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ラクチョウ  作者: みやびつかさ
陽菜の物語
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page.1

 ――おとぎばなしのヒロインが願うことは、いずれ誰かが叶えてくれるようになっている。


 ――けれども、最後は必ずみずから立ち向かわなければならない。



***


 最寄りのバス停では崩落。原因は不明。

 駅前のスーパーにはふたつ。どちらも経過観察中。

 通学路の途中にある家は、ゴミ捨て場にカラスが集まるから、きっとダメ。

 保育園には毎年来るけど、今年はオスがさえずるだけでメスの姿はまだナシ。


 少し話はそれるけど、優花のうちで飼っていた一号さんが死んだらしい。

 部活から帰ってきたら、網の上で冷たくなっていた。原因は不明だそうだ。

 ピンク色のくちばしが青白くなっていて可哀想だったと、優花は泣いていた。



 それはいいとして――。



 春風陽菜(はるかぜひな)はシャープペンシルを置くと、椅子に座ったまま、ぐんと背伸びをして日記帳を閉じた。

 日記帳は深い緑のフェイクレザーに、銀色の箔押しという大仰な装丁だ。

 その傍らには、まっかなサテンのリボンが置いてある。

 そっと手をかぶせるようにしてリボンを取り、日記帳が開かないように結んだ。

 キレイな蝶結びだ。偏りも傾きもない、キレイなキレイな蝶。

 鍵替わりには頼りないそれは、小学生のころに母親から蝶結びの練習用として毎日するように命令されてから、ずっと繰り返されている。

 命令した当人はきっと、とっくに忘れているだろうが。


 陽菜は窓に歩み寄り、レースのカーテンを開けて隣家を見た。


 新築の香りをさせた白い壁が、傾きかけた日光を受けてまぶしく輝いている。

 屋根はこれ見よがしに赤く、庭は手狭でも短い芝が青々と茂る。

 烏丸(からすま)家の若い夫婦が建てた愛の巣だ。


 陽菜は烏丸夫婦が好きだ。


 お隣さんとしては挨拶をするだけの関係だが、夫婦が交わし合う視線とか、触れ合うときの抑揚とかを見ていると、ふたりがお互いにお互いを選んでしあわせになったのだということが、確かに感じられるからだ。


 完璧なふたりだ。


 夫の眼鏡の奥の優しそうなまなざしは、陽菜の家族にはもちろん、同級生の男子や、これまで出会った大人の男にはないものだった。

 妻は美容院を欠かさず、おのれを飾る姿には中学生の陽菜にはまだない確かな目的が感じられる。そして、彼女は着る服が月日を追うごとに次第にゆったりとしたものへと変わり、下腹部のふくらみも隠せないようになっていた。

 そして職業は社会的にも重宝される医療関係者で、若き男性医師と元看護師と来た。


 ……ちちちっ。


 陽菜の視界に、黒いものが宙を横切った。

 ここからでは陰になって見えないが、烏丸家の裏手には、「もう一組の家族」がいた。


 耳を澄ますと、親鳥が戻ったのを察知した雛たちのコーラスが聞こえる。

 陽菜は必死に生きようとするその歌が好きだった。


「選んだ」


 陽菜はひとり呟く。

 ツバメのつがいは烏丸家の軒下を選んで営巣を始めたのだ。

 クラスメイトが言っていた。鳥は愛情深い生き物であると。

 雛や卵を決して見捨てず、片親になろうとも育児を諦めないと。


 再びツバメが横切った。再び、いのちのうたが聞こえる。


 ツバメが営巣を始めてから、陽菜はいっそうお隣さんが好きになっていた。


 しかし、陽菜は思うのだ。

 どうせなら、うちに営巣してくれればよかったのにと。

 そして、陽菜は考えるのだ。

 なぜヒトは、鳥のようにただひたむきに家族を創れないのだろうか。


 陽菜の母親は家に寄りつかず、たまに見かけても娘をいさめるばかり。

 父親は消え、新たに来た父親は変わり者で、好きなことばかりしている。

 初めて会ったときにはあんなに憧れた義姉も、いつしか茶色く痛んだ髪になり、制服とカバンを持って高校ではないところへと出かけるようになった。


「わたしは選べない。決められているから」


 誰にでも物語はある。

 だがこれは、陽菜が書いたシナリオではないのだ。

 子供は家族を選べない。まだ人生を決めることができない。

 おとぎばなしのように、幸も不幸もただ受け入れるしかない。


 だから、陽菜は願いを掛けることにした。

 おとぎばなしのヒロインのように、できることはそれだけだから。



 ――もしも、あのツバメの雛たちが無事に巣立てたら、わたしも将来はしあわせな家族を創ることができる。



 両手を握り合わせ、願ってから目を開けると、ちょうどツバメが窓の外ぎりぎりを横切った。


 長い燕尾と赤い喉。高級な光沢を持った羽毛は、光の加減で青くも見える。



「しあわせの青い鳥」



 陽菜は立派なツバメの姿を網膜に焼き付けると、口の端をほころばせた。

 しかし、くちびるは不意に引き締められ、陽菜は反射的にカーテンを引いた。


 人が出てきたのだ。

 烏丸邸から現れたのは夫婦のどちらでもなく、夫の母親――姑、烏丸典子(のりこ)――だ。

 よぼよぼではないが初老で、夫婦の若さに対しては年増に見えた。


 典子は目だけをぎょろりと動かすと、視線で宙の何かを追った。

 それからさも憎々しげという様子で眉間にしわを寄せると、庭を進んで裏手のほうへ向かっていった。


 陽菜は、カーテンの隙間から確かに見た。

 あの女は「ホウキ」を持ってる。

 それも、昔から読み継がれた児童書でしか見かけないような魔女の持つ、穂先の長い麦藁のホウキだった。


***

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