自称恋のキューピットが俺の家に居座ってる
俺は高校一年生、谷川葵。
高校生では珍しく、アパートで一人暮らしをしている。
一人暮らしを初めて約一ヶ月。
いつの間にか満開だった桜の木が緑色になる季節になってた。
今では一人暮らしがどんな感じなのか大体掴めていて、家事を忘れずにできている。
家に人がいないのは少し寂しいけど、自立して生活するっていうのは清々しい気持ちだ。ずっと両親の圧力に押しつぶされそうになってたから、高校生になったら自立したいって言ったの間違えてなかった。
部屋は狭い。たしか、6畳くらい。ベットをおいて小さなテーブルを置くと、ほぼスペースが残っていない。床でゴロゴロできるのでそこまでキツイってわけじゃないのが唯一の救いだ。
「そろそろかな」
俺が待っていたのは、ベランダに干していたシーツ。
ポカポカになったシーツの上で昼寝を決め込む。んでもって、夜ご飯にカップラーメンを食べて、またぐっすり寝る。
寝て、寝て……。高校生になって、友達と遊ぶことなくバイトもせずに休日に寝まくる。
誰がどう言おうとも今日は最高の日になる予定だ。
「ぉっ……!」
今日が休日だけあって、隣人さんも元気なこった。
ゲームでもしてるのか?
俺も、あんな声を出すくらい夢中になることあればいいんだけどな……。
「そこのっ!」
「え?」
隣人さんのことを羨ましがりながらベランダに出たら、上から声がした。
そう、上からだ。
まるで何かから逃げるように切羽詰まった、年端も行かない少女の声。
見上げると、自然とソレに目が止まった。
真っ白な2つの翼。
真っ白な風になびく長髪。
おでこには、ピンク色のハートマークがついている。
『恋のキューピット』
俺は空から降りてくる少女を見て、その言葉が頭に浮かんできた。
が、そんな矢先。
「あ、あのっ! 地面になにかクッション置いてもらえることできますか!?」
「え? あ、わ、わかった!」
少女の切羽詰まった声のせいで、反射的に昼寝をするために干していたシーツをベランダに置いてしまった。
「しゅった!」
空からバサリバサリ……と翼を動かしながら少女はそのシーツの上にきれいに着地した。
体操選手だったら、完璧な着地だ。
「……」
少女は誇らしげに両腕を上げY字を作り、俺の言葉を待っているようにくりくりとした瞳を向けてきている。
「こんにちは」
反応はない。
求めてた言葉じゃなかったのか?
「す、すごい着地でしたね」
「でしょ? でしょ? 初めて天界から降りてきたんだけど地面に穴を開けずに済んだって、すごいでしょ?」
少女は調子に乗った子供のように興奮を隠しきれてなかった。
って、そんなことより今天界って言ったか?
「天界?」
「ふっふっふっ。そう! 私はレイ。天界からきみの恋を応援するためにやってきた……恋のキューピットなのだ!」
ドンッ!
と、幻聴で効果音が聞こえてきそうなほど自信満々な宣言。
普段の俺なら「嘘だー」とか、「最近の3D技術ってすごいんだなー」とか言ってるだろう。
だが、俺が絶句し見ている目の先にあるのは、出会った時からフリフリと元気よく不規則に動いている真っ黒な尻尾のようなものだ。
先端が三角形になっていて、ツルツルしてそうな黒い尻尾。
それは、完全に天界から降りてきた恋のキューピットの尻尾ではなく、悪魔のそれだ。
「あの、本当に恋のキューピットなんですか?」
「ふっふっふっ。そうなのだ!」
ん? なんか、瞳がハートマークになってる気がする。
漫画とかで見る、サキュバスがするような感じのハートマーク。
見間違いではない。
「本当の本当に天界から降りてきた恋のキューピットなんですか?」
「ふっ。本当の本当にそうなのだ!」
見た目が完全に恋のキューピットを装ってる悪魔なんだが!?
◆◇◆◇
恋のキューピットもとい悪魔もといサキュバスもといレイが空から降ってきて、一週間が経った。
俺は学校に通いバイトも行くため家を開けることが多かったものの、レイは変わらず俺の部屋に居座っている。
「ねえねえ! むぎちゃ作って!」
レイが俺のベットの上から叫んできた。
リラックスして寝転んでいるのに、空気を読まないやつだ。
「この前作り方教えたんだから自分で作りなよ」
「やーだー! やーだー! アオイのベットの上でゴロゴロするのに忙しいからアオイが作ってよぉー!」
一週間一緒に住んでいただけなのに、もうこの図々しさである。
なにが恋のキューピットだ。
なにが悪魔だ。
なにがサキュバスだ。
ベランダで出会って、それからというものの……。
レイはただ、俺の家の中でゴロゴロしているだけ。
自由に過ごしているせいで俺の仕事が増えていくばかりで、最悪の居候だ。
というか自分で悪魔みたいな尻尾がついてるのとか、瞳がハートマークになってるの気付いてないのか?
「ぷっはー! キンキンに冷えてやがる! 骨身に染みるぜっ!」
「今度からは自分で作りなよ」
「くるしゅうないくるしゅうない。……げぷっ」
なんか一週間で、レイのことを俺の家に居候させてやってるていうより、レイが俺のことを居候させてやってるみたいな空気になった気がする。間違っても俺は召使じゃないからな。
悪魔恐るべし。
ここは一つ、わからせたほうがいいな。
「レイ」
「ん?」
「ちょっと俺の前に座ってくれ」
「えぇーやだやだ。今からアオイの布団で包まってお昼寝するのっ!」
なんで俺の布団をそんな気に入っているんだ。
「じゃあ俺の布団に包まったままでいいから座ってくれ。お昼寝はその後な」
「わーい! もしかしていつも夜一緒に寝てる時みたいに、お昼寝も一緒にしてくれるの?」
「……気分しだいでな」
「むふっむふっ。仕方ないなぁ〜」
やけに上機嫌になったレイは布団に包まりながら、正面に座った。
顔を茹でたタコのように赤くして「ひゅ〜」と息を吐き、額から滝のように汗を流している。
なぜ自ら暑いことをするのかよくわからない。
とりあえず麦茶を足しておこう。
「で、レイ。話があります」
「むぐっ。ひゃ、ひゃなしってにゃんのことかなぁ〜……?」
麦茶をむせて、舌を噛みまくっている。
目をキョロキョロとアチラコチラに向け、「ふっふへへっ」と不自然な笑顔。明らかに挙動不審だ。
さてはレイ、この一週間で自分がしたことを振り返って今から言われる言葉をわかってるな?
なら、わざわざ言葉を選んできつい言葉を言う必要はないか。
「いつまでもいていいからな」
「えっ?」
とぼけた顔を向けてきた。
「なんだよ。えっ? って。ここにいていいって言ってるんだよ。お前、恋のキューピットとかなんとか言ってたけどここ以外に行く宛がないんだろ?」
「あ、恋のキューピットだった……」
聞こえてるぞ。
「ま、俺の恋を応援するのなら同じところに住んでたほうがいいんじゃないかって思ったってわけ」
「ほうほう。アオイがそぉ〜んなに私と一緒にいたいのなら、ここにいてあげよっかなぁ〜?」
レイはニヤつきながらチラッチラッと俺の顔を伺って来た。
俺は一度も「一緒にいたい」なんて言ってないんだけど……。まあ、かわいいから虚言癖があろうが、恋のキューピットだろうが、悪魔だろうが許すか。
「一緒にいてくれ」
「……わ、わかった」
レイは頬を紅潮させ、目を逸らしてきた。
俺の見間違いなのかもしれないが、恥ずかしそうにしてた……ような?
自称恋のキューピットで悪魔であろうレイ。
彼女がなんで俺のところに来て、居座ってるのかなんてからない。
でも、俺と同じような感じがした。
俺と同じような『一人の人間(悪魔)として生きていきたい』という気持ちを。
俺と同じような自分の居場所を探すような……。
「ア、オ、イ。あちゅい」
「なら布団から出てきなよ」
いや、こいつはただ楽をして生きていきたいだけなのでは?
◆◇◆◇
私はレイ。
魔界から人間界へと修行に来た悪魔だ。
「修行」と聞くと耳障りがいいけど、私が人間界に来た本当の理由はバカにしてきた周りのことを見返すため。
私は悪魔の中で、いつもからかわれていた。
その理由は、人間のことを受肉したことがなかったからだ。
悪魔は人間のことを受肉するとレベルが上がる。大半の悪魔はそうしてレベルを上げて、悪魔の王を目指しているのだ。
もちろん私も周りのことを見返すために人間界に来たが、悪魔の王になりたい。
そのためには受肉する必要があるんだけど……。実を言うと、どうやってするのかわかんないんだよね。
だからアオイの家でゴロゴロしてるんだけど、最近本来の目的を忘れつつある。
受肉はしたいよ?
でも、周りのことを見返すなんてコレの前じゃくだらないことなんだなぁ〜って思えてきて。
「すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜」
布団を鼻に押しつけるのが私の日課。
「ふひゃ……」
アオイの匂いがたまらなく好き。
もう受肉とかどうでもいいくらい好き好き好き好き好き。
「レイ。俺は学校に行ってくるから、いい子にしてろよ」
「ひゃ〜い」
「お昼ごはんは作り置きしてあるから。……一日中ゴロゴロするんじゃないぞ」
「ぴゃ〜い」
アオイが学校に行き、家の中にぽつんと一人っきりに。
ふふふ。私はずっとこの時を狙っていた。
まるでこの前見たテレビの中にいた忍者のようにシュパッと音を建てないように動き、到着したのは聖域。
もし本物の聖域だったら、私は塵になってるところ。
悪魔のことを殺すために天使が作った聖域という別名をつけるほど凶悪な場所はお風呂……の前にある脱衣所。
アオイはいつも学校に行く前にシャワーを浴びてから行く。
滅多にないことだけど、急いでいるあまりこの脱衣所にパジャマを脱ぎ捨てていることがある。
私がパジャマを狙うのは、布団よりアオイの匂いを感じることができると思ったから。
寝るときもいつもパジャマの匂いを嗅いでるけど、まだ足りない。
そんなこんな私は今、脱衣所でパジャマを探しに来ている。が、中々見つからない。
この前は地面に脱ぎ捨ててあったけど……。まさかカゴの中とか?
「はっけん!」
やっぱり私の予想が正しかった。
ん? 黒いパジャマ以外に灰色の、この布ってもしかしてアオイのパンツ……?
「ぴゃんつ!!」
腰に力が入らずにすてーんと尻餅をついちゃった。
その反動で手の力が抜け、持っていたアオイのパンツがヒラヒラと宙を舞い……私の顔に落ちてきた。
「んぴぱぴぽっ!?」
アオイがいつも履いてるパンツが私の顔にある!
「すぅ〜……はぁ〜」
これは使用済みのパンツじゃなくて、洗って乾いたパンツ。
使用済みだったらいつも嗅いでるパジャマより、アオイの匂いが強いのかな……。
って、なんか私、魔界にいるサキュバスみたいなんだけど! いつも人間界のパンツを頭に被ってる羞恥心がないやつらと同じことをしてると思うと……なんか、私って情けないな。
「なにやってる?」
「げ」
一番聞きたくない声が後ろから聞こえてきた。
最悪最悪最悪。なんでなんでなんで。
学校に行くから外に出たはずのアオイが、脱衣時の扉の前で私にジト目を向けてきてる。
絶対怒ってる。もし今ちょけたら、この家から追い出されちゃうかも。
アオイの匂いを嗅げなくなるなんて……そんなのやだ!
どうしたらいいんだろう。
「はっ! ふふふ」
突然、雷に打たれたような閃きが頭に浮かんできた。
私がこの家から追い出されない、唯一の方法。
それは!
「お、おい。なに、やってんだよ」
「んむ? ちょっとまって」
よし。
これでパンツを頭に被れた。
「アオイ! 実は私、恋のキューピットじゃなくてサキュバスだったのっ!」
「…………」
どんな顔してるんだろう?
ボクサーパンツだったから、頭が半分以上隠れちゃって顔色が伺えない。まあ、私の前から動いてないから家から追い出すことはないな。うん。
それにしてもサキュバスに変装するなんて、我ながらいいアイディアだなぁ〜。
「おーいアオイー! なんか反応してよー!」
「お前、微塵も色気ないのにどうやってサキュバスやってんの?」
カッチーン!
それは悪魔の私のことも侮辱してる!
「色気はちゃんとあるもんっ」
「俺のパンツを被って断崖絶壁の胸を張ることか?」
「そ、そんなわけないでしょ! もう。そんな私の色気が見たいのなら見せてあげる。襲いかかってこ、な、い、で、ね♡」
「襲いかかることは死んでもないと思う」
ふふふ。そうやって冷静でいられるのも今のうち。
こうなったら、アオイのことをぎゃふんと言わせるくらいすごい本来の姿になってやる!
「しゃっきーんっ!」
天使の翼はきゅーとで真っ黒な悪魔の翼に。
おでこにくっつけていたハートのシールを剥がし。
神々しいオーラを引っ込めて、ドロっとした悪魔の空気をじゅわ〜っと出した。
これで、人間界の男はイチコロ。……の予定だったのだが。
「ちびっこ悪魔に襲いかかる趣味はないんだよね」
アオイは澄ました顔で扉を閉めようとしてきた。
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだよ。忘れ物を取りに戻ってきただけで、これから普通に学校なんだけど」
「学校なんかより私に魅了されろっ!」
「いや。魅了っつーか、学校ってのは行かないといけない場所なんだよ。悪魔にも学校ってないのか?」
なんで。
なんでアオイは私が悪魔だって正体をばらしたのに平然としてるの……。
「ま、そんなことどうでもいっか。じゃあ俺、行ってくるか」
アオイは私のこと見てくれてないのかな?
アオイは私のことどう思ってるんだろう?
そんなことを考えていると、体が勝手に動いて。
「学校より私のことかまって」
「っ」
普段絶対言わないような小っ恥ずかしい言葉をかけながら、玄関に向かうアオイのことを後ろから抱きしめてた。
「私と一緒にいてよ。ひとりやだ」
ひとり。魔界にいたときはずっとひとりだった。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと……。友達は何回かできたことがあるけど、すぐみんな人間界に行っちゃってずっとひとりだった。
私はこの人間界で一緒にいたい人に出会った。
アオイとは友達のときのように離れたくない。
ひとりになりたくない。
アオイの帰りを待つのなんてやだ。
「わがまま言わないでよ」
魔界から人間界に行く友達に言われた言葉を、またかけられた。
こう言うってことは、私はもう……。
「……まあ皆勤賞を狙ってるわけじゃないし、今日くらいは家でゆっくりしてもいいかな」
「はっきり言って」
「学校に行かないで、一緒にいてやるって言ってんだよ。……明日は学校行くからな」
「アオイ!」
「ちょ、おまっ」
また私の体が勝手に動いて、今度はアオイのことを押し倒しちゃった。
ん?
もしかして、私の好きなアオイの匂いって直接アオイから嗅いだほうがいいんじゃないの?
「すぅ〜……はぁ〜……――ふへ」
やっぱり!
やっぱり直接嗅いだほうがいい!
「すぅすぅすぅはぁ〜……すぅすぅすぅはぁ〜……」
「なあ。俺ってそんな臭いのか?」
「……くちゃい」
「まじかよ!」
ふへっ。
アオイは私だけの。私だけの。私だけの匂い。私だけのアオイ。
◆◇◆◇
「やべーよやべーよ。いつもこの状態で学校に行ってたってことは、周りの奴らから臭いって思われてたのか……。どうりで友達ができないわけだ」
「アオイ。心配しないで。私がアオイの友達……いや! 番になってあげるから!」
「……はあ?」
俺はあまりにも突発的すぎる言葉に、リアクションしかできなかった。
まるで、告白のような言葉だ。もし今押し倒されてなかったら、モテない俺は真剣に受け止めていただろう。
だが、状況が状況。
俺が質問しようとすると、レイはすかさず口をその小さな両手で塞いできた。
「安心して。悪魔って本来は人間のことを受肉しないといけないんだけど、私が女王に直接番になれないかって聞いてあげるから」
おい受肉ってなんだそれ。
「いやいやいや。番になるなんて一言も言ってないからな」
「いや、なの?」
とろけるような甘い言葉をそっと囁いてきた。
「…………」
「む」
ムスッと不機嫌そうな顔になったレイは小さい舌をべぇーっと出しながら、人差し指で首筋をすぅー……っと撫でてきた。
「っ」
ゾクゾクゾクッと背筋に電撃が走り、全身に鳥肌が立った。
『悪魔の微笑み』
この言葉が、さっきまで駄々をこねていた変態幼女の今を表すのにぴったりだ。
「で、どうなの。私の番になってくれるの? くれないの?」
レイは悪魔の微笑みの二つ名がぴったりな顔はどこか彼方に消え去り、今にも泣きそうな顔で俺の顔を伺ってきた。
正直、番になるかどうかという質問に答えかねる。
それは、まだレイのことを何も知らないからだ。
不思議と俺の中で、レイと番にならないという選択肢は浮かんでこない。
明確な理由はない。
ただ、家に住まわせているのと同じく、どこか俺と似ていたから。
結婚? 番? っていうのはよくわからないけど、そうなってもいいなと思える。
でもここはあえて。
「番にならないよ。少なくとも今は」
「なっぬぅ〜!!」
「言ったでしょ。少なくとも今はならない。レイの振る舞い方次第では、番になるのも悪くないなとは思ってるからね」
「む」
明らかに不満そうな顔をしたレイは体を起こして、俺のことを見下ろしてきた。
「ぜったい番にならせるから!」
「できるものならやってみな」
最初は最悪の居候だと思ってた。
でも今は不思議と、レイが同じ屋根の下で生活すると思うと胸がぎゅっと締め付けられる。
俺が帰る場所は電気がついている。
俺には俺のことを思ってくれる人(悪魔)がいる。
俺は一人じゃない。
思い返せば、あの出会いが一人暮らしをする前から感じていた疎外感が払拭される瞬間だった。
俺は谷口葵。
小さなアパートで寂しがり屋の自称サキュバスと同居している。