5.生贄姫は旦那さまを直撃する。
結婚したあの日『好きにしろ』と確かにテオドールは言った。
だが、ここまで拡大解釈されるとは正直思っていなかった。
「おはようございます。素敵なお住まいですね! 旦那さま」
「……なぜここにいる」
テオドールがいつもの日課を終え屋敷に足を踏み入れた瞬間、違和感に気づいた。
コーヒーの匂いに加え、人の気配があったからだ。
通常ならばあり得ない。
この屋敷には基本的に使用人を常駐させていない。
必要に応じて招き入れることはもちろんあるが、早朝出勤前のこの時間帯に誰かがいることなどあり得ないのだ。
最大限警戒し、コーヒーの匂いがしたダイニングルームに続くドアを開けるとそこにはなぜかメイド服を身にまとったリーリエの姿があり、うやうやしく礼をして出迎えられた。
「朝食の支度が整ってございます。私朝はミルクたっぷりのコーヒー派なのですが、旦那さまはコーヒーと紅茶どちらになさいますか?」
テオドールの質問をスルーしたリーリエはテオドールに席をすすめ、代わりに飲み物について質問する。
テオドールの嗜好が分からなかったので、とりあえず両方準備してきたが、さすがアルカナの王室御用達品。どちらも上質なものだし、どんな飲み方でも美味しく頂ける。
「質問に答えろ。なぜここにいる」
警戒心を解くことのない低い声音。顰められた眉はリーリエの存在を訝しみ、歓迎していない事を代弁する。
「好きにしろ、と。旦那さまはおっしゃいましたので、旦那さまと朝食を共にしようかと思いまして、僭越ながら用意させていただきました」
だが、歓迎されていないことは元からわかっていたことなので、リーリエは悪びれることもなくそう言って微笑む。
「断る。食事も不要だ」
「旦那さま、食事は体作りの基本ですよ? 特に朝食は大事なんです。運動後ですし、仕事に差し支えます。時間もないことですし、質問は食事を摂りながらお答えする、と言うのはどうでしょうか?」
「何が入っているかも分からないものを口にする趣味はない」
「私用に用意されていたものを持ってきただけなので、私が作ったわけではないのですが、必要なら目の前で毒味いたしましょう。万が一の時のために解毒剤もご用意しておりますのでお渡ししておきますね」
リーリエは音もなくテーブルに解毒剤の入った小瓶をおく。
そう言われるとわかっていたかのような準備のよさである。
「仮に毒入りだとして即効性の毒とも限らないがな」
「なるほど! ではコチラをどうぞ。状態異常ブロック効果がある自作の魔道具です」
にこっと微笑んだリーリエはどこから取り出したのか小瓶の隣りにコトリと銀色の腕輪が置かれる。
「いきなり押しかけてきた人間に渡されたこれらが本物だと信じろと?」
「さすが旦那さま。素晴らしい自己管理能力です。こんな事もあろうかと、解毒剤購入時の領収書と効能証明書、腕輪の鑑定書もご用意いたしました」
証明書類をテーブルに追加で置くリーリエ。
テオドールの嫌味も威圧的な態度も全く通じる気配がない。
にこにこにこと効果音がつきそうなくらい笑顔で応酬してくるリーリエに諦めにも似た境地で折れたテオドールは、ため息をつきながらテーブルに着いた。
「コーヒーはブラック、紅茶はストレート派だ。銘柄に拘りはない」
「ええっと……旦那さま?」
テオドールから発せられた予想外の言葉に、きょとんとなったリーリエは一瞬ためらい、首を傾げる。
「聞いたのはお前だろう」
椅子に座ったテオドールは、諦めたような声音でそう吐き出す。
どうやら先程の質問の答えが返ってきたらしいと認識し、リーリエはクスリと笑う。
「毒入り疑惑が晴れたようで良かったです。その鑑定書が本物か分からないだろうが! くらい言われるかと思っておりました」
「わざわざ食事を銀食器に移し替えて毒がない事を示しているのに、か?」
毒が有れば変色するよう銀食器を使用する事がある。ただし、この国の王城では料理が映えるよう白の陶器製の食器を使用していることが多い。
宮仕の魔術師が食べる直前に貴人の目の前で浄化魔法をかけるので毒殺の心配がないためだ。
「私、浄化魔法は使えませんし、旦那さまからの信頼も信用も全くないでしょうから」
「言い合うだけ時間の無駄だと判断したまでだ。そもそも毒の対策ぐらいしている」
テオドールは当たり前のようにそういうと自分でコーヒーを注ぎ一口飲んだ。
「旦那さま! 私が」
「給仕の真似事も必要ない。それより座れ。用件は手短に」
テオドールは変わらず眉間に皺を寄せているし、リーリエの真意を探るような視線のままだが、どうやら同席を許されたらしいとリーリエは理解する。
促されたリーリエは素直に席に着く。
「食事が1人分しか用意されていないが?」
「正直な話、初日から旦那さまに同席を許可していただけるとは微塵も思っておりませんでした」
朝食を共にと言っていたはずなのに一人分しか置かれていない食事。
当然の疑問にリーリエは少しばつが悪そうに肩をすくめる。
「立場をわきまえつつ、使用人なら一言二言だけでも旦那さまと言葉が交わせるのではないかと。そうしてみたくて、押しかけてしまいました。食事自体はお屋敷の料理人が作ったものですから、美味しいと思います。どうぞ遠慮なく召し上がってください」
言葉が交わせたので今日の目標は達成ですと満足そうなリーリエ。
そこに嘘は感じられない。
初日の挨拶とは違う彼女の様子にこちらが本来の彼女の姿なのだろうとテオドールは考える。
だが、テオドールはどうにも居心地の悪さを覚えてしまう。
「……もとはお前に用意されていたものだ。俺のことは気にせず食え」
『悪意なく自分のためだけに食事が用意された』というこの状況が。
「私が飢えてしまわないか、とご心配くださるのですか? 旦那さまは本当にお優しいですね」
「そんなことは一言も言っていない」
「では私が勝手にそう思っておきますね!」
テオドールの眉間のしわが深くなる。
それでもリーリエは楽しそうに笑う。
何がそんなにおかしいのかと訝しまずにはいられない。
普通なら、不快感を示しておかしくはないだろうにとテオドールは思う。
「ご心配いただきありがとうございます。ですが、そちらの食事はやはり旦那さまがお召し上がりください」
不快感どころか同席を許されたと解釈し内心歓喜しているリーリエはテーブルに持参してきたバスケットを取り出す。
「自分の食事は持参していますので、お言葉に甘えてご一緒させていただきますね。ただ、その……笑わないでくださいね?」
そう前置きして、少し恥ずかしそうにバスケットから中身を取り出した。
置かれたものは歪な何かだった。焦げは目立つし、切り口はボロボロ。ハムとチーズらしきものが挟まれているところを見るにおそらくホットサンドになりそびれたそれは、テオドールの目の前に置かれた朝食と比べると食事と呼んでいいものか判断に迷う。
「それは……?」
「えっと……料理自体は久しぶりなもので。時間もなかったですし、お部屋だと限界が……。あ、でも味は大丈夫なはずなのです」
細められていた眼が僅かに驚きの色を帯び信じられないものを見たとばかりに見開かれる。青と金の宝石のようなその目を見ながら、これならばいっそのこと笑ってくれたほうがましだったかもしれないとリーリエは思う。
7つの頃から様々な分野で能力を磨いてきたが、料理の才だけは得られなかった。
「公爵令嬢が……自分で料理、だと?」
だがテオドールの驚きは作られたそれ自体よりも、リーリエの行動そのものに向けられていたらしい。
通常貴族の子女は使用人の真似事はしないし、ましてや料理などするはずもない。
磨くべきは己の身で、身につけるべき教養に料理は存在しない。
「これを料理と呼ぶのは烏滸がましい自覚はあるのですが、大抵のことは自分でできます。旦那さまとおそろいですね」
だからこそ、この国に来る際自国から使用人の一人すら連れてくることが許されなかったこともリーリエにとってはさしたる問題ではなかった。
父は最後まで抗議していたらしいが、リーリエとしてはむしろ一人で送り込んでくれたほうが気兼ねなくてありがたかった。
「さて、これで食事の問題は解決ですし、朝食にしましょうか? 旦那さまの出勤時刻も迫っていますしね」
料理の出来をこれ以上言及されるのは避けたかったリーリエは、自分用にミルクたっぷりのカフェオレを作るといただきましょうとテオドールを促し、話題は強引に終了させた。
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