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雪の妖精と素敵滅法な向日葵の話

※激しく頭の悪い小説です。心の広い方のみの閲覧を推奨します(笑)

 Snow

 雪が降っているみたいです。私はお花が大好きです。


 Sun

 少し眠くて、俺は小さく欠伸を漏らす。でも、寝てしまうわけにはいかない。俺は冬が大嫌いだ。


 Player

 寒くてかなわない。まあ、これが季節なんだろうけど。ありゃ、煙草切れてんじゃん。


 Scent

 今日も素敵な、木々の香り。空は暗く淀んでいるけど、私はさっぱり上機嫌です。


 Hound

 雪は冷たい。でも僕は好きだ。ストーブはあったかい。だから僕は好きだ。


 Thief

 手にぴったりと張り付く手袋を着けて、精巧な仮面を被る。どうやら、外は真っ白だ。


 Teller

 向日葵は夏の花である。そんなことは日本人なら誰でも知っているような至極当然かつ自然なことで、今更そんな当たり前の事柄を語られたところで、「だから?」と言われるに違いない。

 そう、確かに違いないのだ。だが、ここでもう一度その事実を確認しておくことにしよう。

「向日葵は夏の花だ。夏に咲いて、秋には散るよ。当然だろ」

ニコチン切れで多少苛ついた声で、背の高い、髪を一つに束ねた女性は吐き捨てた。目の前に佇む椅子を蹴飛ばしそうな剣幕で、彼女にくだらない質問をなげかけた人影を睨み付ける。睨みつけられた女性、香子は、そんな剣幕には少しも怯むことなく、あらあら、と頬に手を当てて、言う。

「駄目よ祈子。そんなお下品な言葉を使っちゃ」

「うるせぇ、口答えしてっとクビにすんぞ」

「あらあら」

「……ちっ」

どうにも落ち着きはらった香子に毒気を抜かれ、祈子は香子と自分との間にある先程の椅子を、蹴飛ばす代わりにがたりとわざと大きく音を立てて座った。祈子にとって、本来なら雇用者被雇用者の関係であるところの香子は、どうにも天敵だった。祈子も馬鹿ではない。むしろ、彼女は多少一般と呼ばれるそれとは違う人生を送ってきたためか、他の同年代より遥かに達観した人物であるのだが、それでもなお、常日頃から片時も笑みを崩さない香子は、何を考えているのか全く分からない、祈子の苦手とする人種だった。ちっと、祈子は今度は音にせず、舌打ちをする。立場上、香子をクビにするのは簡単だが、しかし、祈子とて経営者だ。個人的な思想に基づいた軽率な行動がどういった結末を導くのかぐらい、理解している。それより、どうしようもないことに、彼女は苦手としているはずの香子という人間を、嫌いにはなれなかった。そうでなければ今日までおよそ五年間、同じ職場で顔を合わせることなど、出来るはずがないのだ。

 祈子は一度だけおだやかな微笑みを湛える香子の顔を見ると、直ぐにその奥、ガラス張りの壁の向こうへ、目をやった。薄いガラスを挟んだその先には、室内にも関わらず無数の木々が、草花が、思い思いの形をなして鎮座している。当然だ。ここは、植物園なのだから。


「綺麗な場所ですね。私はここが好きです」

上方から声が降ってきて、太陽は目線を上げた。床につきそうなほどの長さを持つ、美しい銀髪の少女が立っていた。蒼く透き通った瞳と自分の黒いそれが重なって、彼は咄嗟に顔を背ける。そんな自分が酷く矮小に思えて、太陽は心中自らを罵った。ようやく少女と目を合わせ、地面に座り込んだそのままの姿勢で、応える。

「そうだな」

「はい。ところであなたは、どなたですか?」

質問の順番が逆だろうと、彼は思ったが、しかし口には出さず、答える。

「太陽。ここの『番人』だ」

背一角には彼の後ろに一本だけ咲いている向日葵の番人なのだが、やはりそれは口にはしなかった。

「太陽さんですか。素敵滅法なお名前です。私はお日様も大好きですから」

「そうかよ」

恐いくらいに無邪気に笑う少女から再度目を逸らし、太陽は素っ気なく応じる。変な奴だな、と思った。

「お前こそ、誰だよ」

社交辞令だと内心呟きつつ、彼はまた少女に向き合った。何が嬉しいのか、少女は先ほどよりもさらに喜色満面の笑みを浮かべる。

「はいっ、私は雪の妖精さんです。雪、と読んでくださってかまいませんっ」

「そうかよ」

またも目を逸らして、太陽は息を吐く。矮小だ、卑小だと、何度も、卑下する。彼は自分が嫌いだった。今すぐにでも自らの喉を掻っ捌きたい衝動に駆られて、太陽は慌てて自分の後方、高く天井を向く向日葵の方を見た。はち切れそうな気持ちを落ち着かせて、彼はようやく、口の端を上げて笑った。自嘲に見えて、それも嫌だった。

「美しい向日葵ですね」

後方から声を掛けられ、太陽は頷く。この向日葵は、本当に美しい。こんなにも小さい自分の存在すら、認めてくれるようだ。だから彼は、強く言った。

「当然だな」

その答えが嬉しくて、雪はまた、笑った。

「はい、悲しいです」


 わぅ、と一声、犬の鳴くのが聴こえて、祈子は足元を見た。どこか黄色がかった赤褐色の柴犬が、ゆったりと尻尾を振りつつ口に咥えた封筒を差し出している。ああ、と彼女は柴犬の咥えるそれに手を伸ばす。

「ご苦労さん、中納言」

言って、中納言と呼ばれたその雄犬が郵便物を話すのを確かめてから、彼の頭を無造作に撫で回した。中納言は嫌がる素振りも見せず悠然と、しばし撫でられてから、祈子の足元を離れてテーブルを挟んだ向かい側に位置する香子の元へと移動した。香子は少し笑って、中納言の背中あたりに手を置いた。

「相変わらず、お利口ですね、黄門様」

「何度も言うけどな香子。そいつは中納言だ。黄門様じゃねぇ」

「あら?いいのよ祈子。光圀様は中納言だったんですもの。同じ役職なら、ご高名な方の名を付けてもらった方がいいですよねぇ、黄門様」

話しかけられた中納言は、特にどちらにつくわけでもなく黙ってその場にしゃがみ込む。人間の会話に混ざるつもりは、どうやら無い様だった。

「興味無いってよ」

祈子は軽く言うと、受け取った封筒を差し出し人も確かめずに破り開ける。香子が「はしたないですよ」とか言っているが、無視した。質素な便箋に並べたてられた文面を見て、首を傾げる。

「なんだこりゃ、悪戯か?」

文面には、特に細工を施しているわけでもない不格好な字で、こう書いてあった。

『前略

   今夜零時、当植物園の向日葵を頂く故、用心なされるようお頼み申す所存。

                                 大泥棒 保助』

犯行予告である。今時これは無いだろうと思いつつも、少し興味がわいて、香子にも見せてみる。

「あらあら、これは困りましたね」

「そうか? 筆跡と名前晒すような間抜けだろ? 悪戯か何かだって」

「いえ、この『ほすけ』さん、よっぽど自信があるのかも知れないわ」

「ふうん。まあでも、面白ぇ。太陽に伝えてやろうか。あのガキあそこの向日葵から離れねぇだろ」

「そうね。でも、お客様がいらっしゃったら困るから、祈子はここにいて。私が伝えてくるわ」

「やだね。煙草も切れてっし、私が行ってくるよ。お前が受け付けやってろ」

「はいはい」

席を立つ口実を得た祈子は、したり顔で部屋を出る。香子は「まったく、もう」とでも言いたげな表情を浮かべてはいたが、言わず、扉の向こうに消えていく上司兼友人に、ただ一言だけ、声をかけた。

「体に毒よ、祈子」

「うるせぇよ」


 保助は最初、柴犬が自分を追いかけてくるのを見た時、正体がばれたのではと焦っていた。今の自分は、子の休日に暇を持て余して植物園に足を運んだ成人男性にしか見えないはずであるのだが、しかし、動物には人に無い感覚があるという。他の客に怪しまれぬよう、平静のまま柴犬の頭を撫で、少ししてから離れる。今夜の仕事の下見に来ただけなのだ、そんなにあ節必要は無い。相手は犬だぞと、自分に語りかける。案の定、犬は別段吠えたてるわけでもなく、静かに彼のもとを去って行った。ようやく一息つき、彼は目当ての花を探して園内を歩き回る。まさに目玉商品らしく、『枯れない向日葵』は、園内の丁度中心に位置する座標に、どうどうと咲いていた。その花の中腹あたりまでを囲う柵に少年が寄りかかっているのを見つけ、保助はその中学生にも高校生にも見える少年のもとに行き、尋ねる。

「なあ君。これがあの『枯れない向日葵』かい?」

「そうだよ。この花は、他のどれより美しい」

うっとりとした風に言う少年に礼を言って、保助はその場を離れることにした。下見はこれで十分だろう。後は、予告状をポストに入れていくだけだ。

「綺麗な場所ですね。私はここが好きです」

「そうだな」

背後から、歳ほどの少年と少女の話し声が聴こえてきた。


 郵便受けのドアを爪を引っ掛けて開き、中納言は中の封筒を咥えて主人である祈子の元へ向かった。匂いでわかるが、これを投函したのは先刻の青年だろうと思う。見たところ、彼は泥棒を生業としている人種の様だった。この封筒の中身は予告状か何かだなと得心する。

 中納言は人間が好きだった。人は皆一様に、利益を目指し、己の信念に向かって生きている。どのような主観であれど、中納言は人を好いていた。

 祈子のいる部屋のドアを跳躍して開け、入る。彼女は、入口に背を向ける形で椅子に座っていた。寄って行って封筒を渡すと、彼女は「ご苦労さん、中納言」と言って中納言の頭をくしゃくしゃに撫でた。少し経ってから、タイミングをみて向かい側に座る香子の元へ歩いた。彼女は微笑み、背にポンと手を置いてくる。

「相変わらず、お利口ですね、黄門様」

香子がそういうと、祈子が即座に中納言の呼び名を訂正した。役職だとか高名だとか言っているのを耳にしつつ、しゃがみ込む。室内は暖かい。少し寝ていようかなと思い、彼はそのまま目を閉じた。


 雪のちらつく外気の中、保助は今しがた出てきたばかりの植物園の周囲を歩き回っていた。勿論、今夜予定している仕事の経路確認のためだ。予告状を出した以上、真偽の疑いはあるだろうが警備員を配置する可能性はある。可能性が一パーセントでもあるのであれば、しっかりと予定を立てて事に臨むのは、本職として当然のことだった。

ドーム状の建物を一通り回って、侵入経路を確定する。これで前座は終了。後は、その時を待つのみだ。「人事を尽くして、天命を待つ」泥棒の身で使う諺では無いなとは思ったが、保助は呟いて、植物園から離れることにした。しかし、

「あら? どうかなされましたか?」

振り返って帰路に就いた保助に、おだやかな女性の声が届いた。女性は彼の正面に悠然と立っていて、底の見えない微笑を、顔に浮かべていた。どうにもその姿が超然とした女神の様に見えて、彼はたじろいだ。が、すぐに平静を取り戻し、応じる。

「いえ、実は、道に迷ってしまって。この建物の周りを一周してしまいました。はは、どうもこの辺は不得手でして」

「あらあら、そうでしたか。そういうわけでしたら、ご案内しますよ。どちらからいらっしゃったのですか?」

「はあ、○○町です」

「でしたら、あちらの道をまっすぐですよ。どうぞ、お気をつけて」

「ええ、どうも、ありがとうございます」

保助は礼を言い、彼女の隣を抜けて説明された方向へ歩いた。ほっと一息ついた矢先、また、声をかけられる。

「あの、あなたとはまたお会いしそうな気がしますから、是非、お名前を伺いたいのですが」

「え? ああ、勿論。自分は、大川と言います。それでは、失礼」

「はい」

保助が路地を曲がるまで、女性はやはり悠然と、彼の背を見送っていた。


 「おうガキ。そいつ誰だ? 彼女?」

「違ぇよ」

何の前触れもなくひょっこりと顔を出した祈子に、太陽は目線をずらしつつ答える。彼が毎日のように通い詰めているこの植物園のオーナーである祈子は、贔屓にしているいつもの銘柄の煙草をふかしている。植物園で煙草を吸うなよと太陽は常々思うが、言ったところでこの女は聞き流すに違いないので、黙っておく。なぜ植物園を開いたのか、甚だ疑問だった。

「何だ違ぇのか。んじゃ何? 誰?」

祈子の無遠慮な目線を気にもかけず、雪が答える。

「雪と言います。花が見たくて」

「ふぅん」

答えを聞いて、それきり興味を失ったかのように、祈子はまた太陽に向き直った。左手で煙草を持ち、白い煙を吐きながら空いた右手でズボンの後ろポケットかた封筒を取り出し、彼に投げ渡す。

「なんだよ」

「興味深いこと書いてっから、読んでみ」

にんまりと笑う祈子を訝しげに見ながらも、太陽は受け取った封筒の中身を開いた。さっと目を通し、瞬間、一瞬前とはまるで別人のように、憤怒の形相を浮かべた。手の中の便箋を握りつぶしつつ、叫ぶ。

「ふざけやがって、どこのどいつだ!!」

そんな彼を見て「おうおう」とか言い、祈子は依然として笑みを湛えながら、嘯いた。

「な、大変だろ? どうする? このままじゃ向日葵、盗まれちまう」

「させるかっ!!」

「だよな。そこでだ、お前、警備役やるよな? ああ、夜中になるから親にはばれんなよ」

「当然だろ!」

いきりたつ太陽の反応を見て満足したのか、彼女は「んじゃ頼むわ」などと言いながら片手をヒラヒラと振って、事務所へと戻って行った。

しばし経って太陽が落ち着いた頃に、雪はようやく口を開いた。

「困りましたね。こんなに綺麗なのに」

「奪わせやしねぇよ」

多少かみ合わない会話を続けつつ、彼女は、こんなことを言う。

「勿論ですよ。ですから」

また、満面の笑みを浮かべて。

「私たちが、盗んでしまいましょう」

眩しいほどのその笑みから、しかし太陽は、目を背けることに失敗した。


 奇怪な運命は、いくつもの偶然によってさらに加速する。終わりは近く、まだ遠い。



 Snow

 ようやく使命を果たす時が来たようです。やっぱり、雪は綺麗です。


 Sun

 冷水を叩きつけるようにして顔を洗う。欠伸は噛み殺す。さて、行こう。


 Player

 どうにも笑いがこみあげる。楽しくて仕方ねぇ。お手並み拝見、てか?


 Scent

 呑み込まれそうな夜が広がって。きっと素敵に刺激的です。


 Hound

 外の世界はわくわくする。こっちの世界はどきどきする。


 Thief

 さあ、そろそろ働こう。


 Teller

 そして、幕が上がる。


 時刻は実に二十三時五十分。予告通りなら、後十分もすれば大泥棒がここに侵入するだろう。祈子は今日何本目になるかわからない煙草を燻らせて、暗い事務所に白い煙を吐き出した。夜間に動くのは久々だった。彼女はくく、と笑うと、手元の懐中時計の電池を確かめる。カチッと音がして、オレンジがかった光が目の前を照らし出した。昼間と同じ座席でコーヒーを啜る香子の姿が明確になる。祈子はすぐに明かりを消して、仕事仲間に声をかけた。

「来ると思うか? 大泥棒」

「ええ。いらっしゃるわ、きっと」

余裕のある声音で、香子は答えた。祈子はもう一度小さく笑う。どうにも緊張感に欠けるが、それはそれで面白いと思っていた。彼女にとっては、これもゲーム感覚にすぎなかった。袖に隠した仕込みナイフを手に馴染ませつつ、祈子はその時を待つ。


 常時暖かく保たれた植物園の園内で、太陽は息を吐いた。眠気が無いと言えば嘘になるが、そんなことを気にしている場合ではない。園芸用のスコップで土を掘り返しながら、彼は隣で同じように黙々と作業する少女に声をかけた。

「なあ、これ本当に盗むのかよ」

今の今まで幾度となく問い続けた質問を、太陽はまた口にする。一瞬も間を開けず、この計画の首謀者たる少女、雪は頷いた。

「勿論です」

「でもさ、向日葵はでかいぜ。どうやってどこに運ぶんだよ」

「根まで掘り返して裏口を抜けてあなたのお家まで運びます。植木鉢は、準備していますよね?」

「まあ、一応な」

彼女の言いつけどおり、太陽は一度自宅に帰った後、小学生の頃にチューリップを育てていた植木鉢に新しく土を入れ、下準備をしていた。突発的な犯行にしては、行きとどいていると言えるだろう。

 右手首に捲いた腕時計に目をやると、いつの間にか時刻は二十三時をまわっていた。急がねば、零時になってしまう。ここの経営者たる祈子と管理人たる香子も当然事務所で待機しているだろうから、見回りに来られたらアウト。自然と太陽の掘削作業はスピードを増していく。焦ってはいけないと思いながらも、彼の手は止まることなく動き続ける。


 従業員たった二名にしてはそれなりの広大さを有する園内を、中納言は歩き回っていた。季節ごとに、日ごとに、数瞬ごとに違った面でもって中納言を迎えてくれるここが、彼はとても好きだった。生まれてこの方気付けば四年弱、自分はずっとこの植物園で過ごしてきた。そして思えば、彼が祈子に拾われて以来、あの向日葵は花びらの一枚から種子の一粒にいたるまで、一つたりとも変わらぬ姿でこの植物園の中心に鎮座していた。否、変わらぬ、ではなく、変わることなど、絶対に無く、だ。

 中納言は心なし少し目を細め、向日葵と、その傍らで作業を続ける二人の姿を見た。なるほど、と彼は得心して、その場を離れる。彼は花が好きだった。彼は植物も好きだった。彼は人が好きだった。彼は生命を愛していた。彼は、世界のすべてを愛していた。

 ただ彼は、美しい、一本の向日葵が大嫌いだった。


 白く暗い夜の中を、怪しげな仮面を着けた保助は歩っていた。ターゲットのある植物園の窓を丸く切り取って解錠し、侵入する。目的の用具倉庫に向かいつつ、彼は今回の狙いである一輪の花について、考える。そもそも、ただの泥棒たる保助が花なんぞをほしがる理由は無かった。売るにしても、特異性のある商品であるがため、犯行がばれてお縄につくだろう。ではなぜそんな意味も価値も無いモノを盗みに来たのか。そんなの、理由があるに決まっている。

 保助は、真っ白な病室で自分に笑顔を向ける女性の姿を思い浮かべた。全くの他人だった彼女の為に、保助は動いている。全く滑稽な話だな、と、彼は自嘲気味に笑った。盗みを生業としている自分が、まさか人助けまがいのことをするとは、夢にも思わなかった。

 『用具倉庫』と書かれたプレートのかかるドアノブに手をかけて、まわしてみる。当然、固く閉ざされたドアは開くことはなかった。わかりきっていたことなので別段取り乱すこともなく、保助は懐から加工した針金を取り出すと、ドアノブの上部、鍵穴にそれを挿しこむ。手際良く鍵を開け、保助は特別感慨も持たずにドアを開く。仕事は、正確かつ迅速に、だ。

 が、しかし。ダンッと大きな音がして、咄嗟に身を退いた彼が今しがたいた場所を、鋭いハイキックが通り抜けた。想定外の事態に焦りを隠せない保助に、ちっと、気のない舌打ちが聞こえる。直後に部屋の照明が点いて、急襲者の全容が彼の目に映された。


 用具室の鍵が外側から開けられる音がして、祈子が右足を宙に浮かす。ドアが開けられたその瞬間、鋭く踏み込んで重心を横に振った。彼女の左足が空を薙ぎ、どうやらかわされたものと知る。小さく舌打ちするのと同時に、待機していた香子が電灯を点けた。怪しげな仮面が見えて、祈子は笑う。なかなか出来そうな奴じゃんか。

 一歩で間合いを詰め、勢いを殺さずに回し蹴りを繰り出す。仮面の男、保助は身を捻ってそれを避け、逃走は無理と判断したか、それとも元より逃げるつもりも無かったのか、即座に拳を打ち込んできた。余裕をもってそれをあしらい、祈子は少々がっかりした風な口調で言葉を紡ぐ。

「んだよ。そんなもんか? 大泥棒さんっ!」

語尾とともに渾身の右足を打ち込む。が、保助は、ギリギリのタイミングでその蹴りをいなし、祈子の足を捕まえた。投げ飛ばすつもりか、保助は彼女の足を両腕で抱え込むようにして、そして。

「あまいなっ」

遠心力を目一杯に利用した祈子のとび蹴りを側頭部にくらい、あえなく床に叩き伏せられた。


 「動くなよ。ナイフ刺さるぞ」

起き上がろうとした矢先に冷たく制され、保助は抵抗を諦め仰向けに寝転んだ。畜生、と思いつつも、ふとした疑念を持って問いかける。

「なんで、ここにくるとわかった。予告状には向日葵を頂くと書いたはずだが。あれは園内中央にあったはずだろ」

保助の問いに、彼の上にナイフを掲げたままの姿勢で、祈子が答えた。

「簡単だよ。お前がここを偵察してた時に、大体の目星つけてたんだ。まあ、決め手は香子だけどな」

香子、と呼ばれた女性の方に目を向け、保助ははっとする。帰りに声をかけてきた女だと、直ぐに分かった。まさかばれているとは思わなかった。保助は悔恨というより、自らの未熟さに自嘲の念を持つ。おとなしく警察に突き出される気になってきた保助は、ふっと小さく笑みをこぼす。だが、続く祈子の言葉は、彼の予想をはるかに超えたものだった。

「さ、欲しいもん持ってとっとと行けよ。私らも警察苦手だし、現金と預金通帳以外なら何持ってかれても大したことねぇ」

「な、何言ってるんだ、あんたは?」

「ああ? 良いっつったら良いんだよ。それともなんだ? 情けかけられるくらいなら死にてぇって口か?」

「い、いや、そういうわけでは……」

「ではお早めに選んでお引き取りください。私たちにも事情がありますので」

「ああ、わかった……」

どこか釈然としないながらも、保助は予定していた鈴蘭の造花を一束持ち、植物園を後にした。


 「お怪我は? 祈子」

「あるわけねぇよ。まあしかし、結構良い筋してる奴だったな」

「そうですねぇ」

話しつつ、祈子は大泥棒の去って行った方に目をやって、大きく欠伸した。香子がまた「はしたないですよ」と言ってくるが、無視する。

 まだ、一仕事残っている。


 その向日葵だけは、太陽をいつも変らぬ姿で迎えてくれた。家ではそうはいかなかった。母親は彼が幼少の内に自殺し、父親は毎日酔って帰っては日々違った態度で太陽に接してくる。言いようのない暴力を受けることもあれば、普段の強気が見る影もないほどになりを潜め、永遠と「すまない」と繰り返すこともある。どんなパターンであれ、太陽は父親を見る度に家を飛び出していた。

 太陽は現在抱えている向日葵の花弁を眺めつつ、思う。この存在が無ければ、自分はとうの昔に死んでいただろう。生きる気力を無くし、死を考えてばかりいた彼の心を救ったのは、常に変わらぬ姿を見せつける、この花あってのことだった。太陽は愛おしげに向日葵の茎を撫で、瞬間、とある事実に気付いて立ち止まる。根元を持って付いて来ていた後方の雪が何事かと足を止め、彼の様子を窺ってくる。

「あのヤロウっ!!」

吠えるように叫び、太陽は手元の茎を叩き折って走り出した。

「どうしたんですかっ?」

背中に聴こえた雪の声は、無視した。


 「なあガキ。お前がご執心のあれはな、モノなんだよ。『枯れない』なんていってもな、大したことじゃねぇんだよな。端から、枯れられぇねんだからさ。まあなんだ。つまりな」

息を切らせて方で呼吸する太陽に淡々と、祈子は事実を述べる。

「あれ造花」

ただ、述べる。

「お前は作りもんの、見せかけの生命に心の拠り所であることを求めてさ。結局、弱ぇんだよ。つーか、わかってたんだろ? なあ」

太陽は答えず、

「だから、いい加減前見て歩けよヒヨっ子」

ただ、祈子に掴みかかる。胸ぐらをつかみ上げようと伸ばした右腕は、しかし祈子に簡単に払われる。

「今日は色んなことあったよな。泥棒さんが来たり、知らねぇ女が来たり。丁度良い機会だぜ、お前」

真っ直ぐ突き出した左腕は、捕らえるべき対象から逸らされて空を切る。

「丁度良い機会なんだよ、自殺志願者」

充血した眼を見開いて、太陽の動きが止まる。

 今にも人を殺しかねん形相で植物園に駆け込んできた太陽に、祈子は言い聞かせるように語っていた。唯一無二の、姉として。祈子と太陽は、母親の違う姉弟だった。祈子だけが、それを知っている。

「もうわかったろ? 変えられないものなんざ無ぇんだ。何かに縋って生きるのはもう止めろ。その脚は歩くためについてんだ。手前の力で立つためにな」

言い終えて、祈子は太陽に背を向けた。継ぎ足す言葉も無く、ゆっくりと、歩を進める。

「わかってるんだよ、そんなこと」

呟くように太陽が言って、祈子は立ち止まった。黙って、次の台詞を待つ。

「わかってるけど、でも、どうすりゃいいんだよ、姉ちゃん」

泣きそうな声で言う太陽に、祈子は笑って、言ってやる。

「あの馬鹿親父を殴ればいいんだよ」

何だ知ってやがったか、と心中毒づきつつ。

「太陽」


 弟の去って行った方を眺めつつ、どうにも今日は誰かを見送ることが多いなと、祈子は思った。

(まあでも、今度は私が送られる番かな)

心の中に呟くのと同時に、背後に足音が聴こえて彼女は笑む。香子で間違いないだろう。そして香子は今、祈子に狙いを澄ましているところだろう。振り向くと案の定、祈子の胸元へ一直線に、黒く底の見えない銃口が向けられていた。銃を構えるのは、やはり、良く見知った仕事仲間だ。そう、昔からの。

「涙ですか。らしくないですね? 祈子」

言われて初めて頬を伝う水滴に気付き、祈子は苦笑しつつ「似合わねぇか?」と嘯く。

「似合いますよ、ええとても」

呟くように言う香子は、確かに本心からそう言っているようだった。

「昔から、今もまた、あなたは何でも似合います。美しいですよ」

「おうおう、そうかよ」

ふざけた風に言う祈子に、香子は少し顔を顰める。

「そういう飄々とした態度は、あまり似合ってません」

「ああ、わざとだしな」

言いつつ、祈子は袖口を振って仕込んでいたナイフを手に持った。

「お前に殺されるのは悪かねぇが、でも、抵抗されないとは」

「ええ、勿論思ってません。抵抗してください」

「だよな」

遮るように言った香子の台詞に応え、祈子は地面を蹴った。


 その夜、中納言がきいた銃声は、たったの一発。


 雪は、太陽が走り去った場所にそのまま立っていた。この寒気の中放置していたというのに、彼女は依然として穏やかな笑みで持って太陽を迎えた。「ごめん、急に」と一言謝り、差寒くないかと聞こうとして、止めた。寒いに決まっている、と思い直したわけでは無い。何故か、雪は全く寒くなんか無いんじゃないかと思えたのだ。それよりも、太陽は一つ、彼女に伝えなければならない事がある。きっとそれが雪がここにいる理由だと、太陽は感じていた。どうしてか、感じているのだった。

「もういいよ。俺は歩くことにしたから」

言った瞬間、雪の姿が一瞬だがブレたような気がした。やっぱりか、と思い、続ける。

「折角だけど、お出迎えは遠慮しておく」

こくりと、雪は小さく首肯した。

「はい、嬉しいです」

この笑みが彼女の本当の笑顔なんだろうなと、太陽は思った。今の自分にはまだ眩しいけど、でも、いつか。正面から向き合うんだと、心に決めて。

「それでは、私は帰りますね」

「ああ。じゃあな、妖精さん」

「はい。さよならです、番人さん」

瞬きの間に、雪の姿は消えていた。無性に嬉しくなって、太陽は白い大地を踏みしめて走る。とりあえずは、あの男を殴ってからだ。笑うと、堪えていた欠伸が漏れた。


 Snow

 素敵に滅法に幸せです。きっと皆さんも幸せなのです。


 Sun

 欠伸混じりに、拳を振った。歩いて行く道が、見えた気がした。


 Player

 渇いた喉に、煙草は痛い。……禁煙、すっかなぁ。


 Scent

 長い夜も、開ければ朝です。見上げれば、そこは空です。


 Hound

 蒼い空を愛そう。白い雪も愛そう。散歩は今日も楽しい。


 Thief

 人事を尽くせば、天命は下る。万事そろえば、上手くいく。


 Teller

 植物園の真ん中で、向日葵は一枚、花びらを落とした。

初投稿です。れかにふと申します。

今作は高校の部活動にて行われた落語の改造、三題話にて創作したものです。内容といい文章といいどうにもアレですが、よろしければ感想評価等よろしくお願いします。

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