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 暫くして、戻ってきたのはサンカルだけだった。


 約束の子供達の元に行けるのかと、私がすぐに座っていたテーブルの席から立とうとすると「そのままで」と静かな声で制止させられた。

 近づいてくるサンカルのゆったりとした歩調さえもどかしい。


「お陰様で無事に契約書は隣国の使者へと渡すことができました。明日の朝には王族の署名も入り正式に契約は成立するでしょう」

「そんなことより子供達はどこ? 契約をすれば会わせてくれるんですよね?」

「ああ、それなのですが、少し難しいですね」

「は……? ちょっと、どういう事……っ」


 薄暗い部屋の中でキラリと鈍く光ったのはナイフの刃先だった。鼻先に突きつけられたソレはサンカルの手に握られている。


「子供達の養育は隣国(あちら)に任せて、貴女には死んでいただきたいのです」

「……っ、ど、どうして、約束が違う……っ!」

「貴女の事は、組織にスカウトするつもりだったんです。それは本当ですよ? 貴女ほど多言語を扱える者は他に知りませんし、黒狼には遠く及ばずとも実に惜しい人材だと今も思っています。しかし……貴女が、黒狼の番だというのなら話は変わってくるのです」


 また、黒狼……!

 もう正直うんざりだよ!


「私は番なんかじゃありませんっ! 現に子供達は私ひとりで育てているんですから!」

「それならなぜ、黒狼が貴女の食堂から出てきたのでしょうか。店は休みのはずですし、王都からわざわざ訪れる理由は貴女と子供達以外に考えられない」

「気紛れに立ち寄っただけじゃないですか? ずっと音信不通だったんです。それに、私は彼が黒狼だなんて知らなかった。あんな人……っ、もう私達とはなんの関係もない!」

「貴女にとってそうであっても、きっと黒狼にとっては違うのでしょう。興味が一度失われたものには気紛れさえ起こす事はない。黒狼とはそういう特殊な生き物なんですよ」

「……っ、そんなこと」

「縛られる事を嫌い、誰にも媚びず、好奇心に正直にただ自分の為だけに生きる。そんな生き物に人間のような繊細な感情などないのです。例え子が居たとしても奴らが大切なのは常に自分自身で、他者に愛情などは持たない」


 聞けば聞くほど黒狼の人間性がひどい。

 思わず遠い目をしてしまった。


 でも、たとえそれが本当だとしても、きっと彼の一面でしかないのだと思う。

 私の知らない彼がいるのは当然で、彼は嘘つきだけど、それは私が知らなかった彼自身なのだ。


 英雄だなんだと絵本にまでなるほどもてはやされていても、黒狼の逸話をいろんな人から沢山聞いても、私は私の知っているローガンだけを盲目的に信じて恋をした。だから、今もあの頃の彼だけが私にとってのローガンだ。

 裏切られて捨てられてしまっても、ふとした瞬間に思い出すのは黒狼でもなんでもないただの狼獣人のローガンとの記憶で。だからこそ、その甘い記憶に縋るような自分に自己嫌悪に陥ってしまう。

 



 サンカルの持つナイフは、注意深く見れば僅かに震えていた。サンカルの暗く乏しい表情は感情をうまく隠しているけれど身体は正直なのかもしれない。

 男性にしては薄い手に慣れないものを握り、怯えているのだろうか。それとも彼の中で迷いがある?

 

 そんな様子に気付いたことで、私も少しだけ平静を取り戻すことができた気がする。

 今はなんとしても子供達の無事を確認したい。子供達を残して死ぬわけにもいかない。ここで怯んだらだめだ。心で負けちゃだめ。

 とにかく会話を重ねて、説得の糸口を見つけないと……、何か、何か言わないと……。



「あ……、貴方が言う黒狼が本当なら、私を殺しても何も感じないと思いますよ?」



 自分で言っておいて、ちょっと傷付いた。

 私の訃報をローガンが「ふぅん」って聞き流す想像までしてしまったではないか。

 いいけど……別に、いいんだけどさ……。


 しかし、うまく会話は続いた。サンカルは表情を動かすことなく、私の言葉に答える。


「そうでしょうね、通常なら。けれど貴女の元には今も黒狼がいました。そして授かった子供まで黒狼だった。貴女が黒狼の番だとしたら、それが全て納得できるのです。そして、その黒狼の番を奪うことができたなら、私にも大切なものを失う痛みを、あの狼にあたえることができるかもしれない」

「……どうして、そこまで黒狼にこだわるんですか? 貴方の組織を壊した逆恨み?」

「ふふ……組織なんて、この際どうでもいいんですよ。あの狼は、私の恋人を奪った罪を、身をもって償うべきなのです」

「奪…っ」


 略奪……っ⁉︎

 いきなりローガンの浮気……いや本気?疑惑が浮上してきた。

 あの人、いったいこの町で私以外に何人と……。

 こんな状況なのに、別の意味で目眩がしそう。



「あの……ち、ちょっと、それ詳しく聞かせてください」


 急に話に食いついた私にサンカルが怪訝な顔をしながらも「まあ、冥土の土産にしてさしあげましょう」と嫌な一言を付けて話を続けた。


「私の恋人は同じ組織に属していた猫獣人です。あの男に捕らえられて、王都へ護送されていった……」

「猫? もしかして、港の外れの、ボインの……」

「おや、ご存知でしたか?」

「セクシー猫獣人‼︎」


 捕まった⁉︎ ローガンが捕まえたの⁉︎

 奪ったってそういう意味⁉︎

 じゃあ、あの猫獣人はローガンの浮気相手じゃなくて犯罪組織の一員だったってこと?

 でも、だって、私が聞いた時にローガンは「ああ」としか言わなかった。

 なんで違うなら違うって言ってくれなかったのよ!「ああ」って何⁉︎ ローガンのバカッ‼︎


「私は彼女に誘われて組織に入りました。役場で入出港の情報や管理を任されている私がいれば、より仕事がしやすくなる。組織にはそれなりに重宝されていたと思いますよ」


 勝手な想像だけれども、真面目で堅物そうなサンカルがあのセクシー猫獣人の手玉に取られてホイホイ情報を流している絵が頭に浮かんでくる。

 そんな私の考えを読んだのかサンカルは「なんですか、その残念そうな顔は」と眉を顰めた。


「私は彼女に利用されていたとは思っていませんよ。リスクに見合う報酬を受けていましたし、彼女のために私が望んでしたことです」

「そ、そうですか……」

「そういえば、アリサさんも人攫いの被害者だったそうですね」


 そういう設定なだけで本当は違いますけども。

 こんな状況でも嘘が疚しくて無言でサッと視線を逸らした。それが辛い事を思い出したくないような素振りに見えたのかサンカルは肯定と受け取ったようだ。


「……貴女は、とても運が良かったのですね。普通なら逃げ出す事なんて叶わない。きっと貴女を攫ったのは、素人に毛が生えた程度の犯罪集団だったのでしょう。彼女も……元々は組織の被害者として港に運ばれてきて、自分の身を守るために特技を売り込み、商品から売人になったそうです。そして幹部にまで上り詰めた。素敵だと思いませんか?」


 サンカルは恍惚とした表情で何もない空間を見つめている。視線の先には恋人である猫獣人が見えているのかもしれない。


「強かで頭の良い人ですが、私にだけ見せる弱さがあった。それは本物だった」


 口調は淡々としながらもどこか寂しさを滲ませて、サンカルは私に問いかけた。


「人間には番はないと言いますが、果たしてそうでしょうか? 私には彼女が全てだった。それは獣人達の言う『番』と変わらないと思いませんか?」


 私には、わからない。

 ローガンは私を番だというけれど、私の『好き』と何が違うのだろう。それほど大切なものなら、どうして彼は私を置いて行ったの?


「獣人の世界では、番を奪うものは殺されても文句は言えないそうですね。ならば私の行いは正当なものだと言える。あの黒狼に死ぬより辛い報復を与える資格が、私にはある」

「……それが、私ですか? 私には自分が黒狼にとってそれほど価値があるとは思えないのに?」


 サンカルが、冷めた瞳を緩りと細めた。


「例え貴女が不正解でも構いません。私にとって黒狼に一矢報いるチャンスはこれを逃したらもう一生ないでしょう。……それに、私は貴女が黒狼の番だと確信していますから」


 サンカルの精神状態を表すように、彼のナイフを握る手の震えはいつのまにか止まっていた。

 鼻先に突きつけられていた刃先は、ゆっくりと下へ移動し、再び喉元でピタリと止まる。


「さあ、もうお喋りはこのくらいにして、ここからは大人しくついてきてください」


 ここでナイフで刺されるわけではないのか、席から立ち上がるように促される。

 けれど場所が変わるだけで、状況は変わらない。

 いや、さらに最悪へと進んでいる。ナイフは小型のものとはいえ刃先は鋭利で純分に恐怖心を煽られた。

 抵抗したくてもいつ来るか分からない未来の痛みに怯えて言う通りにゆっくりと席を立つ。


「どこへ……」

「私は血を見るのは好まないのです。そのかわり、貴女にはこれから重石を付けて海に沈んでもらいます」

「…っ」

「ここは漁業の盛んな港町ですから、いつか見つけてもらえるかもしれませんね。その頃には骨になっていると思いますが」

「まって! お願い、お願いです……っ」

「すみませんが、命乞いなら聞けないんですよ。貴女に恨みはありませんが止めることは」

「子供達は絶対に傷付けないで……っ。もうそれだけでいいから、絶対に、絶対に約束してください……! お願い……っ」

「……」


 こんな奴とする約束なんて守られるわけもないし、子供達の事を頼んでも意味がないのも分かってる。

 でも他に今、縋れるものがない。

 私の言葉はここに居るこの男にしか、もう届かないのだろう。



 キース、ライラに会いたい。

 こんな形で離れてしまったら子供達は私を恨むかな。勝手に契約書にサインして、売られたと思ってしまうかな。

 ああ、もう、ごめんね。

 馬鹿なお母さんでごめん。何も出来なくてごめん。結局、ふたりを守ってあげられたのかさえわからない。幸せにできていなかったかもしれない。

 それでも私は子供達に恵まれて、生まれて初めて幸せだと思った。

 家族っていいなって知ったんだ。


 そして、それは全部ローガンがくれた。

 『なんだよ馬鹿嘘つき』って想いでいっぱいで、正直恨んだし、嫌いだと思ったし、顔見たらぶん殴ってやろうと決めていたけど。

 悔しいけど、私はローガンの番じゃなくても、彼をずっと好きだった。ただ、それを認めたら自分ひとりで立てなくなりそうで、怖かった。


 突き離してしまった彼と話すべきことがあった。

 まだちゃんと伝えてないことがあった。

 聞けていないことがあった。


 こんな時に走馬灯みたいに後悔だけがグルグル頭を回っているなんて……本当に、私は馬鹿だなぁ。





 私の背中にサンカルがナイフを突きつけて一歩一歩、扉へと誘導される。

 無駄な抵抗はせず、ボンヤリとしたランプの僅かな灯りを頼りに歩みを進めていると、カラカラと小さな音を立てて扉の隣の壁のカケラが壊れ落ちた。


 どう見ても古く、ろくな手入れがされていない部屋だ。老朽化によるものかと思えば、壁はみるみるうちに最初に崩れた部分から放射状にヒビが入り、まるで外側に吸い込まれていくかのように凹み出してきた、……気がする。


 いやまさか。

 石の壁だし、目の錯覚? と、目元を擦ろうとしたとき。



 ボッゴォオオ……ッ!!!



 なんと、鈍い怒号と土煙を上げて壁が円形に崩壊したのだ。



「なっ、なんだ⁉︎」


慌てた様子のサンカルが私を置いて壁に駆け寄ると、ゴロゴロと崩れ落ちた壁の奥に土煙の隙間から人影が見えてくる。



「な、なんで……ここが……っ」

「ローガンっ⁉︎」


 黒い三角耳に、同色のふさふさな尻尾。

 邪魔な壁の破片を蹴り壊しながら、恐ろしく綺麗な顔を顰めて部屋の中に入ってきた。



 なんで……! どうやって!

 いや、壁……っ‼︎ 扉があるのになんで壁を壊した⁉︎

 ツッコミどころがもうよく分からない。



 そして、目の前に立つサンカルには目もくれず大股で一直線に私に向かってくる。

 ズカズカというその勢いに思わず逃げ腰になった私に構わず、言葉を交わすより先にガッシリと抱き締められた。



「アリサ……!」

「ぐふっ……‼︎」


 ぶつかり稽古の勢い……っ‼︎

 拉致されてから一番苦しいぃっ‼︎

 ギブ! ギブ! と、彼の背中をペシペシと叩くもお構いなしにぎゅうぎゅうと抱き込めてくる。殺される前に殺す気か‼︎


「こんな場所に隠れるほど俺が嫌だというのか!」

「い、いや……ちょっと!」

「俺はどうしたらいい? どうしたらアリサに受け入れてもらえるんだ? 頼むから教えてくれ。お前なしで王都に帰ることは出来ない」

「ローガン待って! 今それどころじゃないから!」

「なぜ? これ以上に大切なことはない! ちゃんと話をしよう」

「だから、それ今じゃないんだってば!」



 状況! この状況見て!


 この人に、こんなに直情的なところがあったのか。

 いつも余裕でとても賢くて大人な人だと思っていたのに、もしかしてちょっと天然なの⁉︎


「ローガン‼︎ わかった、貴方の話をちゃんと聞くから今は私の話を聞いて⁉︎」

「アリサ、顔に傷がある……。どうした? 誰かに、やられたのか?」

「え? いや、これは自分で」

「なんだこいつは。……ウサギ以外に、まだ居たのか」

「……」



 ローガンは、だいぶ遅れて部屋の中にいたサンカルに気が付いた。



 この人……さっきから私の話を聞く気、本当にあるのだろうか。



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