五話「世界最強の殺し屋」
中央区の路地裏で。
魔女は先ほどいた場所から数十キロメートルも離れた場所に転移していた。
事前に数十回もの転移を重ねて追跡されないようにしている。
彼女はフードを取り、素顔をあらわした。
小麦色の肌が眩しい、南国特有の美少女だった。
滑らかな金髪が頬に垂れ落ちる。
意思の強そうな双眸は太めの眉毛によって更に強調されていた。
絶世とまではいかないが、類稀な美少女である。
彼女は冷や汗を流しながらも不敵に笑っていた。
(バケモノめ……だが貴様の人生も今日で終わりだ)
魔女は勝利を確信していた。
理由は、大和を殺せる必殺の呪法を完成させたからだ。
(バケモノとはいえ、呼吸し、食事をする生物。死ぬ時はあっけなく死ぬ。であれば、最上級の致死の呪いを避ける手立ては無い)
致死の呪い。
それは、彼女の故郷で禁忌とされている呪術だった。
己の寿命の半分といくつかの条件を満たしてようやく発動できる、最上級の呪い。
ゴーレムを片手で投げ飛ばし、小惑星を蹴り飛ばす理不尽の権化──
殺すには、同じ理不尽を叩きつけるしかない。
致死の呪い。
その威力は数十万人の命を一瞬で死滅させられるほどだった。
(あともうすぐだ……我が寿命を削り完成する呪いは、貴様の魂を必ず滅ぼすだろう。悔いろ、我が友を殺したことを──地獄の底で詫び続けろ)
魔女は嗤っていた。
憎悪は、理性をたやすく溶かしてしまう。
人というものはいとも容易く畜生へと堕ちてしまう。
「フフフッ、ハハハハハッ!」
路地裏に木霊する笑い声。
その声に反応したのは、誰でもない、復讐の対象だった。
「随分と嬉しそうだな」
嘲笑を交えた言葉に、魔女は思わず舌打ちする。
振り返ると、灰色の双眸に見下ろされた。
彼女は大和に問いかける。
「早いな。先ほどとは違い、匂いも完全に消したはずだが?」
「ああ、なんとなくここにいるかなーって思ってよ」
「……馬鹿な」
出鱈目にも程がある……
そう魔女が言おうとする前に、大和は答え合わせをした。
「お前の声、思考、癖。その他、お前に関する情報をまとめて次の行動を読んだんだ。ま、一種の読心術だな」
「……」
絶句している魔女に、大和は更に追い打ちをかける。
「お前は今、「俺を殺せるであろう魔術」を完成させた。そうだろう?」
「ッ」
次の一手も読まれている。
リアルタイムで思考が把握されている。
動揺を隠しきれない魔女に対し、大和は言った。
「故郷に帰るなら、今のうちだ」
「……?」
「今回の事は全て忘れて、故郷に帰る。そういう選択肢もある」
「……」
魔女は目を見開いた後、絶対零度の声音で告げた。
「馬鹿が。そんな選択肢などない。さっさと死ね」
何の躊躇いもなく致死の呪いを発動する。
明確な殺意をもって大和を殺そうとする。
──しかし、
「…………何故だ」
魔女は驚愕と、それ以上の恐怖で声を震わせた。
「何故死なない……ッ」
確かに発動した。
確かに寿命の半分を持っていかれた。
確かに、大和の身に大量の呪詛が注ぎ込まれた。
それなのに、死んでいない。
平然と佇んでいる。
「ハァ……」
大和はため息を吐いた。
そして軽蔑の眼差しを魔女に向ける。
「闘気っていう力がある。お前ら魔術師で言うところの魔力だ」
大和は全身から真紅のオーラを発する。
「闘気は闘気以外の全ての「力」を無効化する。……お前にとって、俺は天敵だ」
あまりの事態に魔女は叫んだ。
「そんなのありえない! 出鱈目だ!」
「ありえるんだよ。実際に」
「……謀ったな、貴様っ」
魔女は屈辱で顔を歪める。
「最初から殺されないとわかっていたのか!! それでいて!!」
「で?」
大和は魔女を睨みつける。
「だからどうした? テメェは俺を殺そうとした。それが全てだ」
大和は手を振り上げる。
鎌の形をした疾風が魔女の体を通り抜けた。
「……へ?」
魔女は呆けた声をあげる。
遅れて、眉間に直線が入った。
それは魔女の体を唐竹割りに引き裂く。
痛みすら感じない。死んだことすら自覚できない。
魔女は泥のように眠った。
そして、二度と目覚めることはなかった。
もの言わぬ肉袋と化した魔女に、大和は告げる。
「選択肢はあった。テメェが選んだ結末だ」
そして背を向けた。
夜が訪れる。
数多の犠牲者を見届けた太陽は、ゆっくりと地平線に沈んでいった。
◆◆
翌日。
真夜中にもかかわらずデスシティは大いに賑わっていた。
闇の眷族が多いこの都市は、夜にこそ真の姿を見せる。
大衆酒場ゲートも大いに賑わっていた。
大勢の客が酒を飲み、飯を食らっている。
緑色の肌をした宇宙人がミートソーススパゲッティを頬張り、洗練されたフォルムのアンドロイドがビールをストローで飲み、鉈や大砲を背負った賞金稼ぎたちがテーブルを囲って大富豪を楽しんでいる。
カウンター席には純白のスーツを着た大男が腰かけていた。
右之助である。
彼はため息混じりに紫煙を吐き出していた。
「ねぇ、右之助さぁん。今夜暇ぁ?」
「ちょっと! 私が言おうとしてたこと言わないでよ!」
「右之助さぁん、今夜こそいいでしょー?」
周囲に群がる女たち。
人間の娼婦や狼の獣人、妖精に淫魔など、総じて右之助に熱烈なアタックを仕掛けている。
普通の男なら歓喜する状況だろうが、当の本人は辟易していた。
あまり気が乗らないのだろう。
あからさまに嫌そうな顔をしている。
「やめろ。引っ付くな。あー……俺よりも男前な奴が目の前にいるだろう? 口説くならそっちにしてくれ」
そう言われ、女たちはカウンターの奥を見る。
そこには金髪の偉丈夫がいた。
煙草を咥えて新聞を読んでいる。
ネメアだ。
彼は顔を上げると、あからさまに嫌そうな顔をした。
「まさか俺のことを言っているのか? 右之助」
「そうだよ。たまには女と遊んでやったらどうだ?」
軽い調子で言われ、ネメアは更に嫌そうな顔をする。
「ふざけるな。俺に女の話題をふるんじゃない」
「あ~あ、毎回こうだもんなぁ」
右之助は肩を落とす。
ネメアの女嫌いは魔界都市でも有名だった。
過去、数多の女がフラてきた。
周囲の女たちもわかりきっているのだろう。
改めて右之助を口説きにかかる。
右之助は盛大なため息を吐いた。
ネメアのように女嫌いではないが、今日はそういう気分じゃない。
そんなことを考えていると、都合のいい存在が現れた。
褐色肌の美丈夫──大和が店内に入ってくる。
女たちの黄色い悲鳴が響き渡った。
彼はカウンター席まで歩いてくると、女たちを手で制して右之助の隣に座る。
女たちが下がったことを確認した右之助は、茶化すように言った。
「やっぱ別格だよ、お前は」
「そうかい」
大和はネメアにラムとつまみを頼む。
すぐに出されたラムをグラスにとくとくと注ぎはじめた。
右之助は興味本位で聞く。
「今夜来れたってことは、野暮用は済んだのか?」
「ああ。復讐しにきた奴がいたんだよ」
「復讐ね……まぁ、殺し屋あるあるだわな」
右之助はあらかじめ頼んでおいた冷や豆腐に箸を通す。
日本酒を口に含みながら、続きを聞いた。
「殺したのか?」
「殺した。最後まで俺を殺そうとしたからな」
「そうか……ならしょうがねぇ」
右之助は豆腐を口に含む。
本人が選択したのだ。
それ以上もそれ以下もない。
「……」
話を聞いていたネメアは、静かに目を閉じていた。
彼は昨日起きた事件を知っていた。
その魔女には同情する。だが擁護はできない。
それが、ネメアの出した答えだった。
ネメアはそっと、魔女の存在を忘れた。
彼女の死を悲しむ者は、この都市にはいなかった。
《完》