5 衝撃 sideドーラ
ドーラがレクスと結婚してから10年が過ぎた。
ドーラは27歳になっている。夫レクスは32歳だ。
二人の間には三人の娘がいる。上から6歳、4歳、2歳で、三人とも可愛い盛りだ。
結婚後3年ほど、ドーラは誰にも内緒で避妊薬を服用していた。が、さすがにいつまでも避妊を続ける訳にもいかず、その後服用を止め、三人の娘を授かったのだ。
赤子の誕生を、アマリアもレクスもとても喜んでくれた。
こんなにもアマリアが喜んでくれるのなら、もっと早く避妊を止めれば良かったと思ったくらいだ。
子供を産み、ドーラは【親】になった。だが、アマリアの【娘】を卒業することは出来なかった。ドーラは、妊娠・出産時はもちろん、育児が始まってからも散々アマリアを頼った。子供に関する一から十までをアマリアに相談し、助けて貰ったのである。自分でも、さすがにこれではいけない、アマリアに甘え過ぎだと思ったが、何年経っても【娘】から脱することは出来なかった。
三人の子の【親】としての意識があまりにも薄いドーラ。三人目が生まれて以降は、時折アマリアからも注意をされるようになった。だが、ドーラはアマリアから受ける注意すら嬉しかったのだ。自分の事を思って言ってくれていると信じていたから……
そして、夫レクスとドーラの関係も、子供が産まれたからと言って実はあまり変わっていない。相変わらず寡黙なレクスとは会話が弾まないし、一緒にいて楽しいわけでもない。
ただ、長女が産まれた後、次女、三女と子供が増えるにつれ、レクスは夜の外出を徐々に控えるようになった。三女が産まれて以降は、せいぜい月に1度か2度「友人に会う」と言う名目で出掛けるだけである。愛人に飽きてきたのかも知れない、とドーラは思った。この10年、ドーラは夫に愛人がいようがいまいが特に関心を寄せてはいないつもりだったが、夫が愛人に飽きたのだと想像すると、やはり気分が良かった。
レクスは寡黙ではあるが、娘たちの事は大切にしてくれる。不器用ながらも三人の娘たちを分け隔てなく可愛がるレクスは、優しい父親だ。ドーラは夫レクスに特に不満など抱いていなかった。
大好きなアマリアと可愛い娘たちに囲まれ、ドーラは充分に幸せだったのである。
それなのに――どうしてこんな風になってしまったのだろう……
今日もドーラは溜め息を吐く。
鏡に映るドーラの姿は日に日に窶れ、つい2週間前までのドーラとは別人のようだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
2週間前。
侍女を連れて買い物に出掛けていたドーラが予定より早く帰邸すると、アマリアに客が訪れていた。
執事に客の名を聞いたドーラは、その客がドーラとも面識のあるアマリアの親しい友人であった為、自分も少しだけ顔を出して挨拶をしようと考えた。
アマリアと客が中庭のテーブルでお茶を飲んでいると聞いたドーラは、中庭に向かった。のだが……そこで聞いてしまったのだ。二人の会話を。
「まったく、うちの嫁ときたら、女の子ばかり三人も産んで、役立たずにも程があるわ。跡継ぎになる男の子を産まないなんて!」
信じたくなかったが、それは紛れもなくアマリアの声だった。
ドーラは一瞬にして頭が真っ白になり、そのまま動けなくなってしまった。
「それでも、息子さんは4人目は考えていないと言っているのでしょう?」
友人がアマリアに問う。
「そうなのよ。三人目を産んだ時に嫁の産後の肥立ちが悪かったからって。レクスは嫁に甘くて『これ以上、出産はさせない。何よりもドーラの身体が一番大事だ』って言うのよ。信じられる?」
「息子さんはお嫁さんが大事なのね。だったら、もう仕方ないんじゃない? 孫娘に婿を取ればいいじゃないの」
「レクスもそう言うのよ『娘が三人いるのだから、誰かが婿を迎えればいい。優秀な婿を選べばいい話だ』ですって」
いかにも不満そうにアマリアが言う。
「貴女はそれでは納得できないの?」
「当たり前じゃない。家は男子が継承するべきだわ。だいたい何の役にも立たないあの嫁を可愛がってきたのは、跡継ぎの男児を産んでくれると期待していたからなのよ。そうじゃなきゃ、あんな甘ったれの嫁なんか要らないのよ。何かって言うと『お義母様、お義母様』って纏わりついてきて、鬱陶しいったらないわ」
忌々しげな口調のアマリア。
「まぁ、確かに貴女に依存し過ぎているように見えるわね」
「自分の頭で何にも考えようとしない嫁なんて、跡継ぎを産むこと以外に価値がある?」
「アマリア。貴女、ちょっと言い過ぎよ」
友人が声を潜めて注意するも、アマリアはお構いなしのようだ。
「もう、ウンザリなのよ。あの嫁に頼られるのも甘えられるのも。男の子を産まないのなら、レクスと離縁させたいと思っているの」
「……そこまでする事はないんじゃない?」
友人の声には驚きと戸惑いが感じられる。
「いいえ。レクスと離縁させて、新しい嫁を迎えるわ。そうしたら今度こそ男の子が産まれるかもしれないでしょ?」
二人の会話をそこまで聞いたドーラは、ショックの余り失神してしまった。
ドーラに付いていて一部始終を目撃した侍女から事情を聞いたレクスは、烈火のごとく怒った。もちろん、母アマリアに対してだ。アマリアは「ドーラが聞いているなんて思わなかったから、親しい友人にちょっと愚痴を言っただけよ」と弁明したが、レクスは受け入れなかった。
妻を傷付けられたレクスの怒りは大きかった。
翌日には、母であるアマリアを本邸から追い出し、王都郊外にある別邸に押し込めたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
慕っていたアマリアに、価値のない嫁だと思われていた。
纏わりついてきて鬱陶しいと、疎まれていた。
夫レクスとの離縁まで望まれていた。
ドーラを厭うアマリアの台詞が頭の中でグルグルと回り続ける。
胃が食べ物を受け付けなくなり、眠れなくなった。
日に日に窶れてくるドーラ。
夫レクスは何度も何度もドーラに謝ってくれた。
「ドーラ、すまない。本当にすまない。君はあんなにも母上を慕ってくれて、大切にしてくれていたのに……」
「レクス様、謝らないで下さい。私が至らなかったのです」
「そんな事はない。君は何も悪くない。母上がオカシイんだ」
「……お義母様はお元気なのでしょうか?」
「ドーラ。もう、あんな【人でなし】のことは忘れるんだ」
「そんな……」
忘れることが出来たら、どんなにいいだろう。
だが、ドーラは結婚以来10年間もアマリアと同居し、ベッタリと彼女に甘えてきたのだ。
ずっとずっと大好きだった――
忘れたくても、忘れられるはずもない。
苦しかった。
ただただ苦しかった。
もう、楽になりたい……ドーラはただそれだけを願うようになっていった。