10.生贄姫は聖女と呼ばれる。
ダンスも終わり、今日のノルマは一応達成された。
夜会を何事もなく終える事は、今後の両国にも自分達の関係にも必要な事だ。
多少のやらかしは置いておいて、この分なら何事も無く終えられそうだなとリーリエはほっと胸を撫で下ろす。
それなりに慣れているとはいえ、頭の先から爪先まで気を遣い、ずっと笑みを浮かべているせいで内心ではくたくただ。
「お飲み物はいかがでしょうか? リオール産の赤ワインになります」
給仕に声をかけられる。
「旦那さま、いかがなさいますか?」
「ああ、もらおう」
テオドールが1つとったところで、リーリエは自分は不要と動作で伝える。
給仕はにこやかに去っていく。
「赤ワインは好みではないか?」
「ワイン、というよりもアルコール全般を控えております」
場内そこかしこに給仕がおり、ドリンクを持って回っているが、なぜか自分達の周りにはアルコール系の飲料しか回ってこない。
ノンアルコールもあるはずだから、地味に嫌がらせをされているのかもしれない。
「水を1つ、急ぎだ」
近くを通った給仕にテオドールが命じる。
目が合った給仕は青ざめた顔で直ちにと礼をし、全力で持ってきてくれた。
水を受け取ったテオドールはリーリエに渡す。
「私のために頼んでくださったのですね。ありがとうございます」
リーリエは礼を言って受け取る。正直喉が乾いていたのでありがたい。
「それにしても、素晴らしい宴ですね」
リーリエは改めて周りを見渡す。
社交、とはよく言ったもので、そうそうたるメンバーがそれぞれの腹を探り合うために舌戦を繰り広げている。
どこも、いつでも、やる事に違いはないなとリーリエは観察しながら思う。
だからこそ、いつだって気が抜けない。そうでなければ、手足を絡め取られて沈むのは自分かもしれないのだから。
「……疲れたか?」
テオドールから声をかけられ、リーリエははっとして隣を見る。
「お前にしては珍しく殺気だっていた」
「……申し訳ありません、旦那さま」
思考が飛んでいた事と、それに気づかれていた事に素直に驚き、謝罪を口にする。
「構わない。俺の他に気づく者もいないだろう。が、何か気になることでもあったか?」
小声で話しかけてくるテオドールの顔と声音からは、リーリエへの心配と気遣いが感じられた。
リーリエは目を見開き、まじまじとテオドールを見返す。もともと大きめな翡翠色の瞳はさらに丸くなり、まるで猫のようだ。
「俺は察するのは得意としない。できるなら言語化してくれ」
目を逸らしたのはテオドールの方だった。
リーリエもぎこちない動作で自身の手元に視線を逸らし、グラスの存在を思い出したように水で唇を湿らせた。
「……旦那さまはお怒りではないのですか?」
「何に対してだ?」
「先程私は随分と生意気で失礼な物言いをしましたので」
リーリエはダンスの間に捲し立てた内容について後悔はしていない。が、多少なりと反省はしている。
もう少しマシな伝え方があっただろう、と。
「……っふ、先ほどは随分と意気が良かったくせに。お前は、やはり変わっているな」
喉元をくくっと鳴らし、テオドールは静かに笑った。その微笑はとても不器用で、感情の表し方を知らないかのような笑い方だった。
『初めて、見たかも。カードだって、スチルだって、笑っているシーンなかったもの』
「物言いは特に気にしていない。忠告も聞き入れよう。俺に対して臆せずもの言える貴族令嬢は、お前が初めてだしな」
テオドールの物言いはやや柔らかくなっており、隣にいても圧を感じない。信頼を勝ち取れたわけではないだろうが、興味は持ってもらえたのかもしれない。
あんな意味の分からない用語を乱用したというのに、一体何が彼に刺さったのか?
「旦那さまの方こそ、変わっていらっしゃいますね」
リーリエは小首を傾げ、嬉しそうに囁いた。
「後は適当なところで切り上げるか」
「よろしいのですか? 主役が中座しても」
「いる意味も特にないだろう。義務は果たした」
さして面白くもなさそうにテオドールは辺りを見回す。
確かにその通りだ。十分に義務は果たし、嫌になるほどの好奇の視線を浴びた後の自分達にはもう興味がないと言わんばかりに宴は進んでいる。
遠巻きに眺められることにももう飽きたし、テオドールと共に抜けるものいいかもしれないとリーリエがそう思った時だった。
テオドールの目が急に険しいものに変わった。
ふらふらと踊るようにおぼつかない足取りで、綺麗なドレスを着た華やかな女性が近づいてきた。
ふわふわと揺れる美しく長い銀糸。ボリュームのあるプリンセスラインのドレスをきていても華奢だと分かる体躯。そこから覗く肌は血の気が引いたのではないかと思うほど白い。
「ステラリア」
テオドールが彼女の名を呼ぶのと、焦点の合わない碧眼でこちらを見た彼女が、急に意識を失い倒れるのはほぼ同時の出来事だった。
「きゃー」
「ステラリア様!!」
会場が騒然となり、ステラリアが倒れたことが一気に広がる。
「ステラっ!! 貴様っ! 私の娘に何をしたーー!!」
人混みを掻き分け走ってきた中年の男性には見覚えがあった。チェイス・デメテル・リオール侯爵、つまりステラリアの父親だ。鬼のような形相でテオドールからステラリアを奪うと高圧的な態度でテオドールを睨みつける。
「俺は何もしていない。それより早く宮廷魔術医を呼んだらどうだ」
リオール侯爵の不遜な態度を気に留めることもなくテオドールは事実を淡々と述べる。
「貴様に指図されるずされる謂れはない。ステラはお前のような死神が触れていい娘ではない。お前が近づくだけで死が寄る。貴様、娘に何かあったらただでは置かないからな」
怒鳴り散らすリオール侯爵をリーリエは冷めた目で見ながら周りを観察する。
テオドールは仮にもこの国の王子だ。ステラリアは確かテオドールのはとこにあたる。序列から言ってもテオドールに対してこのような物言いが許されていいはずがない。
「ああ、ステラっ! なんてことっ!? 邪気にあてられたの? お願い目を開けて!!」
騒ぎを聞きつけ宮廷魔術医とともに駆け付けたステラリアの母親であるリオール侯爵夫人はステラリアに近づき、彼女の名を呼びながら力強く揺する。
「何をしている。ステラリアを殺すつもりか!?」
急に意識を失い倒れた相手を力の限り揺さぶってはいけない。当たり前の注意と共にリオール侯爵夫人の肩に手をかけたテオドール。
だが、リオール侯爵夫人は注意を聞き入れるどころか蒼白になり涙を流しながらその手を払いのけ、
「この疫病神っ! 王家主催でなければ誰がこんな夜会など」
と激しい非難の目を向けた。
明らかな言い掛かりだというのに、誰も彼も非難の声を上げるものはおらず、まるでリオール侯爵夫妻の言い分が正しいと言わんばかりだ。
「貴様っ、妻と娘から離れろ!! 何の恨みがあって」
殴りかかってきたリオール侯爵をテオドールはひらりとかわし、リオール侯爵は顔面から床にダイブした。
「あなたっ! イヤーー」
悶え苦しむリオール侯爵と泣き叫ぶ夫人。
そんな2人に構う事なくテオドールは、宮廷魔術医に声をかける。
「ステラリアの状態は?」
「た、直ちに私が回復魔法をかけますので、少し距離をお取りください」
テオドールに声をかけられたことで緊張したのか、たどたどしく答えた宮廷魔術医が杖をかざし詠唱を始める。
「”リカバリー”」
長い詠唱の後に宮廷魔術医が高らかに声を上げ、体力回復魔法をかける。
ステラリアの体は光に包まれるが、光が消えても彼女が目を覚ますことはなかった。
ステラリアに変化が見られないことで宮廷魔術医は焦りながら毒除去、魔力回復など、思いつく限り重ね掛けしていく。
だが、ステラリアの容体は回復するどころかますます血の気を失っていった。
「ステラ! ステラっ? いやよ、目を開けてっ!!」
リオール侯爵夫人の泣き叫ぶ声とともに『死神』『呪いだ』などとまことしやかに囁く声が辺りを包む。
リーリエは会場に漂う非難の声や周りの視線をテオドールの隣で浴びながらぎりりと奥歯を噛み締める。
『ここには味方が1人もいないのね』
テオドールは何一つ非難されるようなことなどしていないというのに。
当たり前のようにテオドールのせいにされる事に腑が煮えくりかえる。
『ああ、嫌だ』
知っていたはずだった。画面の向こうに広がる理不尽とそれを気にすることもなくなすべきことをなすために立ち向かう彼の物語を。だが、知っていても目の前で繰り広げられる彼を傷つける茶番をこれ以上許容できない。
「これだから”死神”は」
その言葉が耳に届いたとき、リーリエの理性が切れた。
『もうっ、無理っ!!』
バシーンッ。
会場に響き渡った破裂音にあたりのざわめきが一瞬にして消える。
「正気に戻りまして?」
テオドールは音の発信源に目をやれば、そこには両手を打ち合わせ怒気を隠そうともせず微笑むリーリエの姿があった。
「今のは……猫騙し……か?」
「ええ、ただの猫騙しです。何人かは気を失われたようなので、宮廷魔術医の方は後で治療をお願いしますね」
リーリエは倒れているステラリアに近づき、完璧な淑女の微笑みを浮かべ、
「このままではステラリア様のお命に関ります。リオール侯爵夫人どうぞ、私にお任せください」
リオール侯爵夫人にそう申し出る。
あまりの衝撃に放心状態になっていたリオール侯爵夫人はあっさりとステラリアを手放した。
リーリエはステラリアを横に寝かせ気道を確保し、脈を図る。嘔吐はないが呼気からはかなり強いアルコール臭がした。
「これは急性アルコール中毒ですね。今から応急処置を行いますので、旦那さま、お手伝い願えますか?」
「毒? だが、会場内の飲食物には浄化魔法をかけてあるし、宮廷魔術医の毒無効化も効かなかったが」
「通常の”毒”ではございません。アルコールも過剰摂取すれば体が耐えられず、”毒”と成り得るのです」
リーリエは早口で説明しながらも手を動かし、ドレスの下でステラリアを締め付けるコルセットを風魔法で裁ち、血液循環を促す。
「旦那さまはこちらで”経口補水液”の作成をお願いします」
リーリエは瓶に入った水と2種類の白い粉、レモンとともにメモをテオドールに差し出す。
メモにはリーリエの几帳面な文字で水1リットルに対し、塩3g、砂糖40g、レモン液数滴入れてよく混ぜるを記入してあった。
「どこから出てきたそれは? というか経口……? なんだそれは?」
「備えあれば、ですよ。旦那さま。まぁ、お薬とでも思ってくださいませ」
リーリエはなれた手つきで処置を続けようとするが、
「何をしているのです! 私が回復魔法をかけますので、お退きください」
「貴様ら、ステラリアから離れろ!!」
我に返った宮廷魔術医とリオール侯爵が二人掛かりでリーリエを押さえつけようと背後から手を延ばす。
だが、リーリエにその手が届くことはなかった。
「これでいいか? リーリエ」
片足で二人を薙ぎ払ったテオドールは、リーリエのメモ通り作った経口補水液を彼女に渡しながら、
「こいつら片付けとけ。邪魔だ」
と側にいた使用人に顎で指示していた。
初めて名前を呼ばれたことと、テオドールに助けられた事実に驚き、翡翠色の瞳が大きく瞬く。
「どうした? 急ぐのだろう?」
「信じて……くださるのですか?」
何てことのないようにテオドールはそういうが、この世界の医療はあまり発達していない。
貴重な回復魔法があればそれで事足りると信じて疑わない世界のなかで、リーリエの行動は人々にとって異常に映る。
テオドールにとっても、もちろん奇異な行動に見えたはずだ。
「責任はすべて俺がとる。リーリエは、思うとおりにやれ」
リーリエの頭に軽く手をのせたテオドールの色違いの双眸が真っ直ぐにリーリエを射抜く。
「はい! お任せください、旦那さま」
こんなところでファンサービスしないで欲しい。
そんなかっこいいセリフを言われたら全力で応えるしかないじゃないかと悶えそうになるのをぐっと押し殺し、リーリエはなんとか平静を保つことに成功した。
『結構な量のアルコールが感じられる。かなり血液中に溶け込んでるわね』
リーリエは意識を集中しながら、ステラリアの体内の水質状態を再度確認する。
「ステラリア様のお体は今脱水状態。私が体液ごとアルコールを抜いて意識の回復を図ります」
「アルコールを抜く?」
「私、こう見えても加護持ちのマスタークラスですので水魔法は得意なのですよ」
「水魔法、だと?」
リーリエはにこりと笑ってうなずくと懐から魔法陣の書かれた紙を取り出し、ステラリアの首や手首、足首など見えている個所に貼り付けていく。
「回復魔法スキルだけがすべての最適解ではないのですよ、旦那さま」
この世界で原状回復ができるのは大聖女の”蘇生回復”スキルくらいで、通常の回復魔法は基本的に体力回復や魔力回復にとどまる。宮廷魔術医レベルなら上位スキルの状態異常回復も使えるが、これらは通常”毒”や”麻痺”にしか効かない。
水と風魔法を主力とするリーリエはそもそも回復魔法の類のスキルは持ってはいないが、人体の60%は水分と言える。
リーリエの目にステラリアの体内で体液に溶け込むアルコールや彼女を害するものが浮かび上がる。
『体のほとんどは”水”。血液の流れを読んで、アルコールだけ抜き取る!』
リーリエはステラリアの体の中心付近に手を置き、意識を集中させる。
ステラリアの体を魔法陣から抜け出した文字がぐるりと駆け巡り、リーリエがステラリアの身体から取り出した深紅の気体は空中に一度離散し、すべて液体となって瓶の中に納まった。
「リオール侯爵夫人、ステラリア様はとりあえず大丈夫ですよ」
リーリエは淑女の微笑みを浮かべ、座り込んでいたリオール侯爵夫人に声をかけた。
「ステラっ!!」
呼吸は整い、血の気も戻ったステラリアがゆっくりと目を開ける。
「ステラ!! ああ、ステラっ!!」
「お母……様?」
ステラリアはまだぼんやりとした様子だが、回復魔法がかけられているので、すぐに自力で歩けるようになるだろう。
ほっとして息を吐き出したリーリエは、瓶の中身を侯爵夫人に差し出す。
「こちらはステラリア様がお召しになったリオール産のワインです。未成熟の体で空腹時に多量のお酒は毒になるということをお忘れなきよう」
コトリと音を立てて瓶を置く。
まさか自分の領地の名産品で娘が倒れたなどと思っていなかったのだろう。
リオール侯爵夫人は口を開こうとしたが、そこから言葉が漏れることはなかった。
「ああ、侯爵夫人、こちら先程旦那さまが作って下さった経口補水液です。脱水症状の改善に良ければゆっくり飲ませてあげてくださいませ」
リーリエは最後まで礼一つ述べない彼らに優雅に笑ってそれを渡し、もう用が済んだとばかりに立ち上がる。
「旦那さま、私少々疲れましたので、屋敷まで送ってくださいますか?」
もうこの場にいる必要もないだろうと言外にそう告げるリーリエの意図をくみ取ったテオドールは彼女の手を取り軽くうなずく。
「では皆様、ごきげんよう」
文句のつけようがないほど完璧な所作で挨拶をして見せたリーリエは、淑女の笑みを受けたまま退出する。
死神王子に物怖じせず、宮廷魔術医を差し置いて颯爽とステラリアを救って立ち去る彼女を見て、会場に居合わせた人々は口々にこうつぶやく。
『聖女が現れた』と。
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