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仕事納めの鍋焼きうどん

作者: 仲山凜太郎

 2020年も終わろうとしている12月30日。私にとっては仕事納めだ。

 今年はコロナの影響で会社の利益が下がり、社長が「使える補助金、助成金は全部使う!」と連日、銀行の人と会う中、私も給料が下がり手術のために入院したりと慌ただしい1年だった。

 そして今年の仕事を何とか終えた私は、昼過ぎに会社を出ると(仕事納めは午前で終わる)、毎年この日の儀式というか、マイルールに従い、会社近くのめったに入らないそば屋に行く。

 こぢんまりした店内は奥に座敷、手前にテーブル席が手狭に並んでいる。もちろんテーブルの間にはアクリル板が立ち、出入り口には消毒液が置かれている。

 一番手前のテーブルには自由に読める新聞。見上げれば店の隅に小さなテレビが置かれている。年末なので、流れているのは人気ドラマの一気放送かバラエティの特番だ。この手の店に流れるものとしてはB級ワイドショーが似合うと思うのだが。

 コロナ対策をのぞけば、いかにも的な昭和のそば屋である。

 私は毎年、仕事納めの後の食事はここの鍋焼きうどんと決めている。

「鍋焼きうどん、大盛りで」

 店のおばちゃんに注文する。ここの店は大盛り無料である。


 鍋焼きうどんは、私にとって特別な食べ物になっている。値段が高いせいもあるが、実家の影響も大きい。私の実家では、何か特別なことがあった日。しかし、大げさにお祝いするほどでもないという日には必ずと言って良いほど家族そろって鍋焼きうどんを食べた。

 出前で運ばれてくる鍋焼きうどんは、どんぶりではなく土鍋に入って、いかにも「他のうどんとは違うんだぞ」という特別感に溢れていた。

 蓋を開けるとふわっと鰹だしのつゆの香りが広がり、表面には卵、エビ天、かまぼこ、人参、ほうれん草ときれいに盛られ、その隙間からつゆの染みたうどんがチラチラ見える。

 正に思い出の特別食だ。風邪の時ですら食べさせてはもらえなかった。ちなみに、風邪の時には卵とじうどんが定番だった。

 実は、私は冬になると鍋焼きうどんの食べ歩きをしていた時期がある。ネットでの有名店めぐりではない。自宅や会社の駅から2つほどの範囲だ。大通りや商店街等を歩き、目に付いたそば屋で鍋焼きうどんを食べる。

 最初はそれほど大きな差はないだろうと考えていたが、意外と店ごとの特色があって楽しめた。いれる具材1つ取っても違う。

 青物がほうれん草だったり小松菜だったり、

 卵も生卵ではなく厚焼き卵を3つほどに切ったものだったり、

 肉が入っていたりいなかったり、

 葱が青ネギだったり白ネギだったり、ぶつ切りで入っていたり、薬味として添えられるだけだったり、

 かまぼこや椎茸の切り口が店ごとに違っていたり、

 ごはんが付いたり付かなかったり。

 器も土鍋だったり鉄鍋だったり。

 まったく同じものというものは1つも無かった。奥が深いぞ鍋焼きうどん。


 店で食べる鍋焼きうどん。具材の隙間からポコポコ泡が立っている時がある。いかにも今の今まで火にかけられていましたという感じだ。さすがにこれは出前では見られない。このポコポコが私をウキウキさせる。1年の疲れが払われるようだ。

 この店の鍋焼きうどんには肉が入っていない。その代わり麩が入っている。つゆをたっぷり吸い込んだ麩で口慣らし。鍋焼きうどんのつゆは、様々な具材の旨みが混在しているせいか、尖ったところがなく、柔らかい旨みに溢れている。

 つゆが染みて色の付いたうどんをすすり込む。私はそば派だが、疲れたとき体にはそばよりもうどんの喉ごしの方が心地よい。

 麺の隙間から、赤い渦巻き模様が顔を出す。なるとが入っているのだ。

 味覚に刺激が欲しくなれば椎茸をかじる。鍋焼きうどんの具の中では椎茸の旨みはパンチが効いている。

 鍋焼きうどんの中央よりややズレた感じで鎮座しているのが卵だ。半ば蒸し焼きにされた半熟状態。この卵の食べ方は人によってこだわりがあるだろう。

 ある程度食べ進んだ後、黄身を崩してその甘みで汁気の味をまろやかにする。卵が溶け込んだ汁の美味さは絶妙である。そのまま黄身の絡んだ麺をすする幸福感は他のものには変えがたい。私は子供の頃、こうして食べていた。

 もう1つの食べ方は、ある程度食べた後、卵を箸ですくい、まるごと口の中に放り込む。軽く歯を立てると半熟の黄身は割れ、卵の甘みが口の中いっぱいに広がっていく。黄身ひとしずくすら残さない。黄身の全てを1度に味わう贅沢な食べ方。今、私はこの食べ方を採用している。理由は以前、カレーの食べ方でも書いたが、黄身を崩して汁と混ぜることで、残りがすべて同じ味に染まってしまうからだ。そしてもうひとつ、これは後で記す。

 そしてエビ天。一般においてやはり鍋焼きうどんにエビ天はつきもの。今まで食べ歩いた中でも、エビ天のない鍋焼きうどんはなかった。エビ天があるかないかで、見た目の豪華さがまるで違う。海老の旨みもおとなしめの具材が多い中、椎茸と並んで強く主張している。鍋焼きうどんにおいて、うどんと並ぶ主役と言って良い。

 だが、私は鍋焼きうどんにおいて、エビ天はそれほど重視していない。無くても気にならないぐらいだ。理由は単純で、単に「私はそんなにエビが好きじゃない」だけだったりする。ちなみに、私は天ぷらのタネで1番好きなのはちくわである。ちくわの磯辺揚げは美味いぞ。

 そしてこの店の鍋焼きうどんの特徴のひとつ(と私は思っているの)に私の箸は向かう。

「伊達巻」

 年末になるとおせち売り場に並ぶ、あのカステラと卵焼きのあいのこみたいなのをロール状にしたアレだ。ここの鍋焼きうどんにはこれが入っている。

 最初はなんだこりゃと思ったが、実際に食べてみると……口の中がちょっと塩辛くなっているときの口休めにちょうど良い。パフェのウエハース、ぜんざいの塩昆布のようなもの。十分アリだぞ、鍋焼きの伊達巻。

 そう、先に書いた私が卵を口の中に閉じ込めて味わうのを採用した理由は、伊達巻きが入っているからだ。伊達巻きの卵と半熟卵の味が混ざって、何か、微妙な味になってしまうからだ。

 麺と具を食べ終わると、汁もほとんど無くなる。絶妙の量加減である。ちなみに、先に述べたごはんが付く鍋焼きうどんは汁の量が多めで、麺を食べ終えた後、ごはんを投入するのにちょうど良い具合だった。何気ないプロの技である。

 鍋焼きうどんを食べ終えると、不思議な幸福感に包まれる。他のうどんでは感じられない、鍋焼きうどんの魔力である。

 世間のコロナ騒ぎをふと忘れてしまう。

 しかし、出入り口にある消毒液は私を容赦なく現実に引きずり戻す。だが良いじゃないか。おいしいごはんを食べて、満腹になったとき、ほんのわずかに浮世を忘れるぐらい。


「ありがとうございます。よいお年を」

 店のおばさんの声を受けて外に出る。一年の疲れを癒した体で私は帰路につく。

 いろいろあったが、最後に美味しい思いが出来た。

 つらい中にも幸せはある。

 美味しいものを食べるのはその最たるものだ。ごはんが美味しければ、どんな辛さにも耐えられる。


 みなさんも良いお年を。


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