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31.生贄姫は日常を取り繕う。

「稽古をつけて欲しい、って本気か?」


 薬草の管理や薬の生成体制、その他第二騎士団の改善項目の洗い出しなど、これからやるべきことなど進捗状況を報告し終えた後で、遠慮がちにリーリエはそう申し出た。


「長剣は昔からどうしても苦手なので。一人でやると変な癖もついてしまいますし、旦那さまの朝の稽古時にお相手していただけないかと。代わりに、古城周辺の結界の強化をお手伝いいたします。ちょうど新しい魔法具の術式組んだので、性能チェックしたいと思っておりましたし」


 ダメですか? と伏目がちにお願いされるが、はっきり言って顔を赤らめながら恥ずかし気にする頼み事ではない。


「俺は構わないが、あっちは放っておいていいのか?」


 テオドールはリーリエの執務室の一角を占めている資料の山を指さす。


「……旦那さまのご命令とあらば、喜んで」


「やりたくないんだな。突き返すか?」


「いえ、自分の失態の後始末くらい自分でします。結局ルゥにも迷惑をかけてしまいましたし」


 はぁとこれ見よがしにため息を漏らしたリーリエは自身の食指が動かない案件に頭を悩ませていた。

 熱で浮かされていた時のことはほとんど覚えておらず、せっかくのルイスとの会談の場も生かし切ることができなかった。

 そのうえ、ルイスにフォローされたらしいことも熱が下がってからテオドールに聞き、リーリエは何とか現状を把握した。

 頭を抱えるリーリエに追い打ちをかけるようにテオドールから渡されたルイスの置き土産を見て、まんまと仕事を押し付けられたことを悟ったリーリエは心底嫌そうな顔で不承不承に引き受けたのだった。


「ルゥに借り作ると一生集られかねませんので、今のうちに清算します。しますけど、コレ、正直他国の人間に触らせていい案件じゃないですからね? 私が間者で外部に流したらどうするつもりなんですかね、あのギャンブラーは!」


 ルイスとの関係もテオドールが把握したことを認識したリーリエは、他人行儀を改め堂々と悪態をつくようになっていた。


「それだけ信頼している、という事だろう」


「信頼という名の脅迫の間違いなのですよ、旦那さま。運命共同体ですからね、沈むときは道連れにしてやるってことなのだと思います」


 綺麗な顔してやることがえげつないとリーリエは喚くが、リーリエも大概だというのがテオドールの認識だ。

 あの熱を出した日以降数日はいつ見ても降ろされていた蜂蜜色の髪は、今では元通り作業中邪魔にならないようまとめられるようになっていた。

 リーリエが回復した後改めて謝罪したテオドールに対しても、


『気にしないでください』


 の一言で切り上げられ、それ以上言及される事も弁明を許されることもなかった。

 リーリエが熱に浮かされながら呼んだテオドールの愛称が再びその口から聞かれる事はなく、テオドールの言いそびれた言葉は空に浮いたままで、2人の関係は表面上何も変わる事のない日常に戻っていた。


「とりあえず、騎士団合同演習までに一区切りつけられるように頑張ります」


 一応妃殿下本職ですしねとリーリエは笑う。


「騎士団の皆さまにリーリエとしてお会いするのはなんだか寂しい気もいたしますが、今回ばかりは仕方がないですね」


 ヒールポーションの効果実験の名目で幾度となく通った訓練所。

 リーリエはテオドールの許可を得て、ヒールポーションは、あくまで自然治癒力を高めるもので、その肉体の限界を超えた効力はないといった知識の普及を行なっていった。

 回復魔法が必要な緊急時の手段としての運用を約束し、薬効の調整や生成が再現できるように暗号化したポーションレシピに落として行った。

 その傍らで熱中症対策や怪我をした時の応急処置方法の講義を実施し、経口補水液以外にも蜂蜜レモン漬けやきゅうりの塩漬けなどの差し入れを行っていたリーリエはいつのまにか第二騎士団でファンクラブができるほど馴染んでいた。

 特にゼノは毎回リーリエの入隊を口説いており、その度にテオドールに訓練内容を増加されしごかれていた。


「リーリエが来るとゼノがうるさいんだがな」


「ゼノ様は本当にお仕事熱心で素敵ですよね。落ち着いたら私もまた訓練に混ざってゼノ様と手合わせ願いたいです。ゼノ様のおかげで旦那さまのワーカーホリックも抑えられておりますし、ゼノ様の功績は計り知れませんね」


「普通はゼノとの手合わせなんて嫌がるんだがな。そもそもリーリエのそのゼノに対する絶対的信頼はどこから来るんだ?」


 やや呆れ気味にテオドールが尋ねる。


「どこ、と言われましても。だってゼノ様旦那さまの事大好きじゃありませんか? 旦那さまの素敵さが分かる方に悪い方はいらっしゃらないのですよ」


 毎回推し2人の絡みを見に行っていると言っても過言ではないリーリエからすれば、むしろ何故分からないのかが分からない。


「まぁでもあまりに仲が良すぎて、基本ノーマルカップ推しの私も一部の貴腐人に絶大な人気を誇る開けてはいけない扉が開きそうで心配になります。ヘタレ受けアリかもしれない」


 目の前でテオドールとゼノの並ぶ姿を見るたび、内心で尊いと叫び、ニヤニヤを押しとどめて平静を装ってはいる身としては、前世で二次創作に手を出さなかった事が悔やまれてならない。


「……とりあえず、一生開く事がないように今すぐ厳重に鍵かけとけ。今すぐに」


 なんとなく悪寒がしたテオドールはリーリエが暴走しないように『今すぐ』のあたりを強調してそう言った。

 2度も言われた、と苦笑しながらリーリエはどこかほっとしている自分に気づく。

 こんなやり取りができるようになったのだから、きっと嫌われてはいないのだろう。


『欲張っては、ダメね』


 熱に浮かされて見た悪夢が現実にならないためにも気を引き締めていかないとと自分に言い聞かせたリーリエは、目下の問題となっているルイスからの依頼に目を向けた。


「さて、ルゥの意図を読み解く事から始めないとなので、手間がかかりそうですねー」


 そう言って資料を手に取った時だった。不意にそれは訪れた。


『……な、んで?』


 リーリエは痺れるような電流が走った指先を見つめ、呼吸を整えるよう努める。


「リーリエ?」


「……申し訳ありません、旦那さま」


 その身体を引き裂くような痛みと衝動には覚えがある。無理に抑えつけようとして、動悸は増し冷や汗が出そうになる。


「急ですが、明日から稽古つけて頂けますか?」


「それは構わないが」


「では明日に備えて、今日は失礼いたします。明日の早朝からよろしくお願いいたします」


 リーリエはテオドールの方を見る事なくそういうと、足早に執務室を後にする。

 残されたテオドールはリーリエの異変に気づきながらも、ただその背を見送る事しかできなかった。

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ぜひよろしくお願いします!


次回は明日の朝更新します!

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