ヘンリーの初恋 イリス&ヘンリーの幼少期
「残念の宝庫」の「ヘンリーのデート」、「ヘンリーの幸運」の後のお話です。
「あらヘンリー。イリスとデートできたの?」
イリスとカフェに行き街をぶらぶらして帰宅すると、姉のカロリーナとちょうど鉢合わせた。
「ああ。カフェで人気の、どんぐりの形のケーキを食べに行ったよ」
てっきりからかわれるのかと思えば、カロリーナは何か納得してうなずいている。
「イリス、小さい頃からどんぐりが好きだものね」
「……そうなのか?」
それは知らなかった。
てっきり、人気だから食べてみたかったのだとばかり思っていた。
「ヘンリーが次期当主に決まる前くらいに、子供連れのお茶会があってね。私はそこでイリスに初めて会ったんだけど。どんぐりをどんぐりの形に並べていて、クオリティが高くてびっくりしたのを覚えているわ」
「へえ。昔から、妙なことをしていたんだな」
どんぐりを並べるだけなら子供らしいが、何故どんぐり型にしなければいけなかったのだろう。
「ヘンリーも一緒に行ったのよ?」
「そうなのか?」
「まあ、あんたは男の子達と木の枝で剣術ごっこしてたものね。残念ね。幼少期のイリスも可愛かったわよ」
カロリーナは笑いながら、部屋へと戻っていく。
その頃には自分だって子供だろうと思ったが、二歳の年の差は大きい。
小さい頃のイリスに興味があるわけではないが、会うことができたかもしれないというのは、何だか悔しかった。
「まあ、その時に会っていても、別に何もないだろうけど」
ただの子供同士の遊び相手になるくらいだ。
記憶にも残らないだろう。
何せ、剣術ごっことやらをしていた覚えだって、ヘンリーにはまったくないのだから。
自室に戻ると、紅茶を淹れて一息つく。
「イリスは、どんぐりが好きなのか。……そう言えば、何か変な理屈を言っていたな。どんぐりと殻斗は仲が良いと力が出る、だったか」
とりあえず、意味がわからない。
どんぐりと殻斗の仲が良いか悪いかをどう見極めるのかわからないし、何の力が出るのかもわからない。
どこから出て来た話なのかは不明だが、イリスなので仕方がないと諦める。
「……待てよ。そんな話を、どこかで聞いたような……」
紅茶を口にしながら、記憶を探る。
確かあれは次期当主になる前の、五歳くらいのことだったと思う。
********
「ヘンリー、ちょっと来なさい」
母ファティマに呼び出されたヘンリーは木の枝を持ったまま走った。
「はい、お母さん。何ですか」
ファティマに連れられて来たどこかの家の庭で、ヘンリーは男の子達と遊んでいた。
最初は置いてあった絵本を一緒に見ていたのだが、そんなものはすぐに飽きてしまう。
数人の男の子で木の枝を持って剣術ごっこをして遊んでいたのだ。
「おまえは、やめておきなさい」
そう言ってファティマは木の枝を取り上げると、ヘンリーの肩に手を置いた。
「どうしてですか、皆で遊んでいたのに」
「――ヘンリー。木の枝でだって、人は殺せるのよ」
ファティマの言葉に、同じテーブルで紅茶を飲んでいた女性達が顔色を変える。
「……間違えたわ。怪我をしたら、危ないでしょう?」
「でも」
「もう少しで帰るわ。家でなら、いくらでも枝を振り回して遊んで良いから。今は駄目よ」
有無を言わせない笑顔に、ヘンリーはうなずく。
自分が子供なのはわかっていたし、ファティマがこう言う時にはどうしようもないことも知っていた。
庭には十五人ほどの子供達がいたが、カロリーナは女の子と人形遊びをしているし、男の子は剣術ごっこを続けている。
遊びたいのはやまやまだが、一緒に遊びようがない。
ヘンリーは頬を膨らませた。
数人の女の子がヘンリーを見つけてつきまとってきたが、楽しくなさそうなので走って離れる。
そのまま庭の奥へと入ると、大きな木の根元に座り込んでいる子供の姿があった。
後ろ姿からすると、女の子のようだ。
何をしているのかと近付いてみると、彼女の足元には沢山のどんぐりが並んでいる。
どんぐりを集めているのかと思ったのだが、何やら順番にどんぐりを手に取っては試行錯誤している。
「ねえ、何をしているの?」
ヘンリーは気になって声をかけてみた。
すると、明るい黄色のスカートの女の子が振り返った。
黒い髪に金色の瞳。
カロリーナと同じ色合いに親近感が湧く。
それに綺麗な顔で、カロリーナが大事にしているお人形みたいだと思った。
――こんなに可愛い女の子、初めて見たかもしれない。
何だかちょっと、ドキドキした。
「なあに?」
どんぐりを持ったまま首を傾げる女の子に、ヘンリーは慌てて口を開く。
「どんぐり、集めてるの?」
「違うわ。かくとを合わせているの」
「……かくと?」
見れば、女の子はどんぐりに帽子をかぶせては外し、違う帽子に変えている。
どうやら『かくと』というのは、どんぐりの帽子のことのようだ。
どういう基準なのかはわからないが、どんぐりの帽子を合わせては並べているらしかった。
「それ、楽しいの?」
「そうでもないわ。なかなか合わないの」
「バラバラじゃ駄目なの?」
「駄目よ。どんぐりとかくとは仲良しなのよ」
何だか得意気に言うところを見ると、この女の子が『かくと』という言葉を覚えたのは最近のようだ。
難しい言葉を使って真剣に語る様子が可愛らしい。
何だか気になって隣に座って見守っていると、女の子が頬を膨らませる。
「見ているなら、手伝って。大変なんだから」
促されて手伝い始めるが、そもそもの正解がわからない。
それでもどうにかどんぐりに帽子をかぶせ続け、三十個ほどのどんぐりが帽子付きで並んだ。
「やったわ。いっぱいできたわ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ度に、黄色のスカートが揺れる。
スカートなんて動きにくそうだとしか思わなかったが、この女の子が着ていると何だか可愛い気がしてきた。
すると、女の子はどんぐりを手にして、真上に向かって放り投げた。
「――ええ?」
驚くヘンリーの目の前で、苦心して組み合わせたどんぐりと帽子が惜しげもなく宙を舞う。
「せっかく揃えたのに、何してるの?」
「あれよ」
ヘンリーが問いかけると、女の子は頭上を指差した。
そこには、木の枝に引っかかったボールのようなものが見える。
「あれを落としたいの」
「それで、どんぐりを投げていたの?」
女の子はうなずいてボールを見上げる。
「そうしたら、『どんぐりは、かくとを付けて投げると、仲良しの力で良く飛ぶ』って教えてもらったのよ」
「えー……」
誰だ、そんな適当な話を教えたのは。
この女の子はそれを信じて、あんなに一生懸命どんぐりを組み合わせていたのか。
「わざわざそんなことをしなくても、直接取れば?」
見る限り、そこまで高い枝ではないし、取りに行った方が早そうだ。
大体、どんぐりでボールを落とす方が余程難しい。
「頑張ったけど、木に登れなかったの」
女の子はしゅんとうなだれて、落ち込んでいる。
見れば、手には小さな木の破片が棘のように刺さっているし、スカートも汚れている。
「……ちょっと、来て」
ヘンリーは女の子の手を取ると棘を抜き、スカートの汚れを叩き落とした。
棘抜きは最近教えてもらったのだが、役に立って良かった。
「俺が、取ってあげる」
そう言って木に登ると、ボールを取って下りる。
「ありがとう!」
ヘンリーには大したことではなかったが、ボールを渡された女の子は満面の笑みでお礼を言ってくれた。
その笑顔に、何だか幸せな気持ちが湧いてくる。
もっとこの女の子と遊んでいたかったが、ファティマはそろそろ帰ると言っていた。
最近習った『名残惜しい』というのは、今のヘンリーにぴったりの言葉だと思う。
「ねえ。君の名前を教えて?」
女の子はきょとんとすると、首を振った。
「知らない人に名前を教えちゃ駄目って言われてるの」
「……そう」
確かにそうかもしれないが、ちょっと切ない。
ヘンリーが目に見えて落ち込むと、女の子はにこりと笑った。
「でも、手伝ってくれたから、一文字だけ教えてあげる」
一文字教えられたところで、どうしようもない。
だが、何だか嬉しくてヘンリーはうなずいた。
「イ、だよ」
「イ?」
「そう、イリスのイ!」
――ばっちり、教えているではないか。
この女の子は可愛いし、抜けているし、何だか心配になってきた。
ヘンリーも自分の名前を言おうとすると、遠くから『イリス』を呼ぶ声が聞こえる。
「お母様だわ。それじゃ、またね」
そう言って走る後ろ姿を、ヘンリーはずっと眺めていた。
********
ヘンリーは思わず赤面した。
あれはたぶん、イリスだ。
顔立ちも色彩も、イリスそのもので間違いない。
「あんな昔に会っていたのか」
ヘンリーすら忘れていたし、イリスの方はヘンリーの名前も知らないからわからないだろう。
「……俺、昔からイリスが気になってたんだな」
というか、イリスは小さい頃から、何だか妙なことを真剣にやっていたのだ。
「――変わらないな」
そして、ヘンリーの気持ちも変わらない。
今でも、あの珍妙な行動ばかりする残念な少女のことが、気になって仕方がないのだから。