後日談もしくは蛇足
「あら、まぁ」
次々代の女王として相応しい気品と威厳を身につけた王女、とはいえ、不意打ちにはさすがに弱かった。
ぽかん、と、思わず開いてしまった唇を優雅な仕草で広げた扇で隠し、彼女は眉を顰めて問いかける。
「貴女を疑うわけではないけど、それでも言わせてね。本当なの?」
「はい、殿下」
王女の乳母の娘、乳姉妹、同性の側近である伯爵令嬢は、自分と同じく国元から着いてきた母親が指摘しないことから、王女らしからぬ態度には知らぬふりで、小さく首肯を添えて続けた。
「妃殿下におかれては大層お怒りのようで、我が国から譲られた秘薬だけでは足りない。故、その、すべてないものにする、と書かれた妃殿下専用の紋様の透かしが入った書状を下女を装った者から預かりました」
「……」
数日前、美しく整えられた庭園で相対したこの国の国母、王妃の凍てつくような覇気を思い出した王女は、扇の下で息を吐いた。すでに現国王である祖父に王太子である父ほどではないが、顔を売るために外交の場に着くこともあるが、それもあくまで自分はオマケでしかなかったのだと痛感したものだ。正直、怖かった。
「国としての判断ですから婚姻しても種はいらないので、あまり変わらないと言えばそうだけれど」
どこか実感の湧かない様子でそう言った王女は、乳母の方を見た。
「貴女はどう思う?」
机に置かれたこの国の王妃しか使えない紋が透かしとして入った便箋をちらりと見た王女の乳母であり、王女付きの侍女の第一である彼女は感情のないような声で言う。
「当然の結果でございましょう。すでに複数の畑に種を撒くような愚か者ですが、今度は種がないからと身元のしっかりした貴族未亡人ならともかく、病持ちを閨に引き込んだ挙句に、それを撒き散らされては困ります」
「あぁ、そういうこともあるのね」
性教育はされているが、まだ男側のことなど考えも及ばない王女は憂い顔を扇の下に隠す。
「この件については、陛下や王太子殿下がご対応くださいましょう。姫様はこの書状については知らなかったことになさいませ」
「そうね。さすがに私の手には余るわ」
ほぉ、と、息を吐く姿も優雅に映るよう計算された王女に、乳母の娘が丁寧に書状を下げた。密使から渡された以上、表沙汰にすべきことではないが、同時に、王妃の紋まで使われた書状に嘘があれば、後々使えるものだからだ
王女の気を紛らわせようと、人払いを解くとすぐに侍女たちがお茶の準備に入る。
「……」
国に戻れば王女の宮の侍女長である乳母は、時折動きの甘い者に鋭い声をかけつつ、自国の国王から国を発つ前に聞かされていたことを思い出す。
──この国の先代国王は確かに王宮の離れに幽閉されているが、いまだ我が国の王妃殿下への執着を捨てず、その離れに悍ましい道具を揃えていること。
それを、例えば髪が、例えば声が、王妃に似た女で試していること。
『そんな男が、母に瓜二つといわれる王女に目をつけないはずがない』
そう言っていたのは、国王の隣に立っていた彼女の兄と乳姉妹である王太子だった。
それならば予定を変えてしまえばいいのではないかと思わなくもなかったが、さすがにそれは国同士の約束事だ。予定は変えられず、かわりに国元から連れてきた侍女の半分は戦闘もできる本来は国王付きの女官である。
それ以外にも密偵を兼ねた影の護衛がつけられているだろうが、そちらは彼女も正確なところは知らない。
「……」
甲斐甲斐しく世話を焼く侍女に美しく微笑む王女の横顔に、孫がいるとは思えないほど若々しい王妃殿下の面影を見た彼女は、す、と、気配を殺して部屋を出た。
隣国の王位継承第二位である王女を迎えるにあたって、王宮と学園の中間に小さくない屋敷が用意されていた。国から王女の付き添った中では上位である彼女は当然仕事部屋を兼ねて一人部屋を与えられており、そこで直属の上司である王太子妃殿下と王太子殿下、恐れ多くも国王陛下への報告書を綴るために部屋を出た彼女は、憂を仮面のような無表情に隠して歩く。
この国との戦争については表向きの話は勿論、戦争というには一方的だったといった当時のリアルな話を含めて従軍した父から聞いている彼女からして、いまだ執着、いや、妄執止まぬ先代国王は気持ち悪い。正直、乳母として恐れ多くも心では娘とも思う王女が先代国王の目に触れるのも悍ましい。
いっそ惨たらしく死ね。とまで思う。王女のこともだが、麗しい王妃殿下は彼女にとって物心ついた頃からの憧れだからだ。デビュタントで王妃殿下から花冠を頂いた時など、淑女としてあるまじきことに感激のあまり泣いてしまったほどである。片や娘、片や神のように憧れるお方、そんな二人にともなれば、当然といえば当然の感情かもしれない。
「……」
扉の鍵まで閉め、伏せ気味だったまぶたを上げる。
鍵つきの机の棚から特別な報告をあげる時用の一式を取り出し、彼女はペンにインクを浸した。