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6 記憶を失った妻 sideレクス




「お父様……」

 6歳の長女シーラが泣きそうな顔をしてレクスの書斎にやって来た。

「シーラ、どうした?」

「お母様が……変なの」


 ここ数日、ドーラの様子が明らかにオカシイと使用人から報告を受けている。レクスの目からもそう見える。心配で、毎日主治医に診せているが、主治医からは「奥様は、強いショックを受けて以来、心の均衡が危うくなっておられます。そしてそれが日増しに悪化しているように見受けられるのです。もしかしたら、この先記憶障害や退行などの症状が現れるやも知れません」と言われている。


「ドーラがどうしたんだい?」

 シーラを宥めるように優しく尋ねるレクス。

「お母様の部屋にお見舞いに行ったら、お母様に『あら、可愛いお嬢さん。貴女のお名前は?』って訊かれたの」

「え?」

「私が『シーラ』って答えたら『あら、私の名前に似ているのね。私はドーラ。昨日、レクス様と結婚式を挙げたばかりなのよ』ってにこにこ笑って……」

「ドーラが、そう言ったのかい?」

 涙を堪え、頷くシーラ。

「お母様は『貴女は伯爵家の親類のお嬢さんかしら? これから仲良くしてね』と言って、私にギュってしてくれたの」

 娘の顔が分からなくなるなんて……。

 レクスは目の前が暗くなる思いだった。

 その時だ。


「キャーッ!?」


 突然上がった大きな悲鳴。

「お母様の声だわ!」

 シーラが書斎から飛び出して行く。

 レクスも慌てて後を追った。向かった先はドーラの私室だ。

 そこで、シーラとレクス、そして同じく悲鳴を聞いて駆け付けた使用人達が見たのは、鏡の前で蹲るドーラの姿だった。

「ドーラ! どうした? 大丈夫か?」

 そう声を掛けたレクスに、ドーラは抱き着いて来た。

「レクス様! 私、どうしてしまったのですか? 一晩でこんなに瘦せてしまうなんて?! どうしてこんな幽霊みたいな姿になってしまっているのでしょう? 昨日まではいつも通りの体型だったのに!?」

 ドーラの台詞にレクスもシーラも使用人達も一様に息を呑んだ。



 その後、すぐに主治医が呼ばれた。

 主治医が屋敷に到着するまでの間、レクスはドーラを強く抱き締め「ドーラ、大丈夫だ。きちんと説明するから落ち着いてくれ」と宥め続けた。シーラも「お母様、落ち着いて!」と懸命にドーラにしがみついた。

 主治医の到着後、レクスは主治医とドーラと三人で話をしようと、シーラと使用人たちに部屋を出るよう命じた。が、シーラだけは出て行こうとしない。

「私もお母様とお話します!」

「シーラ。これは大人の話だ。出て行きなさい」

 厳しい口調で命じるレクス。

 いつも優しいレクスの普段とは違う態度に驚いたのか、シーラは泣きじゃくりながら部屋を出て行った。

  

 そんなシーラの姿を見たせいか、取り乱していたドーラは逆に少し落ち着きを取り戻したようだ。

「あの、レクス様。そんなに厳しく仰らなくても……まだ小さい子ですし……。それにあの子、私の事を『お母様』と言っていましたが、どういう事でしょう?」

「ドーラ。どうか、冷静に聞いてほしい――」

 それから、レクスと主治医はドーラの心を傷付けぬよう注意を払いながら、虚実入り混じった説明をしたのだった。



 二人の話をじっと聞いていたドーラは一応の納得をしたらしい。

「……私は昨日レクス様と結婚したばかりだと思っていたのですが、実際にはそれから10年も経っているのですね? そう言えばレクス様、確かに老けていら……あ、ごめんなさい」

「いや、いいんだ。私は今、32歳だ。10年前の君の記憶の中の私とはかなり違うだろう」

 苦笑するレクス。

「私はレクス様と仲睦まじく、三人の娘にも恵まれて平穏に暮らしていたけれど、3週間前、急な病に倒れてしまった。食事を取る事さえ儘ならずに瘦せ細ってしまい、おまけに記憶障害になってしまったと……」

 確認するように問うドーラ。

 頷くレクス。


 主治医が身を乗り出して言う。

「そうなのです、奥様。けれどもう大丈夫でございます。病は治癒致しました。これからしっかりと栄養を取って身体を戻して参りましょう」

「はい……あの、記憶の方は戻るでしょうか?」

「記憶は――残念ながら完全には戻らないかも知れません」

 主治医の言葉に落胆した様子のドーラ。


「レクス様、ごめんなさい。レクス様と過ごした日々も、自分の産んだ子供たちの事も覚えていないなんて……」

「いいんだ、ドーラ。家族とはこれからもずっと一緒なのだから、必ずまた絆を取り戻せるよ」

「は、はい。ありがとうございます。レクス様は意外と優しい旦那様なのですね」

「は?」

 ドーラは嬉しそうに、うふふと笑った。

「実は結婚前の顔合わせの席で初めてお会いした時から、あまり喋って下さらなかったので不安だったのです。こんなに無口な人と”二人で”暮らすなんて大丈夫かしらって」

 ドーラは当たり前のように「二人で」と言った。


「二人で?」

 思わず聞き返すレクス。

「ええ。あ、もちろん使用人はたくさんいるでしょうけど、レクス様は既に”ご両親”を亡くされていますから、今日から二人での新婚生活が始まると思っていたのです。なのに、娘が三人もいるなんて。ビックリしましたが、でも少し安堵もしたのです。あぁ、私はレクス様と10年も一緒に暮らして、その……ちゃんと夫婦になっていたんだなって」

 恥ずかしそうに、そう言うドーラ。

 レクスは主治医と顔を見合わせた。

 どうやらドーラの中では、レクスの母アマリアは結婚前に「既に亡くなって」いるらしい――






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