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 子供達が1歳になりました!



「キース、ライラ。お母さん、下のお店にいるからね。ふたりはお部屋でお利口さんにしててね」

「あいっ」

「やー!」


 部屋のラグの上にぺたんとお尻を着けて座ったキースはニコニコと手をあげて、ライラはイヤイヤと首を何度も振ってこちらに両手を伸ばしてきた。

 『だっこして』の合図なのはわかっているけど、ここでだっこしてしまったら仕事にならない。


「ごめんね、お母さんお仕事なの。キース、ライラと遊んであげてね」

「あい!」

「やー! やぁああ!」

「……いって、きます……っ」


 パタンと扉を閉めると、ライラの大きな泣き声が部屋の中から漏れ聞こえてきた。

 ううう……。無事に職場復帰を果たしたものの、後ろ髪引かれすぎて毎日辛い。


 部屋の中は危険なものに触れないようにゲージを設置してあるし、オリエさんからは都度様子を見に部屋へ戻ることも快く許してもらっているとはいえ、ライラには毎回今生の別れのように泣かれてしまう。

 キースはいつもニコニコしてて平気そうなのに、何が違うんだろう。


 愛情不足なのだろうかと思い、帰ってからギュウッと抱きしめても『よくも置いていったな!』とばかりにやっぱり泣きながら小さな掌で顔をパチパチ叩かれるのだ。

 ライラの気持ちが落ち着く頃にはもう寝る時間で、すぐに朝になって、またお留守番に癇癪を起こすのを繰り返してる。

 うーん、どうしたものか……。


 一階の店に降りると、店主のオリエさんがすでに出勤していて、野菜の入った木箱を保存庫から出しているところだった。


「オリエさん、おはようございます。それは私が運びますね」

「おはようアリサ、ありがとう。じゃあ悪いんだけどこれからあたしは市場に魚を仕入れにいってくるから、この野菜の皮を剥いて茹でておいてくれるかい?」

「はい、お任せください。いってらっしゃい!」


 オリエさんから引き受けた野菜は、元の世界のジャガイモに姿も味も似ている。

 ちなみに名前も『ジ・ヤガイモ』というらしい。

 いや何その某バンドみたいな名前。

 もうそれジャガイモでいいじゃんと思い、私は『ジャガイモ』と呼んでいるけれど、今のところそれを誰からもつっこまれていないので問題ないようだ。


 ボコボコの表面の薄い皮を剥くなら、先に茹でた方が剥きやすくなるはず。

 ジャガイモを軽く洗ってから鍋に水を張り皮ごと中に放り入れて、茹でている間に客席のテーブルを拭いて回る。

 ジャガイモが茹で上がったらお湯を捨て、一度水で冷やす。

 すると、皮がするんと綺麗に剥けるのが面白くて、箱いっぱいの野菜を無心で剥き続けた。



「えっ、もう全部終わったのかい?」

「はい、なんだか楽しくなってきちゃって」

「何いってんだい、皮剥きなんて楽しくないだろうに。それにしても随分綺麗に剥けたもんだね! アリサは仕事が丁寧で早いから助かるよ」


 大きな魚を肩に担いで勇ましく戻ってきたオリエさんに褒められて「でへへ」とだらしなく笑っていると、準備中の札が出ているはずの店の扉が開く音がした。



「おはようございます、朝からすみません」


 店の入口の扉を半分ほど開けて、遠慮がちに顔を覗かせたのはミドさんだった。


「ミドさん、おはようございます。どうかされましたか?」

「あの、アリサさん、少しだけお時間よろしいですか?」


 ミドさんはまだ出勤前のようで肩から大きめのショルダーバッグ下げている。

 きっと急ぎの用事なのだろうと思い、オリエさんの方に振り向けば、親指と人指し指で丸を作り頷いてくれていた。

 それを見たミドさんはオリエさんに「ありがとうございます!」と礼儀正しく返す。



「早速で恐縮なのですが、アリサさんにまた翻訳をお願いできないかと思いまして……」


 ミドさんがおずおずと差し出してきた茶封筒を受け取り中を確認すると、『売買契約書』と書かれた書類が入っていた。


「契約書、ですか?」

「はい。他国の商人がたまたま立ち寄ったこの町の特産品を気に入ったとかで取引の申し出があったんです。それは町にとって良い話なんですが、相手が用意した契約書が全て商人の国のナワル語で……。本来は担当の産業経済課でナワル語を読み解ける者が居るのですが、ちょうど長期休暇を取ってそのナワルに旅行中らしいんですよ。そこで昨日、商人の帰国の期限が迫っているのにどうしようと産業経済課の同期に泣きつかれまして……」

「あらら……それは大変そうですね」

「はい、残念ながら僕もナワル語は全くで。でも、もしかしたら、アリサさんならご存知ではないかと……」


 ナワル語自体は知らないけど、私はどの国の言葉でも話せるし書ける……と、いうか私は日本語で読み書きしているのをこの世界の人にはその人に合った言葉や文字に見えるらしい。

 とても不思議な現象だけど、これは転移者の私に与えられた唯一のチートと言えるだろう。


 以前、たまたま食堂にご飯を食べにきてくれていたミドさんが注文の合間に難しい顔をして読んでいた本の背表紙の文字を見て、何気なく「昔の英雄の冒険譚ですか?」と声に出してしまったところ、すごく驚かれたのだ。

 ミドさんがどうしても読みたかったものが他国の言語で書かれた翻訳前の本だったらしく、読むというより辞書を片手に読み解いていたところだったらしい。


 正直、それで能力が露呈するまでは、こんなチートがあるなんて自覚がなかった。

 だって私には全部おんなじに見えるんだもん……っ!

 自分でも謎の能力なら、他人にはさらに理解し難い。

 そこで、実は何カ国語も操れるマルチリンガルであるという設定にして、たまにミドさん経由で翻訳を請け負ったりするようになったのだ。

 人攫いにあったトラウマによる記憶障害で常識がまるで分からないくせにマルチリンガルってなんだよってツッコミは今のところ誰からも受けていない。

 この港町の人達は、細かい事はあまり気にしないのかもしれない。




「はい。わかります」


 サラッと書類に目を通してから頷いて返すと、ミドさんは「ほんとですか!」と瞳を輝かせた。


「内容を翻訳すればいいですか?」

「ハイっ、ぜひ! お願いします!」

「じゃあお昼ご飯はうちに食べに来てくださいね。それまでにやっておきます」

「えっ、そんなに早くできるんですか⁉︎ いえ、こちらとしては助かりますが無理しないでください。アリサさんはお店の仕事もあるんですから」

「ふふ、大丈夫ですよ」


 無理はしてない。

 何も考えず、読んだものを同じように書き写すだけで出来上がりだ。

 たしかに文字数は多いけど開店後しばらくはあまりお客さんも来ないし、空き時間を利用して30分もあればできるだろう。

 それに、ミドさんが安堵のため息をついているのをみると、私でもこの町の役に立てるのだと思えて嬉しい。



「はぁぁ、ほんとに良かった……。あ、書き写すための用紙なども同封してありますのでお使いください。もちろん翻訳代もまた別にお持ちしますね」

「いえ、ご飯を食べにきて店の売り上げに貢献してくださればいいですよ」

「そういうわけにはいきません。こういう事は部外委託としてちゃんと経費が申請できるんです」

「真面目ですねぇ」

「役所ですから」


 ミドさんは冗談めかして笑うと、「ではまたお昼に!」と颯爽と去っていった。



「すごいねぇ翻訳なんて。アリサはナワル語なんていつ覚えたんだい?」


 厨房で魚を捌きながら話を聞いていたオリエさんが、感心しながら言った。


「えっと、私もよく分からないんですが、自然と読めてしまって……」


 嘘はついていないけれど言葉を濁せば、優しいオリエさんは『そういえば人攫いのトラウマで以前の記憶が曖昧なんだ』と察してくれたのか、それ以上は追及せず「あんた、もしかすると良いとこのお嬢さんだったのかもしれないねぇ」と、同情するように眉を下げた。


 うう、悲しい顔をさせてごめんなさいオリエさん。

 大丈夫です、私、本当は良いところお嬢さんどころか親の顔も知らない施設育ちなんです。

 ひたすらバイトに明け暮れていた学生時代。合間にできた彼氏には毎回『バイトと俺とどっちが大事なんだ!』と言われては、浮気されて振られてました。


 でもだからこそ、むしろ今が一番幸せって思える。

 キースとライラという家族ができて、オリエさんやミドさん、漁師のおじさんたち皆んなが見守ってくれているこの状況は、今まで私が求めて得られなかったものだらけなのだ。

 欲張りだと言われても、全部大切で何ひとつ失いたくない。だから少しでも求められる期待には応えたい。

 子育ても仕事も翻訳も全部頑張るから、私を見捨てないでほしい。



「オリエさん、お昼の営業用のお茶は煮出してあります。テーブルセッティングもオッケーです。あと油と砂糖の在庫が僅かなので、後で届けてもらえるよう商店に連絡しました。他には下ごしらえしたジャガイモを潰しましょうか? それとも刻みますか?」

「いつの間にそんなに⁉︎ はぁ、本当に仕事が早くて助かるねぇ。じゃあジ・ヤガイモを半分は潰して、残りは出来るだけ細く刻んで置いてくれるかい? それが終わったら営業開始まで子供達の所にいていいよ」

「はい、わかりました! ありがとうございます!」


 早く終わらせれば翻訳もできるし、ライラの様子も気がかりだったから、オリエさんの気遣いがとても有難い。

 さっそくミドさんから預かった書類を置いて、食堂の作業に取り掛かる。

 丁寧な仕事は心掛けているけれど早く時間を作りたくて夢中でジャガイモを千切りにしていたら、その細さと手捌きにオリエさんがいたく感動してくれた。



 何も考えず、ただお金が欲しくて働いていただけの元の世界でのバイト三昧の経験がこんなところで役に立つなんて、あの頃は想像もしてなかったなぁ。

 良いことも悪いことも、全てが今に繋がっているんだ。


 あの頃の私に、ちょっとだけ『頑張って良かったね』って言ってあげたくなった。




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