2 夢のような結婚生活 sideドーラ
亡くなった母は、穏やかで優しい女性だった。頼りない父を献身的に支え、三人の子供――ドーラと妹、そして弟を分け隔てなく愛してくれた母。
ドーラは母の事が大好きだった。少しでも母の役に立ちたくて、いつも積極的に妹と弟の世話をしていた。そんなドーラに母はよく「ありがとう、ドーラ。でも自分の時間も大切にしてね」と少し心配そうに声を掛けてくれた。
その母が病に倒れたのはドーラが10歳の時だ。それから2年間の闘病生活を経て、母は亡くなってしまった。12歳になっていたドーラは、8歳の妹とまだ6歳の弟の手を握り締め、涙を堪え、母を見送ったのである。
母を喪ってからのドーラは毎日を懸命に生きた。いつまでもクヨクヨしている父を励まし、情緒不安定になってしまった妹に寄り添い、寂しさから泣いてばかりいる弟を抱きしめる日々。ドーラは12歳にして【支えられる】側ではなく、家族を【支える】側の人間になってしまった。
【支える】側の者は、どうしても、常に【支える】側として生活する事になってしまう。
誰にも頼ることが出来ず、誰にも甘えることが出来なくなったドーラ。
いくらしっかりしていても、ドーラはまだ子供だった。母さえ生きていてくれたら……と何度思った事だろう。だが【支える】側であるドーラは、誰にも弱音を吐けなかった。吐きたくても、ドーラの愚痴を聞いてくれる者など誰一人いないのだから……
そうして母を喪った12歳の時から17歳になるまでの5年間を生きてきたドーラ。常に気を張って過ごした5年の間に、ドーラの心は疲弊し切っていた。
挙句の果てに、17歳になってすぐに決められた婚約は、傾いた実家を助けて貰う見返りとしてドーラが相手方の甥に嫁ぐという【幸せな結婚】から一番遠そうなものであった。
だが、実際にゼーマン伯爵家に嫁いで来たドーラを待っていたのは、夢のような日々だった。
夫レクスの母アマリアは、大好きだった母にそっくりな容姿をしていた。おまけにその穏やかな雰囲気や優しい性格までもが、実に母に似ていたのである。
ドーラはアマリアを慕った。
家政についてのアレコレを教えて欲しい、お茶会の準備が不安だから確認して欲しい、刺繡が下手なので教えて欲しい、一緒に買い物に行きたい、ドレスを選んで欲しい、お薦めの本を教えて欲しい、一緒に観劇したい……ありとあらゆる理由を付けてアマリアに侍るドーラ。
アマリアは、最初こそ姑である彼女にベッタリと甘えてくる嫁のドーラに戸惑っていたようだが、自分を慕ってくる者を可愛いと思うのは、人として自然な感情であろう。やがて、惜しみなくドーラを慈しんでくれるようになったのである。
夫のレクスはというと、結婚当初から「友人と食事をする」と言って週に3日も4日も夕刻に出掛けて行っては深夜に帰宅する、という生活をしていた。独身時代からそうだったらしい。
アマリアは「学園時代からの友人たちと一緒に飲み歩いているのよ。本当に困った息子だわ」と嘆き、何度もドーラの為に「新婚の妻を放って、夜な夜な出掛けるなんて!」とレクスを叱ってくれた。が、レクスは全く意に介さず、自分の生活スタイルを改めようとしなかった。
ドーラは最初から、どうせ夫は愛人の所に行っているのだろうと踏んでいた。
貴族の男なんてそんなものだ。
実家の父に愛人がいなかったのは、経済的に苦しかったからだと思う。余裕があれば、あの頼りない父だっておそらく……。父は美しい顔をした優男だ。若い頃は女性に人気があったらしい。そしてドーラは父によく似た容姿をしている。線が細く儚げで美しいドーラ。だからこそ融資と引き換えに買われたのだろう。
どちらにしろ、ドーラは夫が何をしようが口出しする気など微塵も無かった。
ドーラは立場を弁えていた。所詮、金で買われた妻なのだ。
夫レクスは寡黙な男だが、逞しく男らしい容姿をしている。それなりにモテるだろう。
⦅レクス様があまり喋らないタイプだから、きっと愛人は陽気でお喋りな女に違いないわね⦆
ドーラはそんな風に思っていた。
ドーラは、アマリアさえ自分の側にいてくれれば、夫が外で何をしようが正直どうでも良かった。
誰にも甘えられなかった、辛かった時間を取り戻すかのように、来る日も来る日も「お義母様、お義母様」と、アマリアに纏わりついたのである。