表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠の梟  作者: CANDY
時の結び目
8/28

笑顔の男

 灰色と茶色は、私が遅すぎたようで、キュウキュウと鳴いていた。

 どうやら、召使いに何かあったのではと心配してくれたようだ。ありがとうな。

 彼らを入れるが、駆け出さないようにお願いした。

 また、あの馬鹿な子を見る目をしたので、大丈夫そうだ。

 門の内側の屋根がある通路で、城を見上げる。

 美しい噴水と馬車や輿などが入れる場所。

 涼し気な木々に装飾品。

 白い壁に金の飾り、所々に緑が見え、それは美しいものだ。

 残りの階段は曲線を描いて城に続く。

 だが、その全てに消し炭の塊が点在していた。

 その消し炭から離れた場所に、武器や防具が落ちてもいた。

 ア・メルンの兵士なのか、ホルホソロルの中央軍か。

 それともまったく別の者なのか。

 門から動かずに見渡す。

 今日は様子見だからね。

 屋根のある通路は向かって右に続いていた。

 本来の客は正面北に城へと入るだろうけれど、私は使用人の入り口を探したい。

 正面から入り込むとか無理でしょう?

 目立たない通路や部屋を開拓しつつ、誰か生き残りか、それとも何かこの状態がわかるものを見つけたいのだ。

 私、普通の子だもんね。

 暫く眺めて、何も動かないのを確かめる。

 そういえば、前に見た時、ここを何かが動いていた。

 あれは何だったのか?

 前に進まず、私が動かないのを見て、茶色が歩き出そうとした。

 その時になって、見えた。

 蚯蚓みたいな姿の何かが、物陰で蠢いている。

 大きさは洒落にならない。子犬ぐらいなら飲み込みそうだ。

 ぞっとして自分のいる場所を見回す。

 よく見ると、細い蛇ぐらいの太さの物が、壁や溝にいた。

 うん、これは松明で焼き払いながら進まないと不味そうだ。

 第一、蚯蚓と言ったが、似ているというだけで、それが本当は何なのかわからない。

 私は茶色を呼び戻すと撤退した。

 必要な物が増えた。

 ぼろ布に木切れに、油か酒。

 あっという間の撤退だが、城の中はもっと変な事になっていそうだと分かってよかった。

 茶色は不満そうだ。きっとあの程度の蚯蚓の親玉なんぞ蹴散らしてやるって感じかな。

 でも、毒があったりしたら目も当てられないぞ。

 そんな事を話ながら階段を素早くおりて、公園に向かう。

 体に何かついていないか、確認せねば。


 私には何もついていなかった。

 けれど、二匹の毛に数匹モゾモゾ何かついていた。

 櫛で梳き落とすと燃やした。

 後は噴水で洗う。

 不満そうな二匹だが、それを寝床に持ち込まれたら嫌だ。

 入り込まれて寄生でもされたらどうするんだ。

 と、真剣に言ったら、ベロンと顔を舐められた。

 お前、馬鹿だなぁって感じ。

 いいもん、私、人間だもん。

 ということで、松明を用意して、次の日、改めて門を潜った。

 屋根のある右側の通路を進む。

 昼間に松明をもって進むとか、ちょっと変だけど、そこは気持ち悪い事を避けるためである。

 そして思ったとおり、この道は城の裏手である使用人の働く方へと続いていた。

 美しい庭を回り込んで、徐々に実用的な水場や木箱など雑然とした雰囲気になっていく。

 水場、洗濯場、貯蔵庫、厨房、必要な品々が収められた部屋等、正面の雰囲気とは違って、入り込みやすい生活感があった。

 ただ、この裏手も、消し炭の塊が点在しおり、更に、建物にも被害が見えた。

 打ち破られた窓や扉、中の調度も破壊の跡がある。

 入り込まずに回り込みながら、音色が聞こえる部屋の位置を探す。

 何で中に入らないか?

 怖いにきまってるでしょ。

 でも、開いたままの扉を見つけて、立ち止まる。

 まだ、今日は昼前だ。


 多分、その部屋はお城で使う布を収めておく部屋だ。

 たくさんの棚に、いろんな種類の布が畳んで入れられている。

 食事の時の物から、寝具に使う物。貴族様がたの品とその他に必要な物が整理されて分けられていた。

 しっかりとした家具に、そうしてぎっしりと布が詰まっている。

 きちんと管理されていて、つい先程まで糊をつけて火熨斗で皺を伸ばしていましたって感じ。

 ここは使用人でも、身分の高い使用人が出入りしていそうな場所だ。

 この収納場所から城の通路に続く戸口の先には、絨毯が敷かれており、既に調度が違っている。

 暗い。

 この部屋はちょうど角の突き当りにある。外は干場と洗濯場に続いていた。

 戸口は北向きで、通路は行き止まりに大きな東向きの窓。

 本来なら明るい。

 ところが、明確に、この収納部屋より廊下が暗いのだ。

 私は戸口で立ち尽くした。

 犬達は収納部屋の隙間や布の間が気になるようで、顔を突っ込んでいた。

 ねぇ、これ、変じゃない?

 それに賢い犬達は振り返る。

 そして頭を傾げて見せた。

 こんな大きいのに、かわいいや。

 はぁ、まぁごまかしても無駄だよね。

 怖いな。

 私は松明で照らすかと思った。

 だが、これであんな高級な調度があるような通路を通ったら、何かを壊すか焦がしそうだ。

 それに角灯を灯したり蝋燭を利用するのは簡単だ。

 問題は、何故、暗いかだ。

 うじうじとここで躊躇う。

 それでも戸口の先に指を伸ばした。

 当たり前だが、指はスッと先に進む。

 やはり濁ったように私の手は暗くなった。

 暗いと影がわく。

 そう思った。他の出入り口を探す?

 と、その時、階上で声がした。

 何を言っているのかわからない。

 だが、誰か人の声がした。

 私はあっと思い、そのまま通路に入った。

 薄暗いだけで何も変わりは無い、大丈夫。

 私は通路を走った。


 後から思い出してみれば、私は人に会いたいという考えだけだった。

 怖がっていたのに、その時は、まるでまわりが見えなかった。


 ***


 木目の手すりの階段。

 左右に折れ、どんどんと上に登る。

 通路は複雑で、絵画が置かれ美しい壺が飾られている。

 所々に椅子や文机、細い通路に天井は絵が描かれている。

 普通なら、歩くことさえない世界。

 ただ、所々に灯された燭台の炎。

 金の装飾、銀の置物。

 通り過ぎながら、声を拾う。

 でも、意味がわからない。

 薄暗く視界も悪い。

 大きな天井の大きな通路、大きな窓に美しい布が下がっている。

 誰もいない。

 焼け焦げた煤も無い。

 ただ、視界が悪い。煙の中、曇り空の下、何か一枚幕がおりているようだ。

 私は息を切らしながら走っていく。

 そして大きな扉が薄く開いている場所にたどり着いた。

 声は中からだ。

 私は扉の隙間から中を覗き込む。

 見えた光景に、私は息を飲んだ。


 円を描く天井の高い部屋。

 一段高い場所には、位の高い人が座る椅子。

 厚い遮光の布が下がっている。

 下座には高価な毛織物が敷き詰められて、部屋の壁には高い位置に飾り窓があった。

 明るい白い陽射しが入り、涼しい風が吹き抜ける。

 とても美しい広間だ。

 緑の鉢植えも置かれ、花の花瓶も置かれていた。


 ただ、今は薄暗い闇が降りている。


 時が止まって?

 驚きの中、私はそう思った。

 最初に目に入ったのは、下座に控えた男だ。

 壮年の髭を蓄えた男が座っていた。

 彼は驚き、咄嗟に身を捩っている。

 その斜め前には、男が大きく足を開き、片手で剣を振り抜いていた。

 座った男の前にある凶器を弾いた格好だ。

 素早い動きだったのか、片手は光りの尾を引いていた。


 二人は多分、ホルホソロルの客人だ。

 纏う衣装は南の物で、肌は小麦の色だった。

 ふるわれた武器は、曲線を描く盤刀だ。

 最初の凶刃は防がれた。

 だが、座る男の背後にもう一つ凶器が迫っている。

 それから段の上の椅子に座る者。

 驚いた少年が立ち上がり片手を伸ばしていた。

 だが、その少年の首には今、何かが刺さろうと飛んできている。


 絵のように。


 皆、そこで動きを止めている。

 何より、そのそれぞれの凶刃をふるった犯人がいない。

 その刃の後ろにいた者の姿がないのだ。

 この三人以外に誰もいないのがおかしいし。

 そもそも、これは何なんだ。


 一つ言える事。

 このままだと、この客人と上座の少年は死ぬ。


 私は扉の中へ踏み込んだ。


 すると景色が更に暗くなった。


 倒れ伏す客人。

 少年の首が。


 私の目の前で、それらは一瞬で消し炭に。

 それと同じく、防ごうとしていた男は、盤刀を投げていた。

 その軌跡の先に刃は半分ほど無くなっていた。

 何かに刺さり消えている。

 何かが男の体を弾き飛ばす。

 男の体は空を泳ぎ、圧力を伴い落ちていく。

 それから何かが男を掴んだ。

 掴んで外へ?


 ふっとかき消すように姿が消える。


 ウォンっと犬の鳴き声。

 グゥゥっと唸る犬の声。


 瞬きをする。

 目のかすみがとれ、絨毯に黒い染みが見えた。

 椅子は背もたれが切り取られ、そこには何もなかった。

 瓦礫、外からの風に揺れる室内は無人。

 誰も、いない。


 私は混乱の気配を感じた。

 叫びだしそうな気持ち。

 怖い。


 男は何処へ。

 死んだ?

 部屋の中に入ると、更に左手の奥に通路が見えた。

 明るい陽射しが見える。

 静かにそちらに歩いていくと、中庭らしき場所がある。

 美しい南国の花に、高低差を付けた水路があった。

 その水路の中央に、女神シシルンの像がある。

 いつもの素朴で可愛らしい姿の女神像。

 その水の足元に、折れた盤刀が緑に巻き取られていた。

 死体は?

 私は生い茂る緑をかき分ける。

 男は水の中にいた。

 水死体?

 でも、ふやけも腐りもしていない。

 長い黒髪が水に揺れている。

 砂にも骨にも、そして炭にもなっていない。

 あぁ死んでいるのか?

 私は水の中に入った。大きな男だ。

 その男の頭を抱えて引き上げる。

 重い頭を水の上に出す。

 息は無い。

 腐らなかったのは、この水が冷たかったから?

 そんなはずは無い。

 私が途方にくれていると、茶色が吠えだした。

 釣られるように灰色もだ。

 すると腕の中の頭が震えた。

 驚いて取り落しそうになる。

 男は噎せ返る。

 生きてる?

 息をし始めた男に困惑する。

 これは何だ?

 先程の事は何だ?

 わからない事だらけで、この男が人間かも怪しいが。

 生きてる。

 これで何かがわかるかもしれないと思うより、これでやっと一人じゃなくなった。この人を死なせないようにしなきゃと、安堵よりも不安になった。


 ***


 水から意識の無い人間を引き上げるのは大変だ。

 そして私は軽量であり小さい。

 私の体重の三倍以上ありそうな成人男性を引き上げる。

 不可能である。

 だが、せっかく人型の生き物を発見したのだ。

 諸々の怪異現象を無視してでも、私はこの人と会話をしたいのだ。

 私の熱意と言うより、悲壮な感じを受けて、犬達が男を引き上げた。

 灰色の上に茶色が男を乗せて、水場から脱出。

 ありがとう、ありがとう。

 お礼を繰り返したら、ゴスゴス頭を顎で叩かれた。

 正気に戻れという感じだろうか。

 そのまま犬達は広間を横切り、元の通路に向かう。

 私はついて行きながら、広間で見た光景が頭で渦を巻いていた。

 あれはいつの光景か。

 どう考えても馬鹿らしい事になる。

 この人が説明、してくれるかはわからない。

 あの光景が、嵐の前にあったなら、それは大きな事件であるし、この現状の理由如何では、わからない。

 人と会いたいと思ってきたが、これは想定外だ。

 普通じゃないし、この人、でも。

 どこか必死に思う。

 普通の人間でありますように。

 どうか、怖い人じゃありませんように。

 どうかどうか。


 布が置かれた部屋に戻る。乾いた大きな布で男を包む。

 水気を拭き取り、息を確かめる。

 犬達は濡れた体を震わせると陽射しの当たる戸口に座っている。

 この人も日干しするか?

 濡れた服を脱がすのも一苦労だ。

 それでも何とかひっぱって剥がす。

 必死なので、何とかできた。

 濡れた布を交換して、転がしてと、結構乱暴にしたが、意識は戻らない。

 戻らずに、このままだったらと、不安になった。

 でもできる限りをするまでだ。

 問題は、このままだと城で夜を迎えてしまう事だ。

 まだ、時間はある。

 体を乾かし、服を乾かしたら、犬達に又頼んで運ぶしか無い。

 でも、階段はどうする?

 それともこの城で隠れる場所を探すか?

 髪の毛から水気を取りながら、どうした物かと考える。

 だが、この異常な出来事の中で、ずっと水の中にいたとも思えない。

 見た限り、弱った様子も、何処か腐ったり怪我したりした様子も見えない。

 でも、また、息が止まったら?

 どうして生きていたんだ?

 不思議な事ばかりだ。

 もしかしたら、この男は幻ということもある。

 あの影と同じかもしれない。

 でも、息を確かめれば呼吸をしているし、こうして世話をすれば表情も少しある。

 目を覚まして、早く。

 たぶん、私は助けてと言いたいのだ。

 もちろん、言わない。

 だって、助けてじゃなくて、助けなくちゃだ。

 でも、誰か助けてと言いたかった。

 怖い、助けて、一人になっちゃったんだ。

 捨てられた時は小さくて、泣いていたけど。

 一人で生きていけると思ってたのに、本当に、一人になったら怖くて不安で動けなくなりそうなんだ。

 私以外の人間を見つけて、私は余計に不安で怖くなった。

 涙を腕で拭うと、灰色が側に座った。

「どうしよう、この人、下に運べないかな」

 灰色はゆっくりと頷いた。

 私にもわかるように。

 慰めてくれている。

 そうだ、一人じゃなかったね。

 お前もいたし、茶色もいたね。

 深呼吸をして、男を新しい乾いた布で包んで縛る。

 酷い扱いだがこれしかない。

 濡れた衣服は纒めて、他の小さな布で包む。

 それは私が背中に縛る。

 そして灰色に男を乗せてから、布で胴体に縛る。

 また、灰色が諦めたよ、って顔になったが、おとなしく背負ってくれた。

 茶色は先導な。

 そして、少し引きずりながらも、城から出た。

 時々足を持ったり休んだりしたけど、日没までに公園の中に入れた。

 邪魔は入らなかった。


 霊廟の入り口の前で下ろす。

 灰色は身を震わせると伸びをした。

 重いのにありがとう。

 茶色は近くで飛んでいた鳥を追って走り回っている。

 気の抜ける光景だが、もう、陽射しも傾き始めていた。

 包んでいた布をつかって、男を引きずる。

 息は何度も確かめた。

 大丈夫、大丈夫だ。

 入り口を開けて、中にそのまま引きずって入れる。

 どこも打ち付けないように、慎重に。

 そこで力尽きた。

 途中、茶色も押し込んでくれたけど、寝床までは無理だ。

 敷物の方を持ってくると、床に広げて男を乗せる。

 これだけで、私の方は倒れそうだ。

 でも、引きずられたほうが痛かったかも。

 縛っていた布を広げて、中身を確認。

 見た所は大丈夫かな。

 髪の毛も乾いてきている。

 持ち出した新しい布で体を包む。

 それから掛け物を上からかけた。

 頭の下には折りたたんだ布を入れる。

 息が苦しくないといいけれど。

 このまま、弱って死なれたら。

 そんな考えが怖い。

 この男が夜になって化け物になる可能性も考えてはいる。

 でも、どう転んでも、同じ。

 寝かせて起きるのを待つのは、同じ。

 今日は火を使わない。

 外の二匹に声をかけて、今日を終わりにする。

 扉を閉じる。

 消化できない一日に、不安を覚えた。


 持ち込んだ時計が深夜を表していた。

 簡易の月の絵を針が指す。

 青白い室内。

 水の音に他人の寝息。

 そして犬達と私は身構えた。

 来た。

 今夜は、私の眠りが浅かったからか、犬達よりも先に目が覚めた。

 引きずる音はしない。

 今日は足音だ。

 人がいると思った。

 でも、気配は暗い。

 あの冷たくて暗い気配だ。

 でも、今夜の足音ははっきりと草を踏みしめている。

 耳を澄ます。

 重い足音、何かを探すように公園を行き来している。

 その時、私はある事に気がついた。

 帰ってきた時、私は外の木の枝に、濡れた服を干していた。

 男の服だ。

 失敗した。

 どうしよう。

 男は目覚めた様子がない、大丈夫、声を出す事は無い。

 犬は、いつもどおり耳だけで様子を伺っている。

 あぁ、失敗した。

 バレる。

 干したのは大ぶりの白い服に下履きだ。それに長い腰布もだ。

 夜目にも目立つ事この上ない。

 自分の間抜けぶりに、呻きそうになる。

 かろうじて靴だけは中にある。

 高い枝に干していて、自分の視界に入らないから忘れていた。

 もう、どうしようもないことだ。

 どうしようもない、けど、あぁ。

 私の焦りを読んだように、足音はこの奥の場所に近づいてくる。

 それは右手の慰霊碑のあたりで立ち止まった。

 こっちの茂みに気が付かないで。


「死して邪魔をするとは血筋か」


 若い男の声。

 竪琴の音が聞こえる。

 今夜は聞こえていなかった。

 それが、密かに始まった。


「馬鹿な奴だ」


 ぽつりと零された言葉には、何故か悲しみを感じさせた。

 暫く慰霊碑の前に立ち止まっていたが、それは踵を返して離れていく。


「何処に隠した」


 小さな呟きが、何故かよく聞こえた。

 耳元で囁かれたように思えて、私は思わず手で耳をおさえた。

 バレなかった。

 安堵から膝をついて顔を布団に押し付ける。ちょうど謝罪の恰好みたいだが、そのまま安堵で眠りに落ちた。

 そして、起きたら、男が笑って私を見ていた。


 ***


 謝罪の恰好で寝ていたら、誰かの抑えた笑いが聞こえた。

 ハッとして顔を上げる。

 無意識に涎を拭って前を見ると、男が壁に体を預けたまま笑っていた。

 片足を投げ出し、背を壁にしている。

 そして、もう片方の立てた膝に、手をおいていた。

 あぁ生きてる人間だ。

 生きて動いてる。

 私は間抜けな顔のまま言った。

「お兄さん、大丈夫?」

 その人は笑顔のまま、頷いた。

 あまりに久しぶりの人間だ。

 感動とは違う、猜疑心めいた思いでまじまじと見る。

 優しげな垂れ目だ。

 日焼けした肌に真っ直ぐな黒髪。

 南部人の特徴があるけれど、その瞳は北部の人のように薄い緑だ。

 獣面はわからない。

 特徴はでていないが、ホルホソロルのお客人なら獣人だ。

「気持ち悪いところとか、痛いところ無い?」

 また、頷いた。

 そしてその隣で灰色と茶色も頷いた。

 犬が三匹になったような気持ちになる。

「お兄さん、御飯食べれる?食べながら話そう」

 それにもゆっくりと頷いた。

 何だか、変な感じ。

「名前は?」

 初めての声だ。

 南部なまりのゆっくりとした共通語だ。

 もしかしたら、共通語が苦手なのかもしれない。

「サリーヤだよ、お兄さんは?」

「私は、クゥ・ウィル・クルスコだ」

 難しい名前である。

 南部の部族名は長いと相場が決まっている。

 たぶん、これでも省略しているだろう。

「クゥと呼びなさい」

 何だか命令された。

 まぁいいか。

「わかった、ご飯にするね」

「何か着るものも頼む」

 おぉ、忘れていた。

 夜干しになった衣服は乾いていた。

 それを取り込んで、クゥに渡す。

 着替えている間に、食事の準備を始めた。

「ここは何処だ?」

「セルナトの公園だよ。ここに運ぶまでの事を説明するよ。その方がいいでしょ?

 共通語は大丈夫?私は共通語しか喋れないんだ」

「あぁ」


 朝、目覚めたらア・メルンで一人きりだった事。

 そしてここ二ヶ月以上経ったが、砂船も外の人も来ていない事。

 ア・メルンを囲むように大きな砂の川ができている事。

 夜になると、影が徘徊し、曇りの日も奇妙な姿を見かける事。

 兵舎の砂の柱。

 そして、お城に向かった事。

 あの暗い部屋の出来事。

 クゥを水場で見つけた事。

「それでね、夜になると笛か竪琴の音がお城から聞こえるんだ。だから、誰かいると思って来たんだ。

 それに花壇の前庭にある塔に誰かいるんだ」

 クゥは渡された食事を手に持ったまま、考え込んでいた。

 私だけ喋った。

 たぶん、この人は言いたくないことは言わないだろう。

 あの幻は、たぶん、異変の頃の話。

 クゥが水の中にいた事や生き返ったように見えた理由は、わからない。

 もしかしたら、この人も、消えてしまうのかもしれない。

 あの場にいた人達は死んでいる。

 これだけは本当だと思う。

 あれは、確かにあった事で、幻だけど、本当に。

 あぁ嫌だな。

 考えがまとまらない。

 いろんな不可解で不思議な事がおきている。

 理解できない何かの力が、ア・メルンを動かしている。

 聞いて良いこと悪いことがわからない。

「塔にか?」

「うん、手が見えた。振ってたから」

 クゥは不思議な表情で私を見た。

 何か奇妙な生き物を見たみたいに。

 灰色が一声ウォンと吠える。

 茶色が外に出せと扉を掻いた。

「出ていいよ、扉を少し押すんだ。覚えなきゃ」

 茶色はまだ、出入りに戸惑う事がある。

「仲がいいな」

「犬の事?」

「あぁ、犬、だな」

「可愛いよね」

「..」

 それに何故か灰色が唸った。

「お兄さんは、ホルホソロルの人?」

「どうしてそう思う?」

「折れた盤刀を持ってたし、服が南の人だ。

 お城のお客がホルホソロルの人だって、書いてあったよ」

「書いてあった?」

 私はあの書付の綴りと、ついでに拾った紙を渡した。

「どこでこれを?」

 彼は兵士の方の紙を指した。

 何処でどうして拾ったかを告げると、彼は考え込んだ。

「そこに行ってみる?それとも、もう少し、体を休める?」

「そこに行こう」

「じゃぁそこに案内したら、私は動物たちの世話に行くよ。後でアルラホテの教会に来てね」

「何も聞かないのか?」

「何か教えてくれるの?」

 素早く切り返すと、クゥは笑った。

「簡単な事だよ。

 このア・メルンは、逆賊によって落ちた。

 その過程で、困った事が起きたんだ。」

 予想はしてたけど、改めて言われると口を開いたままになる。何も言う言葉がでない。

 あの幻の意味を考えないようにしていたが、あれは襲撃の場面だ。

 このクゥとホルホソロルの要人が、ヤカナーン公爵と会談中の場面。

 作られた場面なのか、わからないけれど、切り取られた時間を見た。そう考える事もできる。

 あれがオルロバ様かどうかはわからないが、要人と公爵側の人が暗殺された。

 クゥは反撃をした後、負けたのだ。

 でも、それが今の状態とどう繋がるのだ?

「困った事?」

 確かに困ったことはおきている。

 住人が消えた。

 兵隊は砂だ。

 お城は荒らされて、でも、逆賊はどこだ?

 逆賊どころか、化け物と動物しかいない。

「困った事って、逆賊が手にして占領してるわけでも、統治をしようとしてる様子もないよ」

「ちっちゃいのに賢いな」

「ちっちゃくない」

「うむ、せめて私の腰より上に背が伸びねばな。

 さて、サリーナ。

 お前は最善の選択をしている。

 これからも、その生き延びる選択を続ける事だ。

 そして、これはお願いだ。」

「何?」

「もう、城には行くな」

「どうして、まだ、塔に誰かいそうだよ。それにお兄さんだっていたじゃないか」

「クゥだ」

「困ったことって何なの?」

「あの城には、誰もいない」

「お兄さんがいた」

「クゥだ、そしてたぶん、私が生きていたのは」

 笑顔のまま、クゥは言った。

「私の身代わりに、私の家族が死んだからだ」

「笑顔で言う事じゃないよ」

 抗議に、彼はゆっくりと頷いた。

「私の命の恩人、小さな同胞。

 お前は巻き込まれただけだ。だから、助けが来るまで、城に行ってはいけない。いいな」

 それが一番安全な事だと分かっている。

 けど、頷けずに外に出る準備をした。

 窓で一生懸命振られた指。

 あれが自分だったらどう思う?

 けれど、クゥは何かを知っている存在だ。

 それが行くなと言うのには理由がある。

 けどけど。

「うまかった、サリーナ。さて、案内してくれ」

「日没までに教会に来てよね」

「うむ、そのノモメナスも貸してくれるか?」

「ノモメナスって?」

「茶色い方だ」

「聞いてみれば?」

 私の言葉に、クゥは片眉をあげた。

「分かったよ、ねぇ茶色、お兄さんの付き添いお願いしていい?」

 花壇の虫を追いかけていた茶色は、こっちを向くと首を振った。

「嫌なの?でも、茶色がついていってくれると安心。今日は教会だから、お肉用意するし」

 おっ尻尾に力がはいったぞ。

「骨付きの牛の奴、まだ、残ってたし。うん、一緒に行ってお手伝いして、暗くなる前に合流」

 灰色が小突いてきた。

「わかってる。こっちも今日は力仕事があるし、手伝ってよ。お肉ね、鳥のがいいの?」

 髪の毛を自分で編んで首に回したクゥは、何だか呆れたように首を振った。

「ノモメナスとイルキステが犬か」

「何?」

「いや、悪魔も子供には優しいものだとな」

「悪魔って?」

「気にするな」

 何故か、茶色と灰色がクゥに突撃を始めた。

 どうやら元気はあるようで、彼はヒョイヒョイと避けながら笑っていた。

 あぁ人間と喋ってる。

 そう思いながら、霊廟を閉めた。

 後で聞いたら、クゥの故郷で、茶色や灰色の事を指す単語らしい。

 灰色はイルキステ・オラ(悪辣な悪魔)

 茶色はノモメナス・オラ(残忍な悪魔)

 と、言うらしい。

「酷いなぁ、可愛いじゃない、大きな犬だけど」

「大きな、犬、ならな」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ