ベロニカの熱意 パメラ・ベロニカのその後
「残念の宝庫」の「ベロニカの発見」、「ベロニカの対面」、「ベロニカの努力」の後に読むのをおすすめします。
「あら。それは何?」
ベロニカは声をかけられて初めて、自分の顔の真ん中に鎮座する物の存在を思い出した。
両耳に紐をかけ、鼻と口を覆う四角い布。
一般的にマスクと呼ばれるそれは、本来の姿からは程遠い。
全体に厚手の布でフリルを付けた結果呼吸困難になったために、フリルの部分に線状の空白地帯を設けた。
キノコの傘の裏面の様にヒダが連なるそれは、布の地味な色味も相まって大変に美しくない。
他の仕事中に急に呼ばれてこの部屋に来たために、うっかり外すのを忘れていたのだ。
外見的にも精神的にも、仕える家のお嬢様に対して見せるべきものではない。
慌ててマスクをむしり取ってポケットに突っ込むと、頭を下げた。
「見苦しいものをお見せして、すみませんでした」
「……ちょっと、貸してくれる?」
お嬢様にそう言われてしまえば、ベロニカに否を唱える権利などない。
おずおずとポケットから取り出したマスクを手渡すと、お嬢様は食い入るように見つめている。
個人の所有物とはいえ、仕事中に見苦しいものを着けていたと怒られるだろうか。
ドキドキしながら待っていると、お嬢様はゆっくりと息をついた。
「随分と残念な風味のマスクね」
「――わかりますか! ……ああ、いえ。失礼しました」
残念な努力に気付いてもらえた嬉しさから、うっかり言葉が乱れてしまった。
相手は男爵家令嬢で、自分はしがない使用人。
お嬢様は気分で使用人を解雇するようなことはないが、それでもきちんと分をわきまえなければいけない。
だが、ベロニカの反応を見たお嬢様の藍色の瞳が、きらりと輝いた。
「やっぱり、残念仕様なのね。自分で作ったの? 素晴らしいわ」
笑顔でマスクを眺めるお嬢様に、呆気に取られる。
「残念について理解がある侍女が欲しかったのよ。ちょうど一人辞めてしまうから、あなたが引き継いでくれると嬉しいわ」
それはつまり、お嬢様付きの侍女ということか。
簡単な下働きだけの現状からすれば、夢の様に華々しい仕事だ。
あまりのことに、ベロニカの心臓が高速回転を始めた。
「わ、私でもよろしければ、是非!」
嬉しさのあまり叫ぶと、お嬢様は笑顔で残念なマスクを返してくれた。
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「やっぱり、呼吸用の空白地帯は正解ね。見た目は気持ち悪くなったし、息もしやすくなったわ」
「ベロニカの案だったわよね。この調子で残念なマスクを進化させましょう」
いつものように友人達とカフェに集まったベロニカは、残念なマスクの会で盛り上がっていた。
当初はただフリルを増やすことだけに注力していたが、重さと息苦しさから頓挫。
それを打開したのが、線状の空白地帯による呼吸確保だった。
「ところでベロニカ。何だかにやにやしているけれど、いいことでもあった?」
友人の一人に指摘されたが、まさにその通りだ。
「実はね。お嬢様の侍女になれそうなの」
その言葉に、友人達は一斉に歓声を上げた。
「凄い昇進じゃない。おめでとう!」
「貴族令嬢の侍女ともなれば、他のお屋敷に行くこともあるでしょう? いいわね」
「あら、そこから高貴な方に見初められて玉の輿だって、夢じゃないわ!」
再び歓声を上げると、まるで自分のことのように頬を染めている。
「それがね、お嬢様に残念なマスクを見られて。それで、残念に理解のある侍女が欲しいって言われたの。残念なマスクの……つまり、残念のおかげなのよ」
「凄いわ。残念は、昇進から玉の輿までサポートしてくれるのね」
感激のあまり、皆マスクを握りつぶしてうっとりしている。
「こうなったら、ベロニカに負けていられないわ。私達も残念なマスクを極めて、素敵な人生を掴むのよ!」
友人達は勢い良くうなずくと、本日の残念マスク検討に一層熱を入れた。
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「お使い、ですか?」
侍女というのは、芋を洗って皮をむいていればいい下働きとは、仕事の内容がかなり異なる。
お嬢様のお世話が第一となり、着替えや化粧などのセンスと技術、最低限のマナーなどを一から学ぶことになった。
そんな中、ある日ベロニカは侍女の先輩にお使いを頼まれた。
「そう。お嬢様のドレスのリボンが絡まったので、仕立て屋に持って行って、直してもらってほしいの」
「それはいいですけれど。取りに来てもらった方が話が早いんじゃありませんか?」
「それが、急遽明後日の夜会に出ることになったから、間に合わせるには届けた方が早いのよ。あの仕立て屋、凄い人気だから屋敷に来てもらいたくてもすぐには無理だし」
「夜会って、そんなに急に予定が入るものなんですね」
意外と貴族の御令嬢も慌ただしいなと感心していると、侍女は首を振った。
「違うのよ。何でも、残念な夜会のテーマがリボンに変わったらしくて。その夜会には残念好みのハイセンスな上位貴族の男性が来る可能性が高いそうなの。それで、チャンスだから絶対に参加するって、お嬢様は張り切っているのよ。だから、急ぐの」
残念な夜会というものの存在にも驚いたが、更にそこには残念を好む男性が集うのか。
ベロニカが思うよりもずっと残念は浸透していて、夢のあるもののようだ。
「それで、どこに持って行けばいいですか?」
「ミランダ……って言ってわかる? 残念ラインで有名な店なんだけど」
「わ、わかります!」
まさかお嬢様のドレスがあの店の物だったとは。
思わぬ偶然に、何だか興奮してきた。
ドレスの入った包みを持つと、早速仕立て屋に向かう。
少しドキドキしながら残念なマスクをつけると、店の前で深呼吸をする。
以前、残念の先駆者のワンピースを見るのにこの店を訪れたことがある。
あの時の店員に、また会えるだろうか。
灰色の髪と瞳の少年が残念の先駆者について話していた時の、優しい表情が目に浮かぶ。
もう一度会えば、あの時の不思議な気持ちの正体がわかるかもしれない。
緊張しながら店に入ると、応対してくれたのは別の女性店員だった。
何となくがっかりしつつ、頼まれた内容を伝え、ドレスを渡す。
残念なマスクを見ても顔色一つ変えないのは、さすが残念ラインのお店というところか。
包みを解いてドレスを広げてみると絡まったリボン以前に、リボンだらけで何が何だかよくわからない状態だった。
まさかこんなにリボンがあるとは思わず、女性店員に直す場所を聞かれても答えられない。
「明日の内には受け取りたいのですが。間に合いますか?」
「間に合う以前に、一体どこなのか……。私では判断がつかないので、少しお待ちください」
女性店員はそう言って店の奥に行ってしまった。
これは、どこを直すのかちゃんと聞いておかなかったベロニカも悪い。
間に合わなかったらどうしよう。
今から屋敷に戻って確認しても平気だろうか。
心配のあまり小刻みに足を揺らしていると、女性店員がもう一人の店員を連れて戻ってきた。
灰色の髪と瞳の少年は、ベロニカに一礼するとすぐにドレスを手に取る。
「リボンが絡まったんですね?」
「え? ――は、はい!」
自分に話しかけられたのだと気付くのに遅れ、慌てて返答する。
「どこだかわからなくて。しかも、明日中に引き取りをご希望なのですが、見通しが立たなくて」
「なるほど」
灰色の少年は女性店員の話を聞くと一通りドレスを調べ、正面の足元付近の生地をつまんだ。
「……ここですね。細い三本のリボンが絡んでいる。他にも同様の手直しの依頼がありました。これは、デザインから改善の余地がありますね」
店員同士で何やら確認をすると、女性店員はドレスを持って店の奥に下がっていく。
「お待たせいたしました。明日の夕方までには間に合わせますので、ご安心ください」
「あ、ありがとうございます」
あっという間に解決させた少年に、ベロニカは尊敬の念を抱く。
ベロニカとそれほど年齢も変わらないだろうに、仕事をしっかりとこなせるのは素晴らしいと思う。
自分も、頑張って侍女の仕事を覚えよう。
同年代の仕事ぶりに刺激を受け、俄然やる気が増した。
「……ところで、そのマスクは?」
「あ、ええと。私、残念の先駆者を見かけてから、残念に興味があって。友人達と残念なマスクを作っているんです」
「ああ、残念の先駆者を見たのなら、納得です。……手作りですよね? いい出来だと思います。素敵な残念です」
灰色の少年に笑顔で褒められ、ベロニカの鼓動は高速スキップを始めた。
他人に残念と言われて、こんなに嬉しかったことはない。
仕立て屋からの帰り道、ほんのりと熱を持つ頬を押さえながら、深く息を吐く。
残念のおかげで灰色の少年に会え、残念のおかげでお嬢様付きの侍女のチャンスがきて、残念のおかげで灰色の少年に褒められた。
――これが、残念の威力。
こうなれば、自分が何をすべきか、ベロニカにだってわかる。
「残念なマスクの更なる改良。これが、すべての道を拓くのよ!」
ベロニカは残念なマスクを外すと握りしめ、拳を高く掲げた。









