パブロの準備 男装夜会の裏側 1
「残念令嬢」第八章の男装夜会の裏側です。
頭を空っぽにしてお楽しみください。
「――男装夜会を開催しましょう!」
お嬢様の一言で、ソレール伯爵家に激震が走った。
パブロはソレール伯爵家の使用人だ。
ソレール伯爵家はもともとそれなりの家格の家ではあったが、とある事情でここ最近注目を集めており、お嬢様にも結構な数の縁談が舞い込んでいる。
そんな好機に、一体何を言い出すのだろう。
パブロの眉間に皺が寄ったが、それは伯爵夫妻も同様だ。
夫人は紅茶のカップを置くと、困ったような視線を伯爵に向けた。
「夜会はわかるが、男装というのはどういうことだね?」
「女性が、男性の格好をすることです!」
お嬢様は自信満々に答えているが、伯爵が聞いているのはそういうことではない。
巷にはそういった集いもあるというし、貴族間でもなくはないが……こう言っては何だが、未婚のお嬢様が参加するのは、ちょっとばかり世間体がよろしくない場合が多い。
「お父様が言いたいことはわかります。ですが、今回は健全かつ尊い夜会にします。いえ、必ずそうなります。伝説の夜会に!」
「いや。健全はいいことだが、そもそも男装する理由がないだろう? ……いつからそんな趣味ができたんだい?」
ついに伯爵が核心に触れた。
一応は深窓のご令嬢に分類されるはずの娘がまさかの趣味を公言したのだから、その動揺は計り知れない。
だが、お嬢様はきょとんとして首を傾げた。
「趣味? 私は男装しませんよ?」
「え⁉ いや、それは良かったが。……なら、何故男装夜会なんて言い出したんだ?」
「仕立て屋からの情報です。『残念の先駆者が男装できる夜会を探している』と」
残念の先駆者という名前は、お嬢様から何度か聞いたことがある。
何でも残念な装いを誰よりも早く取り入れたカリスマで、その美しさと残念さは比肩する者のいない素晴らしさだとか。
……正直、何を言っているのかよくわからない。
残念という言葉は、物足りないことや悔しいことを指すし、俗に長所が相殺されるほどの短所をもつことを言う。
残念の先駆者と呼ばれるアラーナ伯爵令嬢はまさにこの後者に該当し、その常軌を逸した装いの噂はパブロの耳にも届いていた。
「それで何故、我が家で開催するんだ?」
至極まっとうな質問に、お嬢様はこれ見よがしに大きなため息をつく。
「お父様は全然わかっていませんね。いいですか? 残念の先駆者が男装夜会を探しているということは、開催すればあの方を我が家にお招きできる……その上、主催者として挨拶されるのですよ⁉」
拳を掲げて力説するお嬢様を伯爵は困惑した様子で眺めていたが、ここで夫人の目がきらりと光った。
「……格好はまったく理解できませんが、残念の先駆者の影響力はかなりのものです。何せ、貴族一般だけではなくて王族や、果ては平民にまでその愛好者が広がっていると言いますからね。ですが、彼女はそれほど頻繁に社交の場に出てくるわけではありません。その残念の先駆者を、我が家でお招きできるのだとすれば……社交界でかなりの意味を持ちますね」
「そうですよ、お母様! 残念界隈でソレール伯爵家の名が一気に高まります!」
その界隈の名声は高めない方がいいと思う。
というか、残念界隈というのは一体何なのだろう。
「あなた。ことはソレール伯爵家の将来に関わる大事。ここは全力をもって男装夜会に備えましょう!」
すっかりお嬢様と意気投合してしまった夫人に気圧され、伯爵はうなずくことしかできていない。
「では、我が家で開催すると仕立て屋経由で残念の先駆者にお伝えしてもいいですよね?」
「もちろんです。急ぎなさい。こんな一大イベントを他家に奪われるわけにはいきません」
「いや、まあ、かまわないが……男装は、しないんだな?」
伯爵としては娘が男装趣味かどうかの方が重要らしく再確認しているが、お嬢様は呆れたように肩をすくめた。
「当然です。当日は残念の先駆者が男装する可能性が高いのですよ? そんなチャンスに普段と違う装いでは本気が出せません。動きやすいドレスで、できる限り近くで観察しなければいけないのですから。……さあ、忙しくなりますよ!」
「ええ、すぐに準備に取り掛かりましょう!」
固い握手を交わして部屋を出て行く二人を、伯爵とパブロは茫然と見送るしかない。
これが、のちに伝説となる男装夜会の第一歩だった。
男装夜会を開催すると決まった翌日から、ソレール伯爵家は目が回るような忙しさだ。
もちろん、今までに夜会だってお茶会だって開催したことはある。
だが、その長年蓄積された手順も技術も、今回はまったく役に立たないと言っても良かった。
「パブロ、ちょうど良かったわ。夜会の手配のことだけど」
お嬢様に呼び止められたパブロは、抱えた封筒の束を落とさないよう気を付けながら振り返った。
「凄い量ね。それは何?」
「男装夜会に参加したいという貴族からの、招待状を乞う手紙です」
「まだ開催決定から一晩だというのに、素早いわね。さすがにこれを全部招待するわけにはいかないわ。お母様達と吟味するから、書斎に置いておいて」
本来招待状というものは、主催者から送るものだ。
それを是非送ってくれと催促の手紙が山のように届くなど、前代未聞。
これも残念の先駆者の力なのだとすれば、恐ろしい影響力である。
「それよりも、医者は手配できたの? それから部屋をいくつか空けて、ソファーを多めに入れて。あと、骨付き肉は山盛りにしてね」
矢継ぎ早に指示を出されるが、どれも意味がわからない。
「一人手配できましたが」
「一人か。心もとないわね、せめて三人は手配してくれる」
「……あの、お嬢様。男装するとはいえ、夜会ですよね? 何故医者が三人も必要なのでしょうか?」
それ以外にも、毛布やら気付け薬やらも手配しているが、どう考えても夜会で使用するものではない。
不信感しかないパブロの言葉に目を丸くしたお嬢様は、次いで大きなため息をついた。
「普通の貴族が男装女装するだけなら、必要ないわ。でも、今回はあの残念の先駆者が参加するのよ。男装するかそのままか残念なのかは不明だけれど、どれでも結果は一緒。しかも、あの御友人達も参加するわ」
「あの、と言いますと?」
そんなことも知らないのかと言いたげな顔だが、パブロは屋敷内での業務が主で、ほとんど貴族と接する機会はなかった。
当然、残念の先駆者もその御友人とやらも見たことはない。
「その妖艶な美しさで惑う者続出のバルレート公爵令嬢。凛々しい姿から女性人気が圧倒的なオルティス公爵夫人。教会で聖女の再来とまで慕われているコルテス伯爵令嬢。そのまま来ても大騒動なのに、男装する可能性があるのよ? 招待客は慎重に選ばないと、血を見るわ」
よくわからないし、いくらなんでも大袈裟だとは思うが、要は有名人なのだろう。
「そして残念の先駆者……アラーナ伯爵令嬢が来るのよ。つい最近では宮廷学校で黄金の女神として祝福を与え、騎士科と魔法科を鎮撫したと聞くし。何が起こってもおかしくないわ」
鎮撫とはなんだ。
宮廷学校と言えば、国の重要な研究機関であり騎士団の下部組織でもあるはず。
いったいそこで何の諍いがあって、どうやってそれを鎮めたというのだ。
先程から、お嬢様の言っていることは意味がわからない。
声にこそ出していないが、表情から不信感が伝わったのだろう。
お嬢様は一瞬眉をひそめたが、すぐににこりと微笑んだ。
「今は理解できないでしょうけど、すぐに私の言っていることがわかるわ。残念の先駆者とその御友人は、普通の域には収まらないの。……それじゃあ、傷薬と包帯も追加しておいてね」
肉や救護室を完備して医者を用意する必要性はわからないが、使用人であるパブロは指示に従うだけだ。
だが、男装夜会が始まってすぐに、パブロはお嬢様の言葉が何の誇張もない真実であると痛感することになった。
明日は男装夜会本番に入ります!









