないでください! お願い!」


 陽菜はとっさに懇願していた。胸の前で手を握り合わせてもいた。


「まさか! 壊さないよ。懐かしいなあ。俺も小学生のころ観察したことあるよ」

 拓也は感慨深そうにうなずくと、視線を巣に戻す。

「雨どいに作らなかったのは正解だ。巣が崩れやすい。陽菜ちゃん、この辺でヘビは見たことある?」


 急にヘビと言われ慌てるが、記憶を辿れば、小学生のころに田んぼのそばの通学路でぺしゃんこになっているの見たのが最後だと思い至る。


「滅多に見ないと思います」

「カラスは?」

「昔はゴミ捨て場に来てましたけど、最近は」

「そういえば、金属のごついボックスだったね。ということは、気をつけるのはスズメと同族くらいか」


 紗鳥が訊ねる。「同族って、ツバメ同士で喧嘩するの?」

 訊ねられたのは拓也だったようだが、陽菜は鳥オタクから聞いた知識を引き出して代わりに答えた。


「メスを見つけられなかったオスが邪魔をして卵や雛を落としちゃうの。営巣に失敗した旦那さんは捨てられるし、子供を失った奥さんはまた次の相手を探すモードになるんだって」

「そうなんだ……。ちょっと意外」


 紗鳥は眉をひそめた。

 横で拓也がなぜか耳を塞ぎながら「陽菜ちゃん詳しいね」と言った。


「じゃあ、スズメは?」

「餌場争いとか巣の乗っ取りとかで雛を攻撃するんだって」

「あんな小さな鳥なのに狂暴なんだ……。ちょっと見る目変わっちゃうね」

「スズメは瓦の屋根の隙間に巣を作ってたから、最近は場所がないって」

「そっか、みんな居場所がないのか。大変だね」


 自然は厳しい。といっても、人間の暮らしの変化のあおりを受けてのことだが。

 最近は瓦屋根はもちろん田んぼも減り、スズメは電柱のパイプに巣を作ることが多いという。

 これもまた、電柱を地中に埋める計画で近い将来、憂き目に合うだろう。

 ツバメはツバメで餌場が減ったのはもちろん、泥をつけにくい材質の壁が増えてきて、営巣場所が密集しがちになる。加え、「クレーム」が繁殖を許さないことも珍しくない。


「よしっ!」

 と、大声量と同時に、手を打つ拓也。またも姉妹はびくりと肩を跳ねさせた。

「今度、カメラを設置しようか。使ってないノートパソコンがあるから、それをリビングに置けば、外に行かなくてもみんなで観察できる」


「本当ですか!?」

 陽菜は拓也を上回る大声を出した。紗鳥だけがまた驚いた。


 カメラでの観察。名案だ。

 というか、陽菜はかねてからそれをやってみたかった。

 ツバメの巣を観察しているライブカメラの映像を、動画サイトでよく見ていた。


「機材も今から注文すれば明後日には設置できると思う」

「ありがとうございます、お父さん」

「お父さんって……。なかなか現金だね、きみ」


 拓也は苦笑いをしたが、満更でもなさそうだ。



 それから数時間後、陽菜は日のあるうちにツバメが巣に居座っているのを見つけた。

 そう、母ツバメが卵を産み始めたのだ。



 カメラの設置が待ち遠しい。陽菜が義父に対して何かを期待したのは、再婚した直後いらいのことだ。

 紗鳥のほうは庭では拓也が現れてからことば少なだったが、室内に引き上げてからは、『観察、楽しみだね』とメッセージをくれている。

 これで母もツバメに興味を示してくれれば、春風家の共通の話題が生まれる。陽菜はそういった淡い期待を胸に宿した。

 ツバメの巣は美術部の夏の作品づくりのテーマにもいいかもしれない。


 その日の日記は、明るい調子で綴られた。


 さわやかな気持ちで迎えた月曜日の朝。

 陽菜は少し遅めに家を出ることにし、朝食の支度を済ませたあと、紗鳥や拓也の部屋の扉をノックしようと考えた。

 ところが、サンドウィッチの食材を切っていると紗鳥が現れ、一緒に支度をするという嬉しい誤算にあった。

 拓也も用事があったのか、いつもよりも早いタイミングにスーツ姿で現れ、食卓にコーヒーの香りを漂わせた。


 家を出るさいにはもちろん、ツバメの巣をチェックした。

 まだ抱卵には入ってないらしく、ツバメの夫婦は家の前の電線に仲良く止まっていた。


 今週は幸先のいいスタートが切れた。

 陽菜の足取りはスキップし始めそうなくらいに軽い。



 家の敷地を出た瞬間だった。



 早足で去っていく壮年の女の後ろ姿があった。

 烏丸典子だ。

 陽菜は、彼女の背中になんとなく嫌なものを感じた。

 綺麗な水の張られた瓶に、メスの蚊が尻をつけるような、些細だが不快なビジョンが思い浮かぶ。


「……おはようございます!」


 あえて大きな声で、元気よく声を掛けてやった。

 隣家の姑は、声を受けて背中を瞬時に丸めるようにし、恐々というふうに顔だけでこちらを振り返った。

 口元が引きつっており、黄ばんだ歯が薄い唇のあいだから覗いている。


「おはよう、陽菜ちゃん」


 こちらの名前を覚えているのは意外だった。

 春風家の娘さんの下の子、くらいの認知度だと考えていた。

 家庭環境も嗅ぎつけているのだろうかと思うと、やっぱり不快だ。


 典子は挨拶をするさいに、笑顔を作っていた。

 よそゆきの、愛想たっぷりの笑顔だ。

 それは、陽菜の目にはまるで魔女が悪だくみをしているかのように映った。


 典子は挨拶だけすると、足早に烏丸邸へと帰っていった。

 門をくぐるさい彼女は空を見上げ、何かをにらんでいた。


 ……もしかして。


 陽菜は思い至る。

 典子は、春風家のツバメの巣まで破壊しようと考えているのではないか。

 あの魔女は、どういうわけかツバメが憎いのだ。

 陽菜は思う。

 ひょっとしたら、何か難癖をつけて巣の撤去を要求してくるかもしれない。

 断固として認めない。絶対に。絶対に。

 だが、陽菜もバカではない。互いに持ち家に暮らすお隣さん同士だ、トラブルになるような態度は避けねばならない。

 相手が何か言いだす前に、観察を楽しみにしているとか、学校の課題などに活用しているなどと言って釘を刺しておくべきだろう。

 拓也は明日の火曜日のうちに機材が届き、朝早くに届けば火曜日の日中、遅くとも水曜日の午前中にはカメラをセッティングしてくれると胸を叩いてくれている。

 いくらツバメぎらいでもそこまでするとは思えないが、監視カメラがあれば、敷地に入って巣を落とすことはできなくなる。

 いや待てよ。巣外に居る親ツバメが狙われる可能性はないか?

 巣を壊さずとも、なんらかの形で親を追っ払ってしまえばいい。


 考えれば考えるほど不安は募り、息が詰まりそうだ。


「難しい顔。恋でもしてんの?」


 優花である。ツバメと魔女について思考を巡らせている内に、いつの間にか教室に到着していた。

 陽菜は「そんなとこ」と、テキトーに返事をした。


「みんな大変だ! 春風陽菜が恋してる!」

 優花が何か言ってる。教室の端のほうで男子が一人、椅子から転げ落ちた。

 教室内が静かになり、陽菜はいくつかの視線を感じた。

「お相手のかたは、どのようなかたですか!?」

 お調子者がペンケースをマイク代わりに向けてきた。


「夫婦」

 ツバメの、だが。

 うるさい友人は無言で両腕を上げて驚きを表現した。

 それから、彼女はすっと表情を消すと頬が触れ合うほどに顔を近づけた。


「相手の奥さん、呪う?」


 優花は笑っていた。狂言に使われる面の恵比寿(えびす)のように。

 細めた目が黒い弧を描き、上の歯列と舌を覗かせながら頬に小高い丘を作った笑みだ。


「夫婦の仲を邪魔する人がいるんだよ」

「ふうん? 呪う?」


 恵比寿面のまま顔を傾げ、優花が問う。

 陽菜はそれも手かと思ったが、友人の息が顔に掛かるのに気づくと、彼女を押しやり、「冗談だよ。家にツバメが巣を作ったの」と弁解した。

 優花は「なんだ」と興味を失った。聞き耳を立てていたクラスメイトたちも各々の雑談に帰っていった。日直の仕事をしていた約一名の鳥オタクだけは、こちらに視線を向けていたが。


 しかし、呪いか。

 陽菜は放課後に百円ショップに行こうかと考えた。


***

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