ドロレスの魚の餌 ドロレスとロベルトの若い頃 1
ヘンリーの祖父母、モレノ侯爵家先代当主夫妻の若い頃のお話。
「残念令嬢」本編第二章に出てくる、行動の凍結のゴタゴタです。
第二章番外編「ヘンリーの落胆」に少し様子が書かれています。
「ドロレス・シルバ。俺と結婚してほしい」
紫色の瞳にまっすぐに見つめられ、ドロレスの胸は早鐘を打った。
ロベルト・モレノ侯爵令息と親しくなって、数ヶ月。
まさかこんなことになるとは。
驚きはするが、同時に嬉しい気持ちが心に満ちていく。
いつもならさっさと返答するドロレスも、さすがに言葉に詰まった。
自分にも乙女心があったのかと、少し感動さえ覚える。
「……少し、待ってくれる?」
「ああ」
優しい微笑みに、それだけで幸せだった。
――幸せ……だった。
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「釣った魚に餌をやらないって言葉があるじゃない」
ドロレスはため息をつくと、侍女に語りかける。
何度も同じような話を聞かされる侍女も大変だとは思うが、ドロレスの方が不憫なのでここはじっと耐えてもらいたい。
「でも、釣る前に餌を与えなくなるなんてこと、あっていいの?」
釣った後に満足して飽きるというのなら、百歩譲って理解できなくもない。
だが、まだ釣ってもいないものに興味がなくなるとは、何と酷い飽きっぽさだ。
「男なんだから、せめてきちんと釣り上げなさいよ。それが嫌なら、最初から釣ろうとするんじゃないわよ」
苛立ちをクッキーにぶつけるべく口に放り込むと、勢いよく咀嚼する。
侍女は困った様子で紅茶を淹れると、ドロレスに差し出す。
檸檬入りの紅茶は好きだが、心が荒んでいるのでちっとも美味しく感じない。
それもこれも、全部ロベルトのせいだ。
紫色の瞳の美少年を思い出すと、それを消すように首を振った。
「ということは、今日もお返事をいただけなかったのですね」
「返事をしているのはこちらのはずなんだけどね」
ドロレスはロベルトにプロポーズされた。
そこは少なくとも間違いないと思う。
二人きりで、手を取って、見つめ合って『結婚してほしい』と言われた。
これがプロポーズではないというのなら、何がプロポーズなのかというプロポーズぶりだ。
ドキドキしてすぐに返答できなかったドロレスは、翌日にあらためてロベルトに返事をした。
これで晴れて婚約するのかと思うと、恥ずかしいけれど嬉しい。
だが、ロベルトは何も言わなかった。
肯定も否定もせず、ただ困ったようにじっと黙っていた。
最初は照れているのだろうと思っていた。
ドロレスだって恥ずかしいし、気持ちはわからないでもない。
それでも、ロベルトの気持ちを疑うようなことはなかった。
つい昨日、結婚を申し込まれたばかりで、ドロレスも浮足立っていたのだ。
その翌日、さすがに心も落ち着いてきたので、もう一度返事を伝えた。
だが、それでもロベルトは何も言わなかった。
なんという恥ずかしがり屋だろう。
この様子からすると、プロポーズは相当な勇気を振り絞って言ったに違いない。
……この時点でもまだ、ドロレスはロベルトを信じていた。
だが、さすがに同様のことが一週間も続けばおかしいなと気付き始める。
甘酸っぱい乙女な展開に浸るのかと思っていたのに、何という残念な状態だ。
大好きなのに味がしない紅茶を口にすると、大きなため息をつく。
「……こうなったら、強硬手段よ」
色々と思うところはあるけれど、まずは宙ぶらりんのプロポーズにけじめをつけたい。
ドロレスは残りの紅茶を一気に飲み干すと、そのまま部屋を出た。
もはや連日通い詰めているといっても過言ではないモレノ侯爵邸に到着すると、通された部屋で待つことしばし。
廊下を走ってくる足音が聞こえたと思うと、扉が勢いよく開かれた。
「――ドロレス!」
「こんにちは、ロベルト」
ドロレスの顔を見ると、紫色の瞳が幸せそうに細められる。
この顔を見ると、何だか怒るに怒れなくなって一週間。
今日はほだされないと決めていたはずなのに、やはり心が揺らぐ。
自分を戒めようと拳を握り締めると、正面に座るロベルトを見据えた。
「今日も例のお話なんだけど」
切り出した途端に、ロベルトの顔がこわばる。
プロポーズの返事という甘々な話題とは、到底思えない怯え方だ。
「何で返事を返してくれないのかわからないけど、私も考えたわ。もう言葉はいらないから、とりあえずうなずいて」
「え?」
これ以上ないほどの譲歩に、自分でも涙が出そうだ。
プロポーズしたのはどちらなのか、最早わからない。
「ロベルトからのプロポーズ、受けるわ。それでいいなら、うなずいて。嫌なら、首を振って」
恥ずかしくて言葉にできないというのなら、動作で答えられるようにしてみた。
男として、この先侯爵になる人間としてどうかとは思うが、まずはここを乗り越えてからだ。
さっさとうなずけと睨みながら、ドロレスは反応を待った。
だが、ロベルトは顔色を青くして、うなずくでもなく、首を振るでもない。
ただ、困った顔でこちらを見つめている。
「……これでも、駄目?」
うなずくだけだ。
子供にだってできる、簡単な動作だ。
それすらもできないというのなら、それには理由があるのだろう。
今まで、ロベルトは恥ずかしがっているのだと思っていた。
だが、もしかして違うのだろうか。
うなずかないということは、ドロレスとの結婚を承諾しないということだ。
プロポーズしておいてどういうことだとは思うが、事情が変わったのかもしれない。
……結婚、したくなくなったのかもしれない。
それに気が付いて、心の中にすっと冷たい風が吹き抜けた。
握りしめていた拳から、力が抜ける。
ソファーから立ち上がると、そのまま扉に手をかけた。
「ドロレス?」
「……もう、いい」
部屋から出ると、そのまま走って馬車に飛び乗る。
ロベルトが何か言っていたが、聞きたくない。
両手で耳をふさいだままのドロレスを乗せた馬車は、モレノ邸を後にした。
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