ネタバレからいうと自業自得・1
「父上、お聞きください!」
侍従を押し退けるようにして国王の執務室に入ってきた第二王子は、その勢いのまま叫び、
「黙れ」
一瞥もなく、ただ一言で動きを止められた。
「……」
さらさらと何事かを書きつけてから、国王は顔を上げた。若干前屈みな体勢で動きを止めている息子の間の抜けた様子が視界に入り、不愉快そうな眉間の皺がさらに深くなる。
「父上」
「ここは何処だ」
「は?」
「ここは何処だ」
静かに、音なく置かれたティーカップを手に取り、同じ言葉を三度も言うつもりはないと態度示す国王に、幾度か目を瞬かせた第二王子は、あ、と、小さく言葉を漏らして姿勢を正した。
「国王陛下の執務室です」
「……そうだ。それもまさに執務を行っているところにわざわざ来たのだ、なんぞ重要な案件があってのことだな?」
喉を潤した国王は促す調子で第二王子に質問を放り投げ、
「は「無論、これら今後の国に関わる案件よりも重要であろうな?」
第二王子の言葉を遮るように投げつけられた言葉は冷ややかで、部屋に飛び込んできた直後と同じように第二王子は言葉も動きも止める。
第二王子が父親である国王に訴えたいことは、彼からすれば自国と隣国の今後に関わるものだと信じているが、同時にいますぐというものでもない。程度の判断はついたからだ。
「は、ではわからん」
「あ、あの、は、早くにお伝えしたいとは思いますが、そちらが終わってからでも十分間に合うかと」
「で、あるのに、国王の執務室に止める侍従らを押し退けて入室してきた。と」
「気が急いておりました。申し訳ございません」
頭を下げる第二王子に、国王はわざと鼻を鳴らした。びくり、と、肩が揺れる。血の繋がった親子とはいえ、父王はもちろん、母王妃よりも祖父である先代国王に育てられたと言っていい第二王子は、公人である父親を苦手としているからだった。
「しばし待て」
「はい」
再び紙にペンを走らせる音が聞こえた第二王子は、そろりと数歩分後ろに下がってから顔を上げる。思った通り、国王は手元の書類と傍らの宰相らブレーンとなる部下の報告を受け、彼に注意を払ってもいなかった。
「こちらへ」
「……」
静かな、空気をほとんど揺らせないような声に促され、来客用のソファに座る。すかさず、こちらも音も立てずにティーカップが置かれた。
揺らめく湯気と広がる香りに、少しだけ第二王子は慰められた気がした。
幾ら経ったか。やることのないただ待つだけの時間に入室時の勢いも無くなった第二王子が、いっそ暇を請うかと思ったところで、やっと国王が立ち上がった。ひと段落ついたのだろう。
第二王子のいる来客スペースに足を進める国王に深く頭を下げた宰相たちは、すぐに渡された(内容によっては突き返された)書類を手に室外に出た。
それに続き、国王と第二王子にまた香りの違う茶の注がれたカップを供したメイドや侍女も、国王の手に動きに合わせて外に出る。
パタン、と、音を立ててドアが閉まった後には、国王と第二王子しかいなかった。
「さて、其方の話だが」
促す言葉だと思った第二王子が口を開いたところで、国王の言葉が続く。
「当然のことだが、婚約者である隣国王女の方が成績がいいのはおかしいなどという、自らの恥を晒すようなことではないな?」
「ち、違いますっ」
カッ と、第二王子の耳までが赤く染まった。
「いえ、確かに、あのお、彼女の方が成績がいいのはおかしく、忖度があってのことだと思いますが」
「馬鹿か」
「っ!?」
馬鹿な子ほど可愛いが通用するのはせいぜい年齢一桁まで。数年で成人を迎える王族の無知は害悪だと、国王ははっきりとした罵倒に顔を引き攣らせた息子を鼻であしらう。
「自分の立場が、いや、この場合は隣国王女の立場がわかっていないな。言語もほぼ同じ隣国と我が国は国法もあまり変わらないが、違いがないわけではない。我が国では王位継承の順位は直系男子が直系女子よりも上だが、隣国は直系長子であれば女子が継ぐものであることくらいは知っているな?」
「はい」
さすがにこれくらいは躊躇わずに頷いたことに安堵を覚えるくらいに出来の悪い、悪すぎる息子に、安堵してしまった自らに頭痛をおぼえたものの、それをきれいに隠した国王は続いて問いかけた。
「では、答えよ。お前の婚約者の父親は誰だ」
「隣国の王太子です」
「そうだ。王太子だ。次代の王だ。それで、その次代の王の長子は誰だ」
「……」
知らないから答えられないのではなく、答えたくないが故の沈黙である。その沈黙を国王は無慈悲に引き裂いた。
「お前の婚約者だ。王配として婿入りするお前より、次々代の女王たる王女の成績がよいのは忖度するまでもなく当たり前だ。それ相応の教育は済んだうえで、余裕があるからこそ我が国との交流のためにわざわざ留学してきてくれたのだぞ」
「私との交流のためというなら、男を立てることくらいするべきでしょう」
「お前との交流ではない。我が国そのものだ。間違えるな、阿呆が」
再びの罵倒に、喉の奥で悲鳴をあげた第二王子は、屈辱のあまりに強く握った手がぶるぶると震える。
「実際、お前以外との交流は順調だ。顔を合わせれば、いま俺が二度お前に言った程度の罵倒は当たり前のお前と違ってな」
父よりも国王としての冷ややかな視線に、咄嗟に否定の言葉のために開かれるはずだった口は閉じられた。それでもその脳内では、誰が父王に告げ口をしたのだと、そんなことを第二王子は考える。自分の側近でありながら、いくら国力は向こうが上とはいえ、お堅く近づくことも許さないあの女の肩を持つあいつか、それとも、
「自分が言われて屈辱なら、言われた王女の心情も分かろうものを。わからないなら人の心のない獣と同じよ」
「……」
「さて、話を戻そう。わざわざ執務室に乱入するほどの要件とやらを申してみよ」
「は、はいっ」
屈辱で震えていたのも一転、やっと自分の主張を聞いてもらえると顔を上げた第二王子は、持ち上げた湯気の薄れたティーカップを見ている父王に鼻白んだものの、見られてもいない自分を大きく見せるために両手を広げて主張する。
「婿に入るとはいえ、夫となる私との閨をあの女が拒むのです。次々代の女王というならなおのこと、早く子を産むべきなのに、これは由々しきことだと思われます」
「立て」
「は?」
「立って、そこからそうだな、右に三歩寄れ」
自信に満ち溢れた様子から一変、国王の言葉に困惑の表情を浮かべた第二王子は、戸惑いながらもソファから腰を上げると、右に三歩寄る。
「そこだとまだかかるな。もう二歩動け」
犬猫を払うような仕草で移動を示唆されるままに動いた第二王子は、向かい合うように立ち上がった父王と視線を合わせ、
「敗戦国の王族が、戦勝国の王位継承者にふざけたことを吐かすな」
パタパタと、雨に濡れた時のように、赤茶色の水滴が祖父譲りの第二王子の髪から落ちる。
「あつっ」
「熱いわけあるか」
一拍置いた悲鳴は、それを成した国王によって叩き潰される。実際、頭の上からかけられた紅茶は熱いよりは温いに寄っていて、紅茶を頭の上からかけられたことに対して反射的に言ったにすぎない。火傷といったこともないだろう。
だが、プライドは違う。実の父親とはいえ、何故こんな屈辱的な行為を受けいれねばならないのだと、第二王子は父王を睨んだ。
「……」
とはいえ、視線に気づいた上で無反応な国王は、カップをソーサーに戻してソファに座ったものの、動こうとした息子を視線だけでその場に留めた。髪や服から茶を滴らせた状態で座られては、わざわざ汚さないように、後始末が楽になるように移動させた意味がなくなるからだ。
「いくら生まれる前の話とはいえ、我が国と隣国との戦争については知っているな? 勝ったのは隣国、負けたのは戦争をはじめた我が国だ」
問いかけるような言葉だったが答えを求めていないがために続けられた言葉に、第二王子が肩を揺らす。
「お前が誰よりも慕っている我が父、先王の私欲の結果だ」
「私欲だなどと! お祖父様は結果は悪かったとはいえ、我が国の領土を広げ、より強国となるべく」
「一年ももたずに勝敗が決まる程度の戦力差にも気づかずに、強国も何もあるものか」
「……」
「父が何を吹き込もうと、現実は一つ。先王は自ら仕掛けた戦争に敗れて退位した無能だ」
「っ」
その祖父に瓜二つと言われている第二王子は、自らも無能と言われているような錯覚に体を大きく揺らせものの、なんとか王族の意地で耐えてみせた。
とはいえ実際には、国王は目の前の息子も無能と断じるに至ってしまっているので、錯覚ではないのだが。
「お前、王女が閨を断ったと言ったが、受けていればどこでするつもりだった?」
「え?」
いきなりなんだ? と、呆けた表情の第二王子に、国王は唇を歪める。
「どうせ我が父のいる離宮だろう。あそこにはお前の部屋とされている場所があるのは知っている」
自分によく似た孫を生まれた時から可愛がっている国王の父、敗戦の責任をとって譲位した先王は、離宮の一室に軟禁の身だ。本来なら処刑されるのが筋だが、国力の差ととある理由から怒髪天をつく状態の隣国軍の勢いから、戦傷者はともかく戦死者の数が少なかったことを表向きの理由に、生涯幽閉で命ばかりは繋いだのだが。
「殺しておくべきだった」
ぼそりと吐かれた怨嗟の声に、がくがくと第二王子の体が揺れる。
「……お前ではなく、先王だ。隣国の意向とはいえ、ここまで生かさず、途中で毒杯を渡すべきであったわ」
「じ、じつの父を、殺すと!?」
「国を背負うということは、そういうことだ。自らの首を差し出すこともあれば、身内の首を差し出すこともあろう」
もはや白けた顔でそう言った国王は、唇を戦慄かせる息子に向かって言った。
「離宮のお前の部屋、先王の部屋と繋がっているのは知らないだろう」
「え?」
「隣国との戦争の理由が、いまと逆に先王が王太子時代に隣国に留学した際、当時の隣国王太子妃候補であり、後に隣国王太子妃、つまりは現隣国王妃に横恋慕した挙句、まだ候補のうちに陵辱して既成事実を作ろうと計画した為に呼び戻されてもなお忘れるどころか執着し、政略結婚した自らの妃が流行病で死んだその後添えにしようとしたためだなどと知らないだろう」
暴露に等しい言葉に対する第二王子の正直な感想は、嘘だろう? だった。そう思いたかったからだ。
「それが本当なら、何故お祖父様は生きているのですっ? 隣国からすれば、殺す方が後腐れないでしょうにっ」
「不能にした上で、そこまで執着した女が他の男に愛されて輝く様を見ていろという、生き地獄の類のためだな。実際、王位継承者を増やさないためにある薬を飲ませているぞ。それも間違いがないように、隣国産の物を、直々に持ってきた隣国国王が飲ませたのだ」
震える声を更に凍えさせる声で、国王を含んだ少数しか知らない当時の様子が伝えられる。国王の言葉以外に証言はなく、物証などあるはずもないが、否定する要素もない。
「しばらくは半狂乱で暴れて死のうとしたが、まぁ、いま生きているのが答えだな」
助命されたとはいえ、男としての命は奪われたも同然という祖父の状態を初めて知った第二王子は、足元から何かが這い寄るような錯覚に、一歩後ずさる。
「お前が生まれたのは、多少落ち着いた頃だ」
そんな息子の様子はどうでもいいと、国王の言葉は終わらない。
「隣国王家の様子を伝えられると俺の女がなどと妄言と共に暴れるが、脱走はしなくなっていたからな。自分に似た孫の存在でさらに大人しくなればいいと連れて行ったところ、髪も目も自分と同じお前を殊の外気に入った様子だった」
言葉と共に当時を思い出した国王の顔が忌々しそうに歪んだのは、己の判断が間違っていたと思い知ったからだ。
終戦時、公人としては諸悪の根源である先王は責任をとって死ぬべきとは思ったものの、助命された時には私人として安堵した。男としての尊厳は剥ぎ取られたが、死ぬよりはマシだろうと思い、正直離宮に幽閉した先王の後始末のために即位したばかりの国王は、先王の状態については報告を受けるばかりで、放置気味であった。
その間に離宮に多少の改築が施され、完成してからそれを知って慌てて詳しく調べた結果、ごく近い位置にある部屋につながっているだけで脱走には使えない。と、戦勝国の指示を仰ぐために伝えるといったことはあったものの、日を追うごとにおとなしくなっていく父に、幽閉当初の暴れっぷりにそれらは霞んでしまった。忘れてしまったことが今日に続くなど、思ってもみなかったのだ。
「お前を気に入った先王は、お前が隣国に婿入りすると知ると、なおさら憐れんだ体でお前を甘やかしたと聞いている」
間違いないか。と、確認の言葉に、第二王子の顔が上下に揺れる。王太子である兄は元々祖父に会いにいくことが少なく、父母は国王夫妻として公人の面が強いために、自分だけを甘やかしてくれる祖父の元に入り浸っていたのは間違いないからだ。
「知っているか? 親子は似るものだが、それ以上に祖父母と孫は似るそうだ。お前が先王に似ているように、隣国王女が祖母である現隣国王妃に生き写しとまで言われているように」
嫌な、とても嫌な予感に、紅茶に混じって薄く色づいた汗が第二王子の首筋を、つ、と流れ落ちる。
「知っているか? 戦を起こす程に執着する女に、それも出会った頃の女とよく似た相手に、愚か男が悍ましい欲情をしていることは」
知っていたか?