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ベアトリスの懐古  悪役令嬢のお茶会

本編第三章のはじめ頃のお話です。

「本当に久しぶりですね」

 しみじみとベアトリスは呟いた。


 乙女ゲーム『碧眼の乙女』の悪役令嬢とわかったあの日から、忙しく日々を過ごした。

 カロリーナは隣国にいたし、ダニエラも修道院に入っていた。

 一番の懸念だった四作目も、イリスは残念で応戦して無事に生き延びた。


 ようやく全員で会えたのだが、こうして四人が勢ぞろいするのは何年ぶりだろう。

 嬉しい気持ちを隠せず、口元が綻ぶ。


 ここ数日晴天が続いたおかげで、ベアトリスも外出ができる。

 せっかくだからと、今日はアラーナ邸に集まっていた。




「いらないソファーがあったら欲しい、って持って行ったけど。あれ、どうしたの?」

「残念な休憩所に使ったわ」

 笑顔のイリスの答えに、カロリーナが首を傾げている。

『碧眼の乙女』との戦いを残念で乗り切ったイリスは、未だに残念道を貫いているらしい。


「残念な、休憩所?」

「……でも、不評だったの。仕方ないから、検討し直すわ」

「そう。……ヘンリーも、大変ね」

 カロリーナは苦笑するが、イリスは真剣だ。

 四人の中で最年少の彼女は、いつでも妙な方向に真剣だった。



 残念な休憩所というのが何なのかはわからないが、今日のイリスは残念なドレスだ。

 茶色の生地が幾重にも複雑に重なるというと聞こえは良いが、それにしても重ねすぎだ。

 生地のせいで丸みを帯びたその姿は、要は蓑虫状態。

 布の端を切りっぱなしにしてあるおかげで、イリスの足元には糸くずが落ちている。


 だが、それよりも目を引くのは正面に大きく入ったスリットだ。

 イリスが動くたびにチラチラと脚が見えるのだが、白い肌が艶めかしい。

 足首には蓑虫の生地でアンクレットのようなものをつけているのだが、滑稽と色気のバランスがおかしい。


 まさに、残念でしかない。



「……それにしても。そのドレスはちょっと、刺激的なのではありませんか? その。色んな意味で」

「そうね。これ、ヘンリーが見たら喜ぶ……いえ、びっくりするんじゃない?」

「そう?」

 イリスは立ち上がって、自身のドレスをしげしげと見つめている。

 立って動いてみると、思いの外スリットが深いことがわかる。

 あわや太腿が見えそうなのだが、これはどうなのだろう。


「この世界にしては、足を出し過ぎじゃない? ここでは良いけど、そのまま出かけるのはやめた方が良いわよ?」

「そうね。イリスがそれだと、ヘンリーも虫退治に力が入る……いえ、心配するんじゃないかしら」

「虫?」

「いいのいいの。気にしないで」


「このドレスは男性には好ましくないってこと?」

「好み過ぎて、良くないわ」

「……難しいのね。蓑虫の羽化を表現したんだけど、皆がそう言うならやめておくわ」


 一応、理由があってのスリットだったらしい。

 というか、そもそも蓑虫がモチーフのドレスを、妙齢の令嬢が着るのがおかしい。

 残念というものは、ベアトリスには難しい概念のようだ。



「そう言えば、ヘンリー君とは結局どうなったの?」

「婚約する方向よ」

「あら、良かった。本当に、ヘンリー君は大変ね。カロリーナもそろそろ婚約でしょう?」

「ええ」


「まさか、カロリーナが四作目の隠しキャラとそんなことになるとはねえ」

「私だって驚いているわよ」

 カロリーナが婚約予定のシーロは、四作目の隠しキャラであり、シーロ・ナリスというこの国の第三王子だった。

 そして、一作目のヒロインであるクララが執着していた相手だ。


「カロリーナがシーロ殿下と恋人じゃなかったら、私の所に手伝いになんて来なかったでしょうね。そうすると『碧眼の首飾り』も手元にないから、クララさんに刺されていたかもしれないわね」

 イリスが呑気に恐ろしいことを口にする。

 彼女だけは本当に差し迫って命の危険があったのだという現実を、垣間見た気がした。


「その時には、ヘンリーがどうにかしたわよ」

「……そうね」

「あら。ラブラブね」

「そういう意味じゃないわ」


 ダニエラにからかわれて、イリスが苦笑する。

 ヘンリーはカロリーナの弟だ。

 伯爵令嬢であるダニエラは知らないだろうが、彼は王家直属の諜報機関モレノ侯爵家の次期当主。

 その剣の腕前は一流だと言うから、何かあればイリスを守るために剣を振るっただろう。


「クララにとっては、『碧眼の首飾り』は命の恩人よね」

「え? イリスにとって、じゃないの?」

「あ、ええと。……そうそう。間違えたわ」

 慌てて訂正すると、カロリーナはお菓子を手に取って口に放り込む。

 ダニエラが訝し気に見ていることだし、ここは助け舟を出してあげよう。


「そのクララは、遠方の修道院だそうですね」

「ギリギリ殺人はしていないけれど、各種やらかしているからね。特に()()()()と王子の婚約を邪魔して、無実の令嬢の名誉を貶めたのが効いているみたいよ」

「なるほど」


『碧眼の乙女』への介入で被害を被ったのはベアトリスだけではない。

 だが、公爵令嬢という高い身分からの罪の追及が効果的だと、ベアトリスは知っている。

 公爵令嬢としての責務を全うすることを邪魔したのだから、公爵家に喧嘩を売ったも同然だ。

 貴族に養子に入ったとはいえ、侯爵令嬢でしかないクララが敵に回して良い相手ではない。



「……それにしても、二人共婚約か。いいわね。春ねえ」

「そう言うダニエラはどうなの?」

「修道院から戻って以来、縁談ばかり持ってこられているわ。……でも、いまいちなのよね。もっと仕事に情熱を持って、一見爽やかなのに腹黒い野心があるくらいじゃないと、つまらないわ」


「随分と細かいわね。誰か心当たりがいるの?」

「え? そ、そんなこと。……何を笑っているの、ベアトリス?」

「皆で会えて嬉しいんです。『碧眼の乙女』に関わる前に戻ったみたいですね。あの頃は楽しくて。……あのまま、ずっと変わらないと思っていたのですが」


「……未練?」

 カロリーナに痛いところを突かれ、ベアトリスは力なく笑う。

 ベアトリスに次ぐ年長者なだけあって、カロリーナは敏い。

 もしかすると、これもモレノの教育の賜物なのかもしれない。

「いいえ。ただの懐古の情ですよ。覆水盆に返らず、です」




 そこに、イリスの侍女がお菓子を運んで来た。

 可愛らしい皿に盛られたそれは、甘い良い香りを漂わせていたが、その姿を見てイリス以外の三人は思わず固まった。


「……イリス。これ、何?」

「――残念なお菓子よ!」

 ダニエラが恐る恐る尋ねると、イリスが輝く笑顔で答えてくれた。

 だが、結局よくわからない。


「こっちが、バターの海で溺れたクッキー。こっちは、バターの波に揺られたケーキよ」

「……結局、何なの、これ」


 イリスの説明によると、残念のために体に肉をつけるべく編み出されたお菓子らしい。

 バターの海で溺れたというが、こんがりキツネ色に揚がっている。

 クッキーとは焼き菓子のはずなので、正確に言えばこれはクッキーですらない。

 ケーキの方はバターによる浸水被害が深刻で、濡れ煎餅ならぬ濡れケーキ状態だ。

 フォークを指すと出汁の染みた高野豆腐のように、バターが溢れてくる。



「また残念を頑張っているところだから、お菓子も残念にしてみたの。どうかしら?」

「どう、って……。『碧眼の乙女』は終わったのに、何のために残念なの?」

 ダニエラのもっともな質問に、イリスは言葉に詰まる。


「必要だからよ」

「……そうですか」

 残念が必要な事態というものが、ベアトリスにはよくわからない。

 ほかの二人も首を傾げているので、たぶん同じだろう。


「新しいことって大変だけど、それまでにないものを得られるわ。でも、昔のものを捨てるわけじゃない。温故知新と言うやつよ」

 それで生まれたのが、この濡れケーキということか。

 わかったような、わからないような。

 昔から、イリスは不思議なことをするが、妙に納得させられてしまう。


「確かに、新しいわ」

 苦笑しながら、ダニエラは濡れケーキをフォークでつついている。

「あら、意外とおいしいわよ。でも、毎日食べたら危険ね。脂肪の攻撃力が底なしだわ」

 カロリーナはそう言って、二口目の濡れケーキを頬張る。

「……そうですね。昔のものを捨てなくても、良いのですね」

 一口食べてみれば、口中にバターの香りが広がって、なかなか美味しい。


「でもこれ、ケーキと言っていいのでしょうか」

 すると、イリスが満面の笑みで胸を張って答えた。



「――ええ、残念なケーキよ」


 その言葉に三人は顔を見合わせて、笑った。

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