ヘンリーの困惑 甘えるイリスと困るヘンリー 1
本編第六章が終わった頃のお話です。
「それじゃ、行ってくるわね、ヘンリー」
ドレスアップした姉はそう言うと、軽快な動きで馬車に乗る。
「ああ。イリスによろしく」
「了解よ」
たまたま帰宅時間と被ったためにカロリーナを見送る形になったヘンリーは、ビクトルを伴ってそのまま執務室へと向かう。
「カロリーナ様はご友人と夜会でしたか」
「ああ。イリスも行っている。いつもの仲良し四人で参加すると張り切っていたな」
本来、イリスが参加するのならばヘンリーがパートナーとして同行する。
だが、今回は友人四人で集まるというのでヘンリーは留守番だ。
書類仕事が残っているのもあるし、イリスも友人達と一緒ならば問題ないだろうと判断したためだ。
実際、カロリーナをはじめとしたイリスの友人は、一筋縄ではいかない面子だ。
一見ただの美女揃いなのだが、侮っていると手痛い目に遭うだろう。
何せ、あのイリスを今までずっと不埒な男共から守り通して来たのだ。
そういう意味ではヘンリーは彼女達を信頼していた。
執務室に入り、ビクトルが書類をそろえる間に二人分の紅茶を淹れると、テーブルに運ぶ。
主従でやることが逆のような気もするが、この方が効率がいい。
「ヘンリー様。私の分はいりません、と毎回お伝えしていますが」
「ついでだ。文句があるなら、笑顔で飲め。命令だ」
「あなたは命令の使いどころがおかしい時があります」
なんだかんだ言いつつも紅茶に口をつけるビクトルを横目に、ヘンリーも書類に向き合う。
もくもくと書類をさばき、紅茶のおかわりも冷め切った頃、執務室の扉がノックされた。
「ヘンリー様。バルレート公爵令嬢から、急ぎのお手紙です」
ビクトルが受け取った手紙の封を開け、ヘンリーに手渡す。
ベアトリス・バルレート公爵令嬢は夜会に参加しているはずだ。
その彼女から急ぎの手紙となれば、用件は自ずと絞られる。
「ビクトル、馬車の用意を」
「かしこまりました」
ビクトルが退室するのと同時に、手紙を開いて目を通す。
『至急、来られたし』
ごく短い一文だが、それで十分だった。
ヘンリーは上着を羽織ると、急いで執務室を後にした。
「……これは、どういう状態ですか?」
急いで馬車を走らせ夜会の会場に着いたヘンリーが目にしたのは、想像とは少しばかり毛色が違うものだった。
カロリーナは男性を踏みつけながら泣いているし、ダニエラは泣いている男性を見て大笑いしているし、イリスはベアトリスに抱きついて動かない。
さすがのヘンリーも事態を理解できずに困惑していると、イリスをぶら下げたベアトリスがため息をついた。
「……奇跡の葡萄という、希少種のジュースが用意されていると聞きまして」
べアトリス曰く、皆で飲んでみたものの、どうもお酒のような気がしたという。
ナリス王国では紫の舞踏会を終えればお酒を飲んでもいいとされているが、実際には二十歳頃までは飲まないのが普通だ。
ベアトリスはともかく年少者には良くないだろうと確認してみるが、確かにジュースだと言うし、目の前でジュースと書かれたボトルを開けたので、そのまま皆で飲み切った。
ところがボトルが空く頃には、イリスがベアトリスに抱きつき始め、カロリーナが泣きだし、ダニエラが笑い始めた。
これはおかしいと再度ボトルを見るが、間違いなくジュースのラベルだし、葡萄の香りが強く、味も甘くてジュースっぽい。
だが、三人の様子を見る限り、たぶんアルコール入りだ。
ベアトリス自身は酒に強くてそうそう酔わないために、気付くのが遅れた。
イリスを首にぶら下げた状態でバルレートの使用人を呼び、急ぎの手紙を手配させたという。
「……どうやら、わざと酒を飲ませて介抱を狙った貴族が、酒にジュースのラベルを貼って偽装したらしいのです」
ヘンリーの眉がぴくりと動く。
誰を狙ってのことかは知らないが、これは紳士としてはもちろん、人として大きなマナー違反だ。
まして、狙われた中に姉と婚約者とその友人がいるとなれば、放置できるものではない。
表情を曇らせるヘンリーに、ベアトリスが小さな紙を手渡す。
「バルレートの名で忠告はしておきましたが、あとは好きにしていいと思いますよ」
ちらりと紙を見れば、数人の名前が書いてある。
恐らくはこの件の関係者だろう。
一人酔わずにいたとはいえ、きちんとそこまで把握しているベアトリスに感心する。
カロリーナがよく『ベアトリスには、かなわない』と言っていたのは、こういうところなのかもしれない。
「……感謝します」
「構いませんよ」
にこりと微笑む様は、まさに上品な淑女だ。
イリスもこの何分の一でも落ち着いてくれたらと思ったが、すぐにそれはいけないと思い直す。
可憐な美少女が上品な色気まで身に着けてしまったら、もはや無敵だ。
群がる虫はとどまるところを知らなくなるだろうし、それを退治するとなれば面倒臭い。
イリスはあくまでも残念な美少女だから、ちょうどいいのかもしれない。
「それで、皆大丈夫だったのですか?」
「そうですね。駄目と言えば駄目ですし、大丈夫と言えば大丈夫です。少なくとも、ヘンリー君が心配するようなことはありませんよ」
ベアトリスは自身の首に手をかけてぶら下がるイリスの頭を撫でながら、微笑む。
「イリスはこの通りなので、ずっと私と一緒でした。他の二人は少し離れた隙に男性に声をかけられていましたが」
そう言うと、視線をカロリーナに移す。
相変わらず男性を踏みつけたまま泣いている姉に、少しばかり恥ずかしさを覚える。
「カロリーナはすっかり泣きモードに入っていまして。肩に触れようとした男性の手を掴むと、捻り上げたうえで投げ飛ばし、ヒールでお腹を踏みつけた状態で泣いていましたし」
次いで、視線をダニエラに移す。
椅子に座ったダニエラの前には、うずくまるようにして泣く男性がいる。
「だからね、女装はいいのよ。女装自体は。趣味なんて、迷惑が掛からなければ自由よ。たとえ真っ白のドレスからちらりと覗く下着の赤に一番萌えるなんて好みでも、恥ずかしがることなんてないわ! 自信を持って!」
もの凄い笑顔で何だか恐ろしいことを叫んでいる。
「ダニエラは、どこから仕入れたのかよくわからない情報で、社会的に抹殺しようとしていますし。これは駄目だと思いました。それで、ヘンリー君とシーロ様をお呼びしたのです」









