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 ひかるがやってきたのは、それから一時間もしない内だった。

 何となくそんな気はしていたが、そこまでお互いの住んでる場所は離れていないのだろう。そこまで広い街でもない。もしかしたら知らない間に何度かすれ違ったりしていたのかもしれない。

 家のすぐ前でエンジン音が止まる。直後に鳴ったのはインターホンではなくスマホの通知音だった。

『着いたと思います』という歯切れの悪い文言を見て、おそらくは雲雀の家という確信が持てていないのだろうと分かった。そういえば椚家に表札はなかった気がする。

 雲雀はスイスイと指を動かして、『そこで合ってるよ。鍵は開けてあるから入っても大丈夫だよ』と送った。

 階下で玄関のドアが開く音が聞こえ、とたとたと階段を上がっていく音が近づいてくる。あらかじめ雲雀の自室の場所については伝えてある。

 足音が部屋の前で止まり、控えめなノックが戸を鳴らした。「お兄さん、いますか?」とたどたどしく訊いてくる。「開けてもよろしいでしょうか……?」

「ああ。大丈夫だよ。いらっしゃい、美波さん」

 恐る恐るといった様子でドアが開き、隙間から可愛らしい顔が覗き込んできた。顔の左側を前髪で隠したブロンドヘアの少女が少し困ったように笑いながら、「その……お邪魔します」と小さく会釈した。

 今日のひかるの格好は、昨日とは打って変わってラフな印象を与えてくる。グレーのオーバーサイズのパーカーに黒のミニスカート、脚はやはり防寒のためか厚手のタイツを履いていた。脇にはデニム地のジャケットを抱えていて、たぶん家に上がる際に脱いだのだろう。ジャケットを持っているのとは反対の手に膨らんだレジ袋が吊り下げられている。宣言通りスーパーかドラッグストアあたりに寄ってきてくれたのだろう。

 ひかるは雲雀のいる布団の横で膝を折り、行儀良く正座になる。ジャケットをお腹の辺りで抱えたままだったので、「嫌じゃないならその辺に置いといて良いよ」と言うと、「すいません」と謝って床に置いた。

「汚い部屋でごめんね。体調が悪くなければ片付けられたんだけど」そもそも体調不良でなければ彼女がここに来る事はなかったのだが。

「いえ、気になさらないでください。……わがまま言って来させてもらったのは私の方ですし……」

「美波さんはどう? どこもしんどくないかい?」

「は、はい。おかげさまで……」と愛想笑いを浮かべる。やはり昨晩の出来事が少し後ろめたいのだろうか。「あっ、あのお兄さん……」

「何だい?」

「今日って……もうお昼ご飯は食べられました……?」

「いや、まだだけど……というか今日一日何も口にしてないなあ……」

 根本の話として昼食を食べていようが食べていなかろうが現在の時刻は午後の五時半。いずれにせよ、その質問自体がズレているのだが、そこは言及しないでおいた。

「ほ、ほんとですか……!?」先ほどまで沈んでいた彼女の顔がぱあっと明るくなる。傍らに置いていたレジ袋を両手で持って雲雀の前に翳すと、「私、ちょうど野菜とか玉子買ってきてるんです……!」と頬を蒸気させた。「その、えっと……お粥とかなら食べられるかなって思って……!」

 用意してきた言葉を必死に紡ごうとしているのは察せられる。先ほどのズレた問いもこのためだったのかと合点がいく。

 だから雲雀は彼女の言葉を否定せずにこう言って促した。「それじゃあお言葉に甘えようかな。正直言うと空腹で輪をかけてしんどいんだ。台所は自由に使って良いよ」

「あ、ありがとうございます……! 少しだけ待っててください……すぐに出来上がりますから……!」



 湯気の立ち昇る玉子粥が差し出される。刻まれた人参と葱が料理に彩りを添えており、見た目的にもとても美味しそうだった。

 相変わらずブロンドヘアの少女は布団の横で正座しており、面接官と向き合う就活生のような面持ちでこちらを見つめている。

 雲雀は、「それじゃあ、いただきます」とスプーンを取って、お粥を掬う。何度か息を吹きかけて冷ますと、ひかるお手製の玉子粥を口に含んだ。薄く塩味が効いた優しい口当たりだ。続けて玉子の甘みと人参の食感、葱の程よい辛味が舌を刺激する。「うん、凄く美味しいよ。これならいくらでも食べられちゃいそうだ」

 ひかるの口許が喜びに綻んだ。「良かったです……! 実を言うとですね……そこまで自信がなかったんです……」

「本当に? 普段は料理してないのかい?」

「あはは……お恥ずかしながら……」少し目を逸らしながら頬を掻く。「ちゃんと一から料理作ったのなんて、凄く久しぶりです」

「自信持って良いと思うな」

 空腹だった胃に程良い温かさのお粥が溜まっていく。流れ出ていくだけだった生命力が戻ってくるような気さえしてくる。あっという間に茶碗は空になった。

「おかわり貰っても良いかな?」と訊くと、予想通りひかるは花が咲くように笑顔になる。精巧な人形のような見た目の彼女が見せるその表情は、やはり雲雀の心を掴んで離さない。

 どこかこそばゆくも心地の良い時間が流れていく。

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