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6

 何度もこちらを呼ぶ声がする。名前で呼ばれている訳ではないが、今現時点で雲雀をこう呼ぶ人間は一人しかいない。

「……いさん……お兄さん! 起きてください!」

 まどろみのさなかにあった脳が明確に言葉を捉える。途端に意識がクリアになり、瞼の裏側が光を認識する。

 反射的に目を開けると昨日見知ったばかりの顔が視界いっぱいに写っていた。涙目になったひかるがこちらを真っ直ぐと見つめている。とはいえ昨日のような悲壮感に満ちた表情ではない。それは喜びの感情によって溢れ出た涙だった。

「やあ……おはよう」当たり前のように、日本人なら誰もがする朝の挨拶を返す。「良く眠れたかい?」

「お兄さん……どうして……」

 そう問いかける彼女の手には毛布が一枚だけ握られていた。そこで初めて雲雀は自分の体が重たく感じる事に気づく。視線だけを動かして首から下を見やると、何枚もの毛布でぐるぐる巻きにされて蓑虫のようになった体があった。

「ただの偽善さ。だから美波さんは何も後ろめたく思う必要はない」

「最初から私だけを残して死ぬつもりだったんですか」

「悪かったとは思ってる」

「私……お兄さんの事何も知らないですけど……そんな最期、絶対に間違ってます……」

 絞り出すような声だった。

 それぞれが自身の終わりを望んでいたのに、今は互いの生存を臨んでいた。

「……とりあえず毛布はもう良いかな。僕も起きるよ」

 埃っぽい毛布の蓑を剥ぎ捨てて立ち上がる。体は冷え切っていたが、昨夜より寒さはマシになっていた。

「雪は止んだみたいだね」

 そう言うと、ひかるが小さく頷いた。

「朝日でも浴びようか」



 廊下を抜けて管理棟から出ると、眩い太陽光が視界を覆った。

 雪は積もってこそいたが予想していたほどではない。ところどころに剥き出しの地面が散見される。

 空は雲一つなく、風は穏やかだった。朝特有の澄んだ空気が肌に心地良い。緑の香りが鼻孔をくすぐり、積もった雪が朝日を反射して世界が輝いて見えた。

「今何時だっけ?」

「さっき確認したら七時過ぎでした」

「そっか」と空を仰ぎ見る。ずっと家に引き籠もっていた雲雀にとってこの光は余りにも眩しく感じられた。思わず目を細める。「こんな時間に目覚めるのはいつぶりかな」

「私もです」ひかるは雲雀の方を向いて微笑んだ。朝日によって彼女の肌の白さがより強調される。「私の住んでた世界って……こんなに綺麗だったんですね」

「ははっ、僕も同じ意見だよ」

 同調すると、ひかるは口に手を当てて控えめに笑った。「単純ですね、私達って」

「ああ。単純だね」

 些細な絶望の積み重ねで世界を見限り死を選ぶのが人間ならば、一瞬の希望を目の当たりにして生を選ぶのもまた人間なのかもしれない。

 きっとこの晴れやかな気分も明日には霧散してしまうだろう。雲雀自身が抱える問題も、おそらくひかるが抱える問題も解決した訳ではない。こんなのは単なる一時凌ぎ以下の気休めでしかない。

 雲雀はぐぐっと体を伸ばし固まり切った関節をほぐしながら、「でも今は、この気分を素直に享受しておこうかな」と言った。「それじゃあ」薄っすらと雪の積もった愛車を見やる。「雪が溶けて道路が凍結する前に帰ろうか」

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