ヘンリーの役得 甘えるイリスと困るヘンリー 2
「何故、シーロ様まで? 俺がカロリーナとイリスを連れて帰りますが」
確かに二人はもうすぐ結婚するが、今はモレノの屋敷に住んでいるのだから、ヘンリーで問題ないはずだ。
「あら、無理ですよ。カロリーナは今、胸部砂漠化の悪夢と戦っていますから。近付いたら投げ飛ばされますし、泣かれます。どう考えても、イリスを同乗させたら危険です」
確かに馬車の広さからして、荒ぶるカロリーナと一緒というのは危険が伴うかもしれない。
「私はダニエラを送りますから、ヘンリー君はイリスをお願いします。シーロ様が来るまでは、カロリーナを見ていますから、心配しないでくださいね」
「だったら、カロリーナはシーロ様に任せるにしても、ベアトリス嬢とダニエラ嬢は一緒に送れますよ?」
あえて分散する必要もないのでそう提案すると、ベアトリスは首を振った。
「それは駄目です。ダニエラは身体的には無害ですが、謎の情報を使って精神を殺しにきます。私は平気ですし、ヘンリー君も大丈夫でしょうけれど、イリスの耳によろしくありません。……ということで、ヘンリー君はイリスをお願いします」
「……なるほど。一番無害なのがイリスですか」
「あら、そう思いますか? ある意味で一番厄介ですよ。だから、ヘンリー君を呼んだのです」
「はあ……? まあ、とりあえずイリスは俺が……」
よくわからないまま、ベアトリスにへばりついているイリスを引き剥がそうとするのだが、首に絡めた腕がまったく外せない。
碌に筋力もないくせに、どういうことだ。
「お待たせ……って。何これ。カロリーナ、何をしているの?」
シーロはヘンリーのそばに来ると、ぐるりと周囲を見渡し、婚約者の謎の状態に首を傾げる。
泣きながら男性を踏んでいるカロリーナにシーロが近付くと、途端に男性を踏んでいた足が離れた。
「何の気配もなくて悪かったわね!」
素早くシーロを掴むと投げる体勢に入るカロリーナは、酔っている割に無駄な動きもない。
「カロリーナ!」
シーロに名前を呼ばれた途端、ぴたりと動きが止まると、自分が掴んでいる相手を見ている。
「……シーロ様?」
「カロリーナ、大丈夫?」
どう見ても大丈夫じゃないのは投げられる寸前のシーロの方なのだが、カロリーナの目に涙が溢れてくる。
「む、胸が……砂漠化して」
胸倉を掴まれたままの状態で、シーロは微笑んだ。
「大丈夫。胸なんてなくても、俺はカロリーナが好きだ」
「――無礼者ぉー!」
綺麗に弧を描いて投げ飛ばされたシーロは、床に転がったままヘンリーに視線を向ける。
「ヘンリー、カロリーナはちゃんと送るから心配しないでくれ」
「……いや。どちらかというと、シーロ様の身が心配ですよ」
床に転がる男性は二人に増え、カロリーナは結局泣いている。
状況は寧ろ悪化した気もするが、ここはシーロに任せることにしよう。
「……さて。シーロ様も来ましたし。帰りますよ、ダニエラ」
一連の凶行を顔色一つ変えずに眺めていたベアトリスは、そう言ってダニエラの肩を叩く。
「わかったわ。……それじゃあ、強く生きるのよ。趣味を隠さなくてもいいからね。女装だって胸を張るのよ。下着が透ける女装だって、自由だからね!」
「――もう、もう許してください。早く帰って、帰ってください!」
ダニエラの前にひれ伏す男性は、もはや号泣しているが、それを見てダニエラは更に笑っている。
カロリーナもアレだが、ダニエラもやばい。
「では、そろそろ行きましょうか」
首にイリスをぶら下げたままのベアトリスは、笑いの止まらないダニエラを引きずりながら馬車に向かう。
御機嫌のダニエラを馬車に詰め込むと、イリスの頭をそっと撫でた。
「イリス。お迎えが来ましたよ」
すると、微動だにせずしがみついていたイリスが、少しだけ顔を上げた。
「……おむかえ? てんごく?」
「死んでいませんよ。――ほら。ひんやりとして、気持ちいいですよ」
するりとイリスの腕を外すと、そのままヘンリーの体にくっつける。
一瞬躊躇したようだが、ベアトリスに促されるまま、ヘンリーの胸にしがみついた。
「……ひんやり」
満足そうに笑みを浮かべるイリスは可愛らしく、何よりイリスに抱きつかれるという希少な体験にヘンリーの口元が緩みそうになった。
「そ、それにしても。カロリーナがここまで酔うとは、相当強い酒だったみたいですね。カロリーナは泣き上戸、ダニエラ嬢は笑い上戸。……イリスとベアトリス嬢は大人しいですね」
「あら。そう思います? 私はお酒に強いので、いわゆる酔っ払いにはなりませんが。これでも少しは高揚しているのですよ。だから、ヘンリー君を呼びました」
「それは、どういうことでしょう」
確かにベアトリスは酒に強いようだし、おかげで助かった。
しかし、それとヘンリーを呼ぶことに関係があるとも思えない。
「カロリーナは身体を殺しにかかり、ダニエラは精神を殺しにかかりますが、イリスはある意味それ以上ですよ。理性を殺しにきますから」
「え?」
「いいですか、ヘンリー君。ずっと前に、イリスが間違えてお酒を飲んだことがありまして。その時は、私達三人は飲んでいなかったので対応できましたが。何せ友人で、女性同士ですから。……イリスはきっとお酒を飲んだ後の記憶はありません。けれど、それを利用して狼藉を働くようなことはしないと、約束してくださいね」
イリスと同じ金色の瞳は、けれどイリスにはない妙な圧力を感じる。
これが生粋の公爵令嬢の気品だろうか。
「……くっついているだけだし、送るだけです。大丈夫ですよ」
ベアトリスはヘンリーの返答を聞くと、今度は花の様な微笑みを浮かべた。
「私、お酒を飲むと少しばかり意地悪したくなるのです。……ヘンリー君、頑張ってくださいね」









