大蛤の夢と痕跡
茶色に餌を与えた。
飢えきった様子は無くて、何処かで食べ物を得ているようだ。
荷物の中から、灰色と茶色、それぞれに乾燥肉を与える。
公園の最初の水場で、二匹を前に腰を下ろす。
曇った空に柳の枝が揺れる。
公園は美しく広大だ。
初めて見たが、きっと貴族様達は、ここで涼んだりしていのかもしれない。
野生の鳥が散見するから、もしかしたら、茶色は鳥を食べていたのだろうか?
この犬も喋れたら、飼い主の事が聞けるだろうに。
いや、聞いてみるか?
賢さは、普通の犬と同じとは思えない。
文字さえ読めると言われても信じられる。
セドリック様が高級で貴重だと言ったし。
「ねぇ、お前の飼い主は?」
それに水で噎せた犬が、鼻を垂らして首を振る。
意味としては、どうとってよいかわからない。
「何処から来たの?」
それにも首を傾げる。
うーん。
「今まで何処にいたの?」
それには鳴き声が一つ。
城に向かって吠えた。
城かぁ、城ねぇ。
ともかく、ここまで来るのに昼を回ってしまった。
手早く中を探索だ。
犬は、まぁついて来るなら、それはそれだ。
公園はぐるっと塀が回っている。
等間隔の石の柱に鉄の格子。
所々に彫刻が置かれ、池と噴水、小さな流れが配置されている。
入り口近くに小さな噴水、奥中央に大きな噴水。
池は右手の林の中。
木々は茂って、奥に腰を下ろす場所なども見えた。
左奥には見上げる高さの塔がある。
といっても、石塔で空洞は無い、細長い塔だ。
慰霊碑はそのまわりに置かれており、バラバラに霊廟がある。
たぶん、貴族の家ごとに分かれているのかな。
それぞれ紋章や文字が刻まれて、ちいさな家みたいだ。
それでも墓という雰囲気は無い。
そして入り口は塞がれており、鍵や鎖がかかっている。
見た感じ、入り込めるような感じではない。
困ったな、あの影が避けて通るような場所って感じじゃない。
お墓という感じがしなかった。
たぶん、長命な方々は、私達のように死が近くない。
遠くて、忘れてしまうのかな。
だから、ここは本当に記念碑みたいな場所で、悲しみも思い出も、ここに置きはしないのかな。
どこか別に大切にしてるのかな。
生き物として違うから、わからない。
それでも何処か、安全そうな場所が無いか見て回る。
すると公園の一番奥。
ア・メルンの外壁の近くに小さな女神像があった。
私と同じぐらいの大きさの女神像だ。
そしてやっぱり小さな霊廟が側にある。
古くて小さな霊廟で、半分草に埋もれていた。
表面の扉は、苔むしている。
何となく、しゃがみ込んで眺める。
犬たちも匂いを嗅いだ。
よくよく眺めているうちに、ある事に気がついた。
霊廟の表面に彫られた文字は、年月で削れてみえない。けれど、その入口は上半分が円を描いており、うっすらと花びらのような模様が見えた。
指で花びらのあたりをこする。
苔と汚れを落とすと、しっかりと模様が見えた。
かぁ、と、烏の鳴き声。
久しく聞いていなかった烏だ。
どこにいたのだろう空を見上げる。
ここのところ全く見かけなかった、数羽の烏が飛んでいた。
まだ日没には余裕があるはずなのに、空が暗い。そして風が吹き始めていた。
帰る?でも
迷いながら、花びらの模様を叩いた。
タシタシぺちぺちと叩くと、やっぱりカコンって音がした。
そして何かを巻き上げる音もだ。
そしてゴッっと鈍い音の後、パカッと扉が開いた。
暫く待つ。
何も動きは無い。
泉の時はさっさと頭を突っ込んだが、荷物から蝋燭を取り出す。火をつけてそれを穴に入れる。
空気はありそう、音もしない。
恐る恐る中に入る。
そこは泉と似たような場所だった。
暫く開いた様子は無い。
扉の部分には埃。
けれど、乾燥し空気の流れがある。
あの泉の部屋にそっくりな作り。
ただ、こちらの泉は枯れていた。
薄青くうっすらと明るい。
たぶん、西の泉の部屋と同じ、壁の作り。
同じく棚には、古びた何かが細々と置かれていた。
たぶん、埋葬品だったのだ。
ただ、この部屋にも、遺骨を収めた骨壷も、遺体を収めた棺も見当たらない。
ただ、シシルンの像と枯れた泉があるだけだ。
私が入ると、灰色と茶色も入ってきた。
念の為、外の様子を見る。
と、言っても、この場所は壁沿いの低木に隠れている。
公園の入り口からは見る事ができないし、中に入りこんでも古くなり、そろそろ片付けられそうな石碑の近くだ。目立たないと思う。
城の方から眺め下ろされれば、見つかるかもしれない。
ただ、木々の梢がある。
そこまで見てから、扉を閉じた。
閉じると、やはり内側から押さえができるようになっていた。
ここの役割がわからない。
まるで、元から中に立て籠もるような作りだ。
通気孔を確かめる。
これも遺跡の一つだとしたら、良く調べないと危ない。
天井の穴を調べていると、犬達が泉の中を嗅ぎ回る。
泉の中というか、枯れた泉の囲いの中か。
ガツガツと前足で掘る仕草。
見れば朽ちかけた厚めの板が取水孔に差し込まれていた。
もしやと思うが、掃除をしてからだと犬たちに告げる。
掃除だ。
私は掃除の道具を調達しようと考えた。
もちろん、あの影の出てきた家ではない。
この公園を管理する小屋か、それぞれの慰霊碑や霊廟からだ。
そうして探せば、まわりの霊廟に、いくつかの箒や鋤簾など道具が出てきた。
それを借りると、棚の物を部屋の隅にまとめる。
その後に、掃き清めて外に押し出した。
泉の取水孔の木の栓らしき板を抜く。
濁った水が流れ出す。
弱い流れは、思い出したように量を増やした。
最初の濁り以外は、塵も落ち葉なども無く、透明な水が流れ出た。
水を使って泉の中を束子でこすり洗う。
流し場への引水の部分も洗い、部屋の中も洗える場所を水で流す。
流石に扉は開けた。
犬たちに外の見張りを頼んだ。
泉が清潔さを取り戻す頃、日没になった。
あの晩と同じく、風が強い。
不穏な空を見上げ、大方乾いたろう部屋の中へ。
扉を閉じた。
灰色は既に奥に入り込んでいたし、茶色も別段、自分の塒に帰る様子もない。
内側から押さえを置く。
そうして角灯をつけると、息を吐いた。
あの西の井戸との違いは天井だけ。
ここの天井は、飾りの無い青い建材と赤い岩だ。
あの薄板で何かを塞いではいない。
掃き清めた場所で、乾いた所に腰を下ろした。
埃よけの布を敷けば、今日の寝床の出来上がりだ。
食事は、持ってきていた乾燥肉だ。
犬が増えたから、明日の朝は食事の為に戻るか、公園を出て近所を漁る事になるだろう。
食事をそれぞれに与えた後、二匹は寝床の位置で押し合っていた。
自分の位置が上とか下とかで、二匹がゴロゴロ絡み合っている。噛みつきあう程ではないので止めない。
疲れたので、私はさっさと横になった。
今夜は竪琴だ。
風が強いから音が掻き消され、時々途切れる。
外の物音が嫌で、そしてここが本当に安全か確かめる初めての夜が嫌で、耳を塞いで丸くなる。
そうしたら、犬は私を囲んで丸くなる。
一人と二匹で丸くなったら、外の音が聞こえなくなった。
***
熱を出すと、同じ夢を見る。
静かな夜。
月明かりの射す夜だ。
私は小さな部屋に寝ている。
小さな部屋なので、寝台と机しか置けない。
枕元の本棚。
私は、見つからないように、寝台の側の窓から抜け出す。
鉄の格子を外して、逃げる。
何から逃げているのかわからない。
静かに止まった世界に、お月様と黒い影。
私は塀を乗り越えて、草花の畝を走り抜け。
それから小さな川を越え、家々の灯りを目指すのだ。
時はとまり、自分の喘ぐ息遣い。
誰一人として動かない。
水辺に浮かぶ鴨でさえ、時からこぼれて動かない。
たすけて、たすけてと言いながら。
暗い道まで走り出る。
坂を上り、月に照らされ、橋を渡り。
何処にも誰にも出会わない。
どうかどうか、あの部屋に、私を戻さないでと走るのだ。
この目覚めない夜を、何から私は逃げているのだろう。
振り返ると、大きな白い月。
この月は、双子のどちらの月だろう?
熱を出すと、同じ夢を見る。
助けて、と、手を伸ばすと握り返す。
私達、同じ、夢を見ている。
だから、これも、夢なのだ。
こんな事はありえない。
私は、祈る、大きな月から逃げられるように。
あぁ、助けて。
どうかどうか、夢だと...
***
目覚めると、泉の水の音。
とても気分が良い。
涎をたらしていたのか、灰色の毛並みが濡れていた。
起きていた灰色の顔は、もう、諦めてるんだって感じ。
ごめん、今日はごはん、美味しいのにするから。
そして隣の茶色の寝相は、何故か犬なのに仰向け。
お腹を揉んだら、飛び起きた。
この子は、飼い主に甘やかされた子だね。
昨日の晩は、ぐっすり寝た。
けど、何だかだるい。
疲れがでたのかな?
外の様子を見てから、本日の予定を二匹に言う。
ご飯を食べに教会へ、そこからセルナトでの食料調達。
できれば、この泉に物を集める。
時間があったら、城様子の偵察。
笛の音も竪琴の音も、今朝は聞こえない。
そう、もう一度、ここに時計を設置したいとも思った。
神殿の地下だと、外を伺う時、建物の中から見れる。
けれど、泉の場合はすぐ、外だ。
この問題もなんとかしたい。
そしてこの泉まわりも、もっと遮蔽物を調達したかった。
うむ、やることがいっぱい。
ともかく、外を見る。
押さえをはずして、そっと隙間をつくる。
明るいし、風も収まってる。
気配は、感じられないし、何処かで烏が騒いでるだけ。
楽器の音も無いなぁ。
表に出ると、今日は天気が良いようで、空には雲一つなかった。
それでも城からの角度に気をつけて、木が茂っている方向へと進んだ。
犬達は勝手に走り出している。
公園の中をじゃれながら、転がるように走ってる。
まぁ奴らが気にしないなら、大丈夫ってことか。
そのまま公園の外へ。
私はいつもの棒を持ったまま、こそこそ。
犬二匹はご飯だって、道をガウガウいいながら小走り。
最後の頃は、もう、ビクビクする余裕もなく走った。
置いていかれたくないってのもあるけど、陽射しの中で、アレらは活動していないと思っていたからだ。
何の確証もない、油断だと思う。
けど、ずっと潜んで一人でコソコソしているのも限界。
二匹が楽しそうで、それに混じっていたいともね。
ただ、予想以上に早くたどり着いた教会で、犬ご飯をつくりながら思った。
曇りの日は危ない。
でもそれじゃぁ建物の影は?
お陽様だけが影響があるのかな。
ご飯をあげて、自分の食べ物を作りながら、考える。
昼に制限をうけるのか。
日光に制限をうけるのか。
その法則がわかれば、こっちも動きやすくなる。
確証は得られないのだから、今まで通り動くのは昼間。
日の出から日の入りまでだ。
昨日は曇っていた。
その時は注意だ。
まだ、建物の影で出くわした事は無い。
昨日はお陽様が陰っていた。
直接の陽射しは影響なくても、太陽が隠れると駄目なのかな?
あの影、気持ち悪かった。
でも、あれは夜に這い回っているのと同じ?
違っていたら、複数、影がいるってことだ。
今度の泉も、本当に避けてくれるかは、わからない。
そうだ。
泉で使う新しい時計。
それに食料を運ぼう。
食べ終わったのはお昼前。
家畜の世話をして、今日は時計を探す事にした。
時計の店というのは無くて、色んな絡繰や機械、それに小物を扱う店だ。
質屋も兼ねてて、入り口は鉄格子がはまっている。
入り込めないように鍵と格子が下りている。
けれど、裏手の住居が開いている。
以前に調べた時、放し飼いされていた猫を複数みつけたのだが、裏庭の戸口、錠前は壊れて開きっぱなしになっていた。
泥棒かと思ったが、中は荒らされた様子は無く、どうしてかその扉だけ壊れていた。
考えてもわからないが、あの兵舎のように砂の柱を街では見かけた事は無い。
本当に、住人だけが消えていて、つい先程までそこにいたという感じで痕跡がある。
嫌な痕跡が無いだけましだと思うようにしていても、無事なのかわからないから、とても怖い。
まぁそんなこんなで裏口から入ると、今も家猫達は塒にしているので顔を出す。
餌は噴水の方で食べていても、塒はここのようだ。
住居部分を抜けると倉庫だ。
倉庫を抜けると表の店になる。
私はその手前の天井まである棚の間を見て回った。
簡単なねじ巻き時計でいいのだ。
毎日寝る前に巻いて、朝がわかる。正確じゃなくてもいいし、大体だ。
この前の絡繰は高価な遊びの品だ。
できれば、労働者向けの朝の時がわかる奴で良いのだ。
色んな物が放りこまれている箱をあさる。
面白い変な品物がいっぱいだ。
意味がわからなくても綺麗だったりキラキラしてたりすると楽しい。
砂時計じゃなくて液体の油みたいな時計も見つけた。
飾りだね。
そんな風に漁ったけど、目的の物は別のところで見つかった。
住居部分の入り口に置かれていた錆びた小さな時計だ。
それをねじ巻きと一緒に拝借。
あぁそうそう時計時計っていってるけど、時間がどのくらい過ぎたかわかる計測器って事だよ。
神殿にある大陸時計とは違うからね。
今が大陸時間で何時?とかはわからないし、合わせる構造がないからね。
日の出や日没に針を合わせて、一定の時間の経過をしらせる測りだね。本当は時計とは言わないかもね。
砂船の発着があるから、このア・メルンは、時間を知らなきゃならないけれど。普通は朝と夜が分かれば良いんだ。
神殿の鐘の音で動いていれば間違いは無い。
これは朝と夜の表示だけ。
日の出か日の入りに合わせて螺子を巻く。
表示が切り替わるだけの物だ。
ア・メルンは、季節によっての昼夜の長さが殆ど変わらない。
だから使えるんだ。
これが何故必要か?
上の街ではあんまり使わないよね。だから、出入り口にあったの不思議と思った。
もしかしたら、耳の不自由な人がいたのかもしれないね。
本来は、下の穴蔵のような下水道跡で必要なんだ。
全ての家庭にはないよ。
鐘の音が聞こえにくい場所とか、上の仕事で夜明けの前に働きに出る人とかね。
本物の時計は高価だから、こうした安い物が必要ってこと。
後は暗くなるまで食料を集めた。
集めると言っても、二匹用の食べ物だ。
私は何でも食べられるけどね。
家畜の飼料、暑い地域は腐らせないように加工してあるんだよ。
その中でも、大型の肉食の家畜は南に行けば行くほど多くなる。毎日、狩りをして生肉が得られればいいけど、大量に飼育している場合は、そうもいかない。
そこで保存できる肉食動物専用の乾燥飼料ってのがあるんだ。
肉食の生き物をどうして飼うのか?
そりゃぁ、肉食獣を飼いならして、人間を襲わせるんだよ。武力としてだね。
嫌な話だけど、騎獣にもしている。
そうした肉食獣じゃないと、入り込めない場所もあるってこと。
馬や牛、大型の山羊類に鳥だと、奥地に入ると食われるか病気で死ぬ。
それにそうした生き物は、別に騎獣じゃなくても利用価値はあるし、貴重でしょ。
なら、そこらへん中にいて、手に入りやすい奴で、食えない奴を利用することになる。
そして交易地のア・メルンには、その肉食獣用の飼料がそこそこあるんだ。
基本は家畜の骨や食わない部分を砕いた物に穀物が混ぜられている。貝殻が入っていたり、食べる生き物の種類で中身が変わる。
でも、それを何でもいいからと、このお犬様に与える訳にはいかない。
預かりものだし、仲間だもの。
お肉の割合が多くて、穀物の種類がちゃんとわかる奴を探す。
アルラホテの倉庫街から強奪だね。
もう、最近、山賊。
倉庫の中でも、飼料の積み上がる所は、調べてある。
お店の方が尽きたら、こっちからと思っていたからね。
だから、特殊な騎獣の飼料を探しに入り込む。
灰色も茶色も二匹になって嬉しいのか、ずっと駆け回っている。
考えてみたら、ア・メルンに肉食の騎獣がいなくて良かったと思う。
兵舎に大きな爬虫類型の奴がいたら、餌をあげるだけで命がけだ。
それに制御が効かなくて街中に出てきたら、普通の家畜は食われて終わりだ。
そこまで考えて気がつく。
兵士の砂船がある。
騎獣は使わないが、ア・メルンは歩兵と砂船の飛行兵だ。
砂船は、城側だ。
小型の砂船。
誰か操縦できたら、外に行ける。
誰かね。
犬に良さげな餌を発見する。
大きな袋で運べそうもない。
倉庫の荷車に引っ張り上げて力尽きた。
小分けにして、運んだほうが目立たないよね。
仕方なく、倉庫の事務所らしき所に走る。
犬達は味見。
背負袋を発見したので、それにザクザク詰め替える。
結構な数になった。
今日はそのうちの二つを犬の胴に振り分けて乗せる。
運ぶの手伝って、よし。
私が一つで、合計五つ。
それを教会に運び込んだ。
で、終了、夕方だ。
夕暮れの空に、竪琴の音が始まる。
あぁ今日も終わったね、生きてたね。
夕飯を終える。今日は霊廟だ。
食後の林檎を馬も含めて食べる。
これも上に少し持っていこう。
さて、早く寝るぞ、時計の螺子も巻いて。
お休みなさい、笛のひと。
***
どうしてこんな事になったんだろう。
私達は知らなかった。
皆、知らなかった。
本当の事っていうけれど、私には、どれが本当かわからない。
けど、ひと目見て、私達はわかった。
あぁそうだ、あの笑顔。
そっくりじゃない?
二人共、無邪気によろこんだ。
あぁなんだ、そうだったのかって。
そうしたら、こんな事に。
あぁ、これは夢だ。
誰かの、もしかしたら海の向こうの海の底で
誰かが、見ている夢なんだ。
なのに、繰り返しみてしまう。
あぁ誰か、助けて、助けて
***
今日は茶色の毛皮に涎をたらしていたようだ。
お返しに髪の毛をカミカミされた。
お互いに、うわークサってなった。
霊廟の小さな流れで洗う。罰当たりかな、でもくさい。
ごめん、茶色、お前、すこし牙の掃除しないと。
歯磨き用の布を持ち出したら、逃げ出した。
代わりに灰色の牙を掃除した。
すんごい、嫌な顔。
それでもご褒美に、骨を進呈。
冷凍されてた肉付きの骨だね。
神殿の保存庫、どんだけあるんだろう。
たぶん、寄進もあるんだろうね。
灰色が肉をアギアギしているのを見て、逃げてた茶色が戻って来た。
口を開けろい。
骨進呈。
今日は動物たちの寝床を見回る。
掃除や藁替えに、餌がなければ補充。
そして何か被害が出ていないかを昼までに確認。
そして午後は食料運搬して、公園まわりの家と、できれば城の前階段と門を見に行きたい。
カラッと晴れた空に、何となく気持ちを沈ませて思う。
何だか、最近、寝ると疲れるのだ。
緊張がずっと続いているからか、眠りが浅いからかな。
まぁ考えてもしかたがない。
病気にならないように、食事もきちんとるぞーとか言いながら、犬達と朝食。
それから急いで各動物たちの集まっている所へ走った。
お昼頃には上に向かう事ができた。
犬達には自分たちの食べ物を運んでもらい、私は自分の分を運んだ。
一晩たっても、公園の奥の様子は、見た限り変化は無い。そして中への侵入者もいないようだ。
荷物を運び込んだら、近所の探索の続き。
と、思っていた。
だが、烏がやけに多く、屋敷を見て回ると騒がしい。
下の餌場に行く様子もなく、何故か、公園のまわりの家々にいた。
烏が下の餌場に気がついていないのか、別の理由があるのかわからない。だが、下に行かないで良かったと思う。
烏が下に行って、小動物達や愛玩の動物の居場所にむかったら大変だ。
烏に占領されて、本来の給餌がうまく行かないのが一番困る。しかし、集まった烏は、この公園でさえ近寄らない。
それを単純に喜ぶ話、とは言えないが。
セルナトの探索は、道の把握だけできている。
砂の柱と、曇りの日の影。
この二つで、積極的にお屋敷群の中に入る気持ちがわかなかった。
色々言い訳があるけど、要は、怖い。
でも、公園の隠れ場所があるし、もう、城の方へと入り込む場所を探してもいいかな。と、軟弱な感じ。
それでも自分の装備を確かめて、ある程度の予定を組んでみた。
靴は脱げたり壊れたりしないように、履き慣れた物を点検。
脚絆で足を巻いて服が引っかからない用意する。
上は胴体を布で巻く。
これは物が当たった時に少しでも助かるように。
私は小さいから、防具が付けられないし、重いのも動けないからね。
そして手甲だけは金属板の物を巻いた。
首も金属板が貼られた皮。
頭も金属板の縫い取りがされた鉢金。
武装しているみたいだけど、これ、砂を掘る時の作業着。
ア・メルンの西側は、砂の侵食が年々増していた。
そこで年に数度、流浪民から人を集い、砂堀が行われる。
砂漠方向に杭打ちと、堀を何層にも作るんだ。
砂が多くなれば、地下下水道にも入り込む量が増えるからね。仕事としては割に合わない手間賃だけど、皆、なるべく作業に加わるんだ。
砂はただ吸い込んでも、目に入っても毒だ。
疵になって体を傷つける。
だから、早めの対処で、この砂堀がある。
手袋も網目の詰まった金属が編まれているし、ここに顔を覆う布と中の当て物で縛る。
暑い中の作業で、一人数時間もできない。
私はやっぱり体の作りが南の人間だからね。
重宝されていたんだ。
砂堀の作業着は、防御に優れている。それに動き回って隠れたりするには、砂よけの覆いより、こうした巻きつける服のほうが良いだろう。
荷物は最小限で、背負うのは止めた。
隙間や潜り込んで回るなら、服に隠せるぐらいでいいや。
何だか、山賊というか盗賊だ。
素早く行って、素早く帰る。
目標は、あの尖塔の前庭。
きっと笛の主がいる。
この状況を教えてくれるはず。
そこまで考えて、顔を手で隠した。
あぁ駄目だ、これは駄目だ。
だいたい良くない流れの時って、期待してる時だ。
たどり着いて解決できるなら、笛の人はさっさと移動してるだろう。
それが夜だけ楽器を奏でてる。
軟禁されているか、もっと悪い状況かもしれない。
私のほうが、自由で動き回れている。
はいはい、反省。
さぁ気分を切り替えて、残り日没まで、城の前階段に行って見よう。
城の正面には内壁と門がある。
そこまでは大きな階段があって、両脇に等間隔に像が置かれていた。
振り返れば、セルナト、アルラホテと下に街が広がる。
それを分ける壁や緑、更にア・メルンの外殻壁。物見の塔が色んな方向にあって、遠くこの土地の全てが視界にある。
風の音が強くて、胸が何故か詰まった。
本当なら、西側の船着き場に、圧倒される大きな船船が浮かび、この城塞は人々と物で溢れて見えるのだ。
私は水売りとして雑踏を駆け回り、明日への夢を膨らませる。
あぁ、なぜ、こんなに怖いのだろう。
不安に押しつぶされそうで息苦しい。
灰色と茶色は、そんな感傷を吹き飛ばすと階段を登りだした。
私も上を目指す。
壁の物見から見たのは、この内壁の向こう側だ。
今のところ太陽に焼かれているので、それほどここでは警戒はしていない。
犬は、閉じた門のところで座り込んだ。
どこから入る?
使用人の通用門は、番兵の格子がある方向か?
他のところでもそうしたように、門の格子を無理やりくぐる。
小さな姿が役に立つ。
ぐりぐりと体を押し込んで、番兵の建物にたどり着く。そこにも小さな小窓があったので、腕をグイグイいれて内鍵を開けた。
誰もいないからできる話である。
そして兵士のいる建物に入り込んでみると、そこここに黒い塊があった。
一抱えほどの焼けた炭状の何かだ。
匂いは無い。
ただ、焼け解けた金属も一緒だったので、それが何かはすぐにわかる。
壁から見えた点在する黒い塊は、これか。
犬を入れるべく通用口に鍵を探しながら、私は考え込んだ。
化け物以外で、誰かが戦った痕跡だ。
砂柱ほどの衝撃は無い。
この消し炭にするのは、南部の兵隊がよくやるのだ。
死体を焼く。
ホルホソロルの客人の仲間が、ここで戦った。
少なくとも、砂柱のような超常の事ではなかった。
まぁ、それがわかっても、誰も幸せになれるわけではない。