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 仕事をひと段落させて、二階の自室に様子を見に戻った私を見て、ライラが再び堰を切ったように泣き出してしまった。

 

 えええ⁉︎


「ラ、ライラ……なんで?さっきまで泣いてなかったのに……」


 折角落ち着いたところに戻ってきてしまった私が悪いのだろうか。

 とりあえずライラから伸ばされた手を取り、抱っこして背中をポンポンと撫でると、えぐえぐと愚図りながらもギュッと首元にしがみついてくる。庇護欲を根こそぎ持っていかれた。

 くぅー、そうかそうか、寂しかったのね。ごめんね、ごめんね。と、ギュッと抱きしめ返す。

 こうするとまだライラからは赤ちゃんの良い匂いがするんだ。


 キースは最近ミドさんに貰った英雄の絵本を読んでいた。読むと言ってもまだ絵を眺めているだけだけど、どうやらお気に入りのようでほぼ毎日開いている。

 特に英雄が魔物を倒すシーンのページは興奮して叩いたり、開いたままお昼寝してしまいヨダレがついたりしたので少しヨレヨレになってしまっていた。

 キースは私に気がつくと顔を上げてニコッと愛らしい笑顔を向けてくれる。その小さな頭を撫でれば気持ち良さそうに目を瞑って黒い尻尾をパタパタする。

 ううっ、うちの子たちは何でこんなに可愛いんだろう……お母さん、もうお仕事いけなくなっちゃう……っ!



「さてと」


 ライラを抱っこしたままテーブルの椅子に座り、頼まれた翻訳の書類を広げてみる。

 封筒には契約書の他に、用紙やペン、インクまで入っていたから、なにも用意せずすぐ取り掛かることが出来た。なんという気遣い。さすがミドさん。


 落ち着いたライラは何をしているのか不思議そうに書類と私の顔を交互に眺めている。


 よかった、思ったよりも条項が少なくてこれなら早く終わりそう。

 この臨時収入が入ったら、子供達の新しいお洋服がほしいなぁ、なんて考えながらも、せっせと手を動かした。




※※※



「こんにちは」

「いらっしゃいミドさん!」


 約束通り、ミドさんは同僚の方と一緒にお昼ご飯を食べにきてくれた。毎度どーも!


「はい、約束の翻訳できてますよ」

「ありがとうございます! 無理を言ってすみませんでした。あ、こっちは経済産業課の同期でサンカルといいます」


 翻訳された契約書入りの封筒を手渡すと、ミドさんの向かいに座っていた細身の男性がペコリと頭を下げた。そこに獣耳はない。彼は獣人の多いこの町では少数派の人間のようだ。


 サンカルさんから見れば黒髪の私の方が珍しかったようで、窺い見るような視線を向けられた。

 まあ、それ自体はもう慣れている。

 最初は常連の獣人さん達にも「珍しい髪してんなぁ!」とか「人間? 黒狼じゃなくて?」と、散々言われたし。

 でも、サンカルさんは表面上は何でもない風に笑顔を貼りつけてそれには触れてこず、ずっと探るような視線だけを向けてくるのだ。

 いっそ、何か言ってくれた方が気が楽なんだけどなぁ……。


 感情がわかりやすい素直な獣人さん達に囲まれていたからか人間が相手だと居心地が悪く感じるなんて、私も大概だなぁと内心で苦笑いを溢した。



 ミドさんはそんなサンカルさんと私の人間同士の微妙な空気に全く気付く素振りもなく「ほらサンカル、確認してみて」と、爽やかに話を振った。


 サンカルさんは「ああ、そうでした」とすぐに封筒から書類を取り出すと「うわ」と小さな声を漏らした。


「すごいですね。ミドからアリサさんの話は聞いていましたが、本当にナワル語が分かるなんて。私も最初はなんとか自分で翻訳してみようとしたんですが、独特の文法で辞書では単語しか分からなくて……。あ、やはりここの支払期日が厳しいようですね。これは交渉しなくては。確認できて本当によかった」

「お役に立てたなら嬉しいです。でも今更ですが、こんな大事な書類を私に任せてよろしいんですか?」


 引き受けてしまってから言うのもなんだけど、絵本の翻訳や何気ない会話の通訳ならまだしも、今回は契約書。

 もちろん嘘を付くつもりも騙すつもりもないけれど、間違っていたときに私なんかで責任が取れるのだろうかと書き写しながら少し不安になってしまった。

 それを素直に伝えると、ミドさんはキョトンとした顔をした。


「それなら大丈夫です。もう何度かお願いしてるものを見ていますがどれも正確なものでしたし、アリサさんは僕達を騙すような事はしないでしょう?」

「もちろんです。でも、間違う事はあるかもしれません」



 私のチートが万全だという自信はない。

 心配が拭えずにいる私に、ミドさんは少し考える素振りをしてから、閃いたように手を打った。



「そうだ! それならアリサさんが臨時職員になればいいんじゃないですか? ねえ、サンカルも良い案だと思わない?」

「ああ。帰ったら私から上司に掛け合ってみましょう」

「え?」


 いやいやいや、何の話をしているの⁉︎


「えーと、ミドさん?」

「アリサさんに間違いがあるとは思っていませんが、心配なら職員になれば個人の責任にはなりませんよ? それに、出来ればこれからも協力してほしいんです。この町にアリサさんほど語学に堪能な方は居ませんから、上も喜んで採用すると思います」

「確かにミドの言う通り、うちは港町で外国人の出入りも多いので助かります。こんな逸材がいたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。本当に勿体ない……」


 私を置いて、どんどん話を進めていくふたりを慌てて止めに入った。


「いやあの、それは困ります! 子供も小さいし、食堂の仕事も辞めたくないんです」

「はい! 勤務形態は要相談ということで、後ほど改めてご連絡しますから!」


 えええ、断ってるのに話が進んでる⁉︎

 ミドさんに謎のサムズアップをされて戸惑っていると、厨房のオリエさんから「アリサ~、日替わり定食ふたつできたよ~」と呼ばれて、仕事中だったことを思い出した。

 話が途中になってしまうけれど、今は食堂の仕事に全力を注がなくては!



「ごめんなさい、もう仕事に戻りますね」と一言だけ告げて配膳の仕事に戻ったあとに、ミドさんが「やった! アリサさんと同僚になれるかも……!」と小さくガッツポーズをし、サンカルさんに生温かい目で見られていた事を私は知らない。





※※※



 今日はお店がお休みなので、翻訳の臨時収入で子供達のお洋服を買いに行く予定だ。



「ほらキース、ライラ、ちゃんとフードを被ってね」


 お出かけ前に身嗜みをチェックする。

 彼らが大人になるまでは希少な黒狼と間違われないように、最近、外に出るときは黒い獣耳と尻尾を隠しているのだ。


 ミドさんから一歳のお誕生日のお祝いにとプレゼントされた白いうさ耳フードの付いた着丈の長いポンチョを被ると尻尾まで隠れてしまう。

 しかもこれがウサギの着ぐるみみたいで悶えるほど可愛い。ありがとうミドさん!


 この洋服をプレゼントしてくれたミドさんにお店を聞いたから、今日はそこで新しいポンチョを追加で買おうと思っている。

 今度はクマさんも可愛いかな? ライラには花柄もいいかも。それと暖かくなってきたから薄手の生地のものがあるといいなぁ。

 我が子を着飾るのってなんでこんなに楽しいんだろう。

 自分は数枚のワンピースを着回してるだけなのに新しい物を買おうとは思わない。そんなお金があるなら子供達に使いたいと思ってしまうのだ。



「おはようございます」


 家の外に出ると、爽やかな笑顔を浮かべたミドさんがすでに待機していた。


「ごめんなさい、お待たせしました!」

「いいえ、僕が少し早く着いただけですから」


 ミドさんも今日は貴重なお休みなのに、お店まで案内すると申し出てくれた。

 最初はもちろん遠慮したんだけど……


「お店まで僕がキースくんを抱っこしましょうか?」


 助かる。ほんと助かるっ!

 キースはあまり人見知りしないし、ミドさんにも懐いているから任せても安心だ。


 以前の教訓から近場のお買い物であっても子供達を置いていけないし、かと言ってふたりを抱っことおんぶで長時間は厳しいとは思っていた。

 双子用のベビーカーが欲しいけど、需要がないのか何故か普及していない。

 町ではほとんどの夫婦が揃ってお出かけして父親が子供を抱っこしてる光景をよく見かけるから、基本的に愛情深い獣人の多いこの世界で、ワンオペやシングルマザー自体が少ないからなのかもしれない。



「いつも甘えてしまってすみません」

「いいんですよ。僕で良ければいつでも力になりますから。あ、キースくんもライラちゃんもポンチョを着てくれたんですね!」

「はい、とっても可愛くて私も気に入ってます」

「可愛……っ! ほんとですか⁉︎ それは、う、嬉しいです……っ」


 ミドさんは頬を紅く染めて、長い耳をピクピクとさせた。


「ふふふ、なんだかミドさんがうさ耳のキースを抱っこしてると親子みたいですねー」

「‼︎‼︎」

「あ、すみません、嘘です! ごめんなさい!」

「嘘っ⁉︎」


 私の軽口に、ボンっと音が出そうな程顔を真っ赤にして言葉を失ったミドさんに、すぐに謝罪し訂正する。

 いくらなんでも失礼だし、調子に乗り過ぎました。



※※※



 ミドさんが紹介してくれたポンチョが売っているお店は、商店街の魚屋さんの二階にあった。

 看板も小さく目立たないので、これは確かに案内してもらわないとなかなか見つけられなかったかもしれない。

 ミドさんの心遣いに改めて感謝!


 店内に入ると雑貨店のようで、洋服の他にも可愛い食器や紅茶の茶葉なども置いてある。これはテンションが上がる。

 なによりお目当の子供用のポンチョが可愛いーっ!きゃー!

 シンプルな無地のものから、パッチワーク、動物耳の付いた着ぐるみ風なものまで様々なデザインがあった。


「ミドさんミドさん! これなんてどうでしょうか?」


 キースとライラに花柄模様のポンチョを当てながら興奮気味にミドさんに意見を求めると「可愛いですね」とニッコリ同調してくれる。

 だよねだよね! そう言ってくれると思った! うちの子なんでも似合うよね!


 結局少し薄手の生地のフード付きポンチョを色違いで購入した。

 迷いに迷って無難なチョイスではあるが、生地の触り心地がとても良かったのだ。キースが若草色でライラは桃色。

 なかなか良いお値段だったので沢山は買えないし、子供達はすぐ大きくなるから着れる期間は短いというのはわかっているけど、この可愛いポンチョ姿を拝めるなら後悔はしない。お金はまた馬車馬のように働けばいいさ!


「あの、ミドさん、荷物は自分で持ちますから!」

「いいえ、一緒にいて女性に持たせるわけにはいきませんのでお気になさらず」


 ミドさんは胸にキースを抱いて、買い物袋も全部持ってくれている。なんという紳士。

 ミドさんの半分以上は優しさでできているのではないかと思うほどだ。

 これが自然とできるところがすごいなぁ。



「ありがとうございます。ミドさんはお優しいですね。きっとお嫁さんになる人は幸せだと思います」

「えっ⁉︎ え、あ、そ……そうでしょうか……? この位は普通だと思いますけど……」

「普通なんですか? でも、確かに獣人の方は奥様や恋人想いの方が多い気がします。オリエさんも旦那様ととっても仲良しですし」

「そうですね。獣人の性質もあるでしょうけど、あの夫婦は恐らく番だと思いますよ」

「番?」


 聞き慣れない単語が出てきて私が首を傾げると、ミドさんに抱っこされているキースも私を真似して首をコテンと傾げて、そんなキースを見て私に抱っこされていたライラもコテンと首を傾げるという謎の双子の連鎖が起きた。

 だめだ、うちの子が可愛過ぎて会話に集中できない。


「番というのは、獣人にとってはお互いに唯一無二の運命の相手と言われています。人間には馴染みがないと思いますし、獣人である僕たちにとっても今は殆ど廃れてしまっていますが、ごく稀に出逢えることもあるそうです。オリエさん達は子沢山でしょう? 番同士だと子も出来やすいと言われているんですよ」

「わぁ、運命の相手ですか……っ! 素敵ですね! それは出会った時にお互いにわかるものなんですか?」

「うーん、どうでしょうか? 一説には匂いだとか、直感だとか言う人もいるみたいですけど、普通に好きだと思うのと何が違うのか僕にもよくわからないんです。僕はお互いを唯一だと思えるなら、それで良いと思っています。番かどうかは結果論なのかなって」

「なるほど、運命は作るものってことですか」

「オリエさん達みたいに周りから番だと言われるような夫婦になれたら、理想的ですよね」


 ミドさん、良いこと言ってるのに顔が真っ赤になっちゃうところが可愛らしい。いいねぇ、微笑ましいねぇ。


「ミドさんならきっと大丈夫ですよ。素敵なお嫁さんが見つかります!」


 自信満々に言うと、ミドさんが微妙な顔をした。

 何の根拠もないのにって思われたのだろうか。

 確かに根拠はないけど、こんなに良い人には良いお嫁さんが来るに違いないと私は信じていますよ!という想いを込めて、ひとりでウンウンと頷いていると苦笑いされた。



「アリサさんは……その……」

「はい?」

「将来的に……誰かと結婚とかは、考えてたりしますか?」


 ……結婚? 私が?


 思わずポカンとミドさんを見上げると、何故か顔を赤らめてサッと目を逸らされてしまった。


「す、みません! 余計な事でしたら答えなくても……っ」

「えーと、正直、考えてませんでした……?」


 そういえば子供達を産んでからは、子育てに夢中で自分のことなんて考えてなかったなぁ。

 ローガンの事も今はもう恨んでいないし、何も期待していない。

 キースとライラを私に出会わせてくれただけでも感謝している。

 


「どうしてですか? 子育ても仕事もひとりでは大変じゃないですか? 誰か協力できる相手がいる方が良いのでは?」


 ミドさんが詰め寄るように矢継ぎ早に追求してくるなんて珍しい。

 パチパチと瞬きして「えーと……?」と言葉を詰まらせていると、ハッとした顔をしたミドさんはすぐに申し訳なさそうに眉を下げた。


「あっ、俺何言ってんだろ……。すみません……」

「いえ、ミドさんは心配してくださってるんですよね。ありがとうございます。……今はまだ考えてませんけど、子供達に今後父親が必要だと思うときが来たら考えた方が良いのかもしれませんね。でも、私なんかと一緒になってくれる相手がいるのかな? あはは……は……、あれ?」

「……」


 なんでミドさんが神妙な面持ちで考え込んでるんですか? もしや最後の要らぬ自虐で気を使わせてしまった⁉︎ ミドさん、そこは笑ってくれないと私が痛いから!


 この気まずい空気をなんとかしたくて「だ、誰か良い人いたら紹介してくださいね~……?」なんて、職場の社交辞令的なノリでぶっ込んでみたら、余計に場が凍った事をここに記しておく。

 笑えない冗談だったらしい。



「えっと、ミドさん。お腹空きませんか?」

「え? あ、もうお昼ですね。何処かで食べていきましょうか」


 無理やり話題を変えてみたらミドさんも淡く微笑んで答えてくれた。

 よ、良し……! 一時はどうなることかと!


「あの、もし良ければなんですが……今日のお昼ごはんはウチに食べに来ませんか?」

「え?」

「あ、外食の方が良いですか?それならそれで……」

「いえ‼︎ いえ、そんな事は‼︎ ぼ、僕のために……アリサさんが⁉︎ でも、いいんですか……?」

「勿論です。実はもう下拵えをしてきてしまって、断られちゃったらどうしようかなってドキドキしてたんですよ。大したものは作れませんが、そうして頂けたら私も嬉しいです」


 子供達に頂いたプレゼントの事もあるし、ずっとお世話になりっぱなしで前から何か御礼がしたいと思っていたのだ。


 外食でも良いけど割高だし……今はまだあんまりお金ないし……子供達のご飯はまだ自分で作ったものをあげたいし……などなど、こっちの事情も透けて見えそうだけど、こういうのは気持ちが大事ですから!


 普段の食事より品数も多く、私比ではあるがちゃんと豪華なはずだし、元の世界での飲食店のバイト経験を活かして腕によりを掛けたつもりだ。


 ミドさんの定食の注文内容から好き嫌いだってさり気なくリサーチ済みですからね!




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