パブロの戦場 男装夜会の裏側 4
ついに男装夜会もクライマックス!
さあ、頭を空っぽにする時は今です!
――何という、恐ろしいことをしてくれるのだ。
パブロの背中を悪寒が走り抜けた。
二人は婚約者同士だというし、仲睦まじいのはいいことだ。
だがしかし、時と場所と格好を選んでもらわなければ、死傷者が出る。
案の定、招待客達がバタバタと倒れ始めた。
オルティス公爵夫人とバルレート公爵令嬢のダンスからずっと蓄積されたものが、ついに決壊し始めたのだ。
キスされたアラーナ伯爵令嬢は顔を赤く染めて、ふるふると震えている。
年上美女にキスされて動揺する初々しい美少年にしか見えないし、正直パブロの胸も高鳴りっぱなしである。
そういう趣味はないはずなのに、どうしてくれるのだ。
これがお嬢様の言っていた禁断の扉というやつなのだろうか。
「会場ではわたくしを離さないでくださいませ、と申し上げたでしょう? いけませんわ、愛しい方」
モレノ侯爵令息は、明らかに周囲に聞こえるようにそう言うと、そのままアラーナ伯爵令嬢の手を引いて歩き出す。
その恥じらう姿に、なけなしの理性も木っ端微塵にされそうだ。
「ああ、駄目。年下美少年に嫉妬する美女なんて、そんな、もう……!」
「ごちそうさまです、ごちそうさまです!」
「……いい」
伯爵夫妻とお嬢様は手を取り合ったまま椅子に倒れ込んでいるが、とりあえず意識はあるので放置しよう。
それよりも会場で倒れている人数が恐ろしい。
完全に意識を失っている者、笑顔で呻いている者、鼻と口を押えてうつむく者、ただ茫然と口を開けて立っている者。
かろうじて意識のある者は、何故か縋るようにして骨付き肉を手にしている。
反応は様々だし、肉を持つことに何の意味があるのかよくわからないが、とにかく倒れた人を救護室に運ばせる。
「パブロさん、医者が足りません!」
「今更どうしようもないので、そこは気合いで乗り切ってください。とりあえず運び出すんです。元凶から離さなければ回復の見込みはありません!」
「男性も多数倒れているのですが、同じ部屋に寝かせるわけにはいきませんよね。急いで救護室を拡張します」
「軽症者は気付け薬でどうにかして、とりあえず重症者を優先に」
にわかに騒がしくなり、救護要員である使用人達は目が回る忙しさだ。
お嬢様の言うとおりに手配していても、この状況。
これで普通の夜会と同じ用意しかしていなかったらと思うと、ぞっとする。
それにしても、何故男性まで倒れているのだ。
コルセットを締め上げた女性が気分が悪くなるのは理解できるが、一体貴族男性はどれだけ貧弱なのだ。
……いや、女装している男性もコルセットをつけているのか。
それを言ったら、男装している女性はコルセットをつけていないはずなのに倒れていることになる。
結局、コルセット云々ではなくて、元凶である残念の先駆者一行の影響が凄まじいだけということだろうか。
どうにか重症者の対応を終えてほっと一息ついたパブロは、視界の隅に恐ろしいものをとらえた。
……アラーナ伯爵令嬢が、何故か手を上げながらぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「――まさかの、とどめ」
小柄で華奢な透明感のある初々しい美少年が、無邪気に飛び跳ねればどうなるかなど、もう考えるまでもない。
当然のように周囲に悲鳴がこだまし、何人もの招待客が膝をつき、口を押さえ、涙をこらえ、そして倒れていく。
……もう、ちょっとした破壊兵器並みの威力である。
「尊すぎて、幸せがのどに詰まって呼吸が止まりそうです……!」
「いけません。あの方々をお見送りするのが主催の役得……いえ、役目。ここはしっかりと目に焼き付け……いえ、ご挨拶を」
「……いい」
伯爵夫妻とお嬢様はとりあえずお見送りする程度の役には立ちそうなので放置するとして、戦場と化しているであろう救護室の方が気になる。
ホールを抜けて救護室に向かう途中、救護要員のはずの使用人の姿を見つけ、玄関ホールに向かう。
救護室にいた招待客が馬車で帰ったのなら、少しは部屋に余裕ができただろうか。
何人帰ったのかも知りたいので声をかけようとすると、男は他家のメイドと思しき女性に声をかけていた。
オレンジがかった茶色の髪の女性は、目は若干死んでいるものの、仕事ができそうな雰囲気だ。
多少体格がいい気もするが、メイドとして働くのならば体力のない華奢な女性よりもよほど頼もしい。
少なくとも、今ソレール伯爵家に必要なのは精神力と体力のある人手だ。
普段ならば見逃せるかもしれないが、救護室の状況を知っていながら女性にうつつを抜かす男に、パブロの苛立ちが募る。
「あなたは救護担当でしょう。すぐにホールに向かい、仕事をまっとうしてください」
パブロに声をかけられた男は慌ててその場から走り去る。
すると、メイドは大きなため息をついた。
この様子では、言い寄られて迷惑していたのだろう。
同じソレール伯爵家で働く者として、大変に申し訳ないことだ。
「失礼。ご迷惑をおかけしたようですね」
「いえ。助かりました」
見た目に反する低い声に、パブロは思わずメイドを凝視する。
女性にしては体格がいいとは思ったが、まさか。
「……男性、ですか」
「ええ、そうです」
「何故、また……」
「……主命です」
互いに気まずい沈黙が流れる。
色々と聞きたいことがなくもないが、どちらにしても貴族のせいでこのメイドもパブロもとばっちりを受けているのだと思うと、親近感すら湧いてきた。
本人の希望で女装したわけではないのは明白なので、あまり触れない方がいいだろう。
パブロはそのまま救護室に向かったが、予想以上の混乱ぶりだ。
重症者はある程度馬車で屋敷に帰したらしく、意識を失っている者はそれほどいない。
そのぶん、半端に悲惨な影響を受けた被害者でごった返していた。
「カロリーナ様が、ベアトリス様の背中を! 美しい人って!」
「尊い……全員が尊い……同じ空気を吸うなんておこがましい……」
「ダニエラ様に背後からぎゅってされたい。そのまま気を失ってしまいたい……」
「年上の美女からのキスに、羞恥から頬を染める美少年……正義です」
「イリス様にぴょんぴょんされたい……」
「……女装に乾杯……」
うわごとを呟きながら皆一様に笑顔で口をぽかんと開けているので、どうしようもない。
動いている人がいるかと思えば、白いドレスに赤い下着が覗く女装の男性が、黒いドレスに青い下着が覗く女装の男性と骨付き肉で乾杯している。
……もう、突っ込む気力も湧かない。
とりあえず死者は出ていないのでよしということで無理やり納得してホールに戻ると、既に残念の先駆者一行の姿はない。
まだ夜会が始まってそれほど経っていないが、これ以上彼女達が滞在すれば招待客全滅の可能性すらある。
正直、帰ってくれてありがたいとしか言えなかった。
「ああ、パブロ。救護室は大丈夫?」
「はい。想定以上の混雑で地獄のようですが、皆さま幸せそうです」
お嬢様に包み隠さず真実を伝えると、何故か満足そうにうなずかれた。
「そうよね、わかるわ。ベアトリス様の色香、カロリーナ様の凛々しさ、ダニエラ様の小悪魔感。更にイリス様の初々しい美少年ぶりと、そこに攻めていくヘンリー様の美女っぷり。……控えめに言っても尊いし、幸せだし、お腹いっぱい胸いっぱいよ」
「……いい」
「社交界への影響力に加えて、この幸福感。――男装夜会、この一度きりで終わらせるにはもったいないですね」
何に反応したのかわからない涙を拭っていた夫人がそう訴えると、伯爵がうなずき、お嬢様が目を輝かせた。
ソレール伯爵家は、完全に残念の先駆者一行の虜だ。
禁断の扉を開けるどころか、謎の沼にどっぷりとはまってしまっている。
それは伯爵家だけではなく、多くの招待客もまた同様だろう。
そしてパブロもまた、あの眩い美少年の姿を見たいと思ってしまっている。
「あれが、残念の先駆者。……恐ろしい人です」
これで「小説家になろう」初投稿から毎日更新2周年企画、男装夜会の裏側は完結です。
現在「残念令嬢」は本編第8章の番外編を連載中。
番外編終了後は「残念の宝庫 ~残念令嬢短編集~」で「残念令嬢」書籍発売感謝祭のリクエスト短編を連載開始します。
(内容は活動報告参照)
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m(_ _)m









