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10 産声を聞いた瞬間に sideドーラ




 

 夫レクスに愛人がいるかも知れない――そう疑ったドーラは探偵に浮気調査を依頼した。

 今日はその調査結果の報告を受ける事になっている。

 打ち合わせや報告の際に友人を装って屋敷に来てもらえるよう、わざわざ女装探偵に依頼をしたドーラ。女性探偵ではない。女装が趣味の女装探偵だ。学園時代の友人が紹介してくれた。

「奥様、お約束をされていたお客様がお着きになりました」

「お通しして頂戴」

 執事は何の疑いも持っていない様子で女装探偵を客間に通した。

  



 ドーラが記憶を失った日から、実に12年が経っていた。

 今もあの10年間の記憶は戻っていない。もう一生戻らないだろうと主治医に言われているが、ドーラはあまり気にしていない。

 何せ、記憶を失ってから既に12年だ。ドーラは39歳に、夫レクスは44歳になっている。半年前には、18歳の長女シーラに同い年の婿を迎えた。そして現在、シーラのお腹の中には初孫が宿っているのだ。

 この状況で万が一、失った記憶を突然思い出したとしても【今更】感が強過ぎる。

 


 

「結論から申し上げますと、愛人は存在しませんでした」

 女装探偵はドーラに向かってキッパリと告げた。


「えぇっ?! そんなはずはないでしょう? だって夫は、最近になってやけに頻繁に別邸に通うようになったのよ? あそこに愛人を囲っているのではないの?」

「王都郊外にあるゼーマン伯爵家の別邸に住んでいるのは愛人ではなく、伯爵様のお母上様です」

「はぁ?」

 この探偵は何を言い出すのか?

 レクスの母親は、ドーラがレクスと結婚する2年前に父親と共に事故で亡くなっている。故にドーラは一度も会ったことが無いのだ。

「イヤイヤイヤ、ちょっと待って。夫の母は今から24年も前に亡くなっているのよ? 有り得ないわ」

 首を横に振るドーラに、女装探偵は調査報告書を差し出す。その何気ない仕草も女らしく美しい。感心してしまう。


「お母上様は確かに生きていらっしゃいます。そして12年前まで、こちらの本邸に居住されていた事が分かりました。12年前、何らかの理由により急遽別邸に移られたようです。いいえ、ご自分の意思ではなく伯爵様の命だったそうなので、正しくは【移された】と言うべきですね」

「12年前に夫の命で……?」

 12年前と言えば、ドーラがそれまでの10年間の記憶を失った時期だ。

 その時、この屋敷で何かが起こったという事だろうか? 

 ドーラが記憶を失い、レクスの母が急遽この屋敷を出される事になった何かが……ドーラの記憶喪失の原因は「急な病」だと聞かされているが、もしかすると事実は違うのかも知れない。


 ドーラはいろいろな疑念を抱きながら調査報告書を読み進めた。

「え? お義母様はご病気なの? へ? 余命3ヶ月? 大変じゃない!?」

 驚くドーラ。とうの昔に亡くなったと思っていた人物の余命が3ヶ月――ドーラの頭の中は更に混乱してきた。


「そうなのです。お母上様は重い病で余命3ヶ月と診断されているようです。そして、その病と直接関係があるかどうかは不明ですが、認知機能が著しく低下してしまい、ご自分のことも実の息子である伯爵様のことも認識できなくなっているらしいのです」

 もの凄い個人情報である。どうやらこの探偵は思っていたより腕利きらしい。


「……それで、夫は最近になって急にお義母様の所に通うようになったのね」

「伯爵様の中でお母上様に対する感情に変化が起きたのではないでしょうか? 12年前に何があったのかは分かりません。ただ、過去に伯爵様とお母上様の間に何かしらの確執があったとしても、お母上様の現在の状態を目の当たりにされれば……やはり、そこは実の親子ですから情も出て来るでしょう」

 それはそうだろう。

 過去に何があったにしろ、自分自身の事も息子のレクスの事も認識できなくなっている余命短い母親を疎み続けるなど、レクスに出来るはずもない。彼は元来優しい人間なのだ。



 その夜、ドーラは一人自室で調査報告書を破り捨てた。

 夫に愛人がいるのではと疑って浮気調査を依頼した。結果として愛人は存在しなかった。それで良いではないか。ドーラが知りたかったのは夫の愛人の有無である。

 わざわざレクスが秘密にしている母親の事を詮索するつもりはなかった。レクスがドーラに秘すという事は、つまり秘する理由があるという事だ。それを勝手に暴くのは余りにも不遜ではなかろうか。いくら長年連れ添った夫婦でも、互いに踏み込んではならぬ領域というものがあるはずだ。

 【真実】を明らかにする事が即ち正義でもないだろう。

 ドーラは知らぬ振りを通すことにした。

 




 


 ********






 

 半年後、長女シーラが赤子を産んだ。玉のような男の子だ。

 ゼーマン伯爵家は喜びに沸いた。

 



 その夜、皆が寝静まった後、ドーラは一人、屋敷の中庭に佇んでいた。 

 彼女は夜空を見上げると、静かに語り掛けた。


「お義母様、貴女の曾孫が産まれましたよ。お義母様があんなにも望んでいた元気な男児です――――アハハ、不思議ですね。私、やっぱり貴女の事が大好きみたい」

 あれほど疎まれてしまったというのに……ね。

「貴女に会いたい……会いたい」

 煌めく星たちが滲んで、やがて溢れた――

 



 








 








 

 ドーラは記憶が戻った事を、生涯誰にも打ち明けなかった。

 


  終わり





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