ヘンリーの姫君 イリスのかぐや姫
完全なパラレルワールドです。
頭を空っぽにして、目を細めてお楽しみください。
ある日、竹取の男は竹林で香ばしい香りのする竹を見つけます。
竹の中には、珠の様に美しい小さな女の子が、肉と共に入っていました。
男は喜んで家に連れ帰り、妻と共に大切に育てました。
その子は三ヶ月ほどで美しい少女に成長し、『骨付き肉のイリス姫』と名付けられました。
イリス姫の美しさはあっという間に噂になり、求婚者が続出します。
特に熱心に求婚し諦めなかった5人の貴公子に、イリス姫は言い伝えでしか聞いたことのない物を持ってくるよう要求しました。
牛の肉で作った硯。
肉が咲き誇る木の枝。
生肉の皮衣。
鶏の頭の五色のトサカ。
豚が生んだ肉。
名のある貴族達も、何を言われているのかわからず、あまりに残念な姫の言い分に困り果てます。
肉などない方が美しいと言っても、聞いてくれません。
「――いや、待て待て」
ヘンリーの声に、ビクトルは不愉快そうに話を止めた。
「何ですか、ヘンリーの帝」
「何なんだ、その妙な話は。おとぎ話にしては情緒がないぞ」
「残念ながら、実話です。肉の加工職人を巡って、宮中もギスギスしております。お気付きになりませんでしたか?」
確かに、最近は何やら牽制し合うような様子が見られたが、理由がおかしい。
「肉の加工職人というのは、何かの隠語かと思っていたんだが。本当にそのままの意味なのか」
「そのままです。ただ、生肉の形を整えている間に腐ってしまうらしく。腕のいい職人が多数必要だと言って、引き抜き合戦をしているようです」
「……何をやっているんだ。仕事をしろ」
「本当ですね」
ビクトルはヘンリーの前にあった書物を片付ける。
「それで、おまえは何故それを俺に伝えたんだ? 肉の加工職人の件は、当事者同士の問題でいいだろう?」
「肉の職人はどうでもいいです。私は帝の問題の解決策になるかと思いまして」
「問題?」
「未だ皇后はおろか、誰一人後宮にいないというのは、結構な問題です」
確かに、ヘンリーのための後宮には誰一人女性がおらず、開店休業状態だ。
立場的にこのままではいけないのはわかっていたが、即位して間もないからと逃げ回っていた。
「仕方ないだろう。家同士の勢力を考えると一人を選ぶのは難しい。好みの女性もいないしな」
「わかっています。ですから『骨付き肉のイリス姫』とやらを、試しにご覧になってください。運よく帝のお眼鏡にかなうなら、もうさっさと妻にしてしまえばよろしい。噂によれば大層な美少女だそうですから、可能性はありますよ」
「……適当だな」
「こうなれば多少身分に難があってもどうにかします。帝が会いに来たと知れ渡れば、他の貴族達も控えるでしょうから一石二鳥です。いい加減に仕事をしてもらわないといけませんからね」
なるほど。
自棄になって適当な結婚を勧めているというよりは、それが狙いか。
確かに、宮中の貴族が肉の加工職人で揉めた挙句、仕事にならない事態はよろしくない。
「わかった。散歩がてらにそのイリス姫とやらに会いに行ってみよう」
都の中心から離れた竹林のそばに、イリス姫の住む屋敷はあった。
竹取の家にしては小綺麗とはいえ、やはり田舎の小さな家だ。
とても噂の美姫が暮らしているようには見えない。
しかし、ここまで来たのだから一目見たいと思うのは人の性。
訪ねてみると、意外にも快く奥へと通され、毒気を抜かれた。
確か、多数の貴族が求婚しては妙な物を要求されているのだったか。
美しいとは言っても基本的に御簾越しの対面なのだから、ハッキリと造作を確認することはできない。
それでもこの騒ぎとなれば、朧げな姿でもわかるほどの美しさか、あるいは見栄だか意地だかの張り合いをしているだけなのか。
何だか急に馬鹿らしくなったヘンリーは、そのまま帰ろうと立ち上がる。
廂に出て角を曲がったところで、何かがヘンリーの体にぶつかった。
視線を下げてみれば、ヘンリーの狩衣に埋もれるように長い黒髪が見える。
イリス姫かと一瞬思ったが、よくよく考えれば深窓の姫が歩き回っているわけもない。
「誰かは知らないが、離れてもらえるかな?」
ぶつかったことに驚いたのか女性は微動だにしなかったが、ヘンリーが声をかけるとびくりと肩を震わせて顔を上げる。
――目を、奪われた。
金色の瞳は星よりも輝き、艶やかな黒髪はまるで絹糸のよう。
滑らかな白磁の肌に赤い唇が映えて、可憐な顔立ちが更に引き立っている。
確認するまでもなく、この娘が噂の姫君だとわかった。
だが、いつまでも見ていたいと思っていた金の瞳が、あっという間に翳っていく。
それが恐怖なのだと気付いた瞬間、イリス姫は踵を返した。
「ご、ごめんなさい!」
謎の謝罪を残して走り出したことに驚くが、次の瞬間にはヘンリーの中に一つの思いが生じた。
――逃がさない。
袴に単衣に袿という簡素な恰好とはいえ、狩衣姿のヘンリーに比べれば機動力は劣る。
まして、男と女の体力の差は歴然で、ヘンリーは赤い袿をすぐに腕の中にとらえた。
「や、やだ。ごめんなさい。謝るから、放して」
「何故、謝るんだ?」
もう一度金の瞳を見たいと思って覗き込むが、顔を隠されてしまった。
しかし、顔を隠すのが扇なら理解できるが、何故骨付き肉なのだろう。
というか、ずっと肉を持って走っていたのか。
そう言えば、『骨付き肉のイリス姫』と呼ばれていると聞いた。
……つまり、肉を持って過ごしているのだろうか。
「……お肉」
「うん?」
ヘンリーの腕の中から逃げられないと観念したらしく、骨付き肉を握りしめたイリス姫はヘンリーを見上げた。
「お肉で、衣を汚してしまったから。拭くものを取りに行こうと思って」
手にしている物はおかしいが、やはり金の瞳が美しい。
肉の加工職人の奪い合いが起きるのも納得である。
というか、皆この美しい瞳を目にしているのだろうか。
……今後は近付けないように手配しなければいけない。
「洗えばいいだけだから、気にしなくていい」
「うん……」
「赤と濃赤……紅葉の襲だな。似合っている」
「違うわ。レアとミディアムで肉の襲よ。血が滴る、こんがりお肉よ」
いよいよ言っていることがわからないが、それでも彼女と話ができるのは嬉しい。
もっと近くで見たいと骨付き肉に手をかけると、必死の様子で抵抗してきた。
「私のお肉よ! あげないんだから!」
別に、肉が欲しくて奪い取ろうとしているわけではない。
肉なしでじっくりと姿を愛でたいだけなのだが。
「何故、そんなに肉にこだわるんだ?」
「私にとって肉は武器よ。肉がなければ、残念に戦えないの。なのに皆、肉は邪魔だとか、肉がない方がいいだなんて。肉を甘く見ているのよ」
……意味がわからない。
わからないが、真剣だということは伝わってきた。
「そんなに肉が好きなら、いくらでも用意するから食べるといい」
「……無理よ。お腹いっぱいだもの」
しゅん、とうなだれる様子に、ヘンリーは苦笑した。
「なら、俺が食べてやる。だから、安心しろ」
自分でも言っていることがよくわからないが、それを聞いたイリス姫は顔を上げた。
「……本当?」
潤んだ瞳で見つめると、イリス姫は手にしていた骨付き肉をそっとヘンリーに手渡した。
「ああ、良かった。お腹がいっぱいだし、結構重くて、腕が疲れていたの。ありがとう」
「どういたしまして。姫君のためなら、いくらでも、何肉でも食べてやる。だから、俺から――離れるな」
「うん」
ヘンリーの言葉の意味もわかっていないだろうに、金の瞳の姫君は笑みを浮かべる。
逃がさないと決めたから、この笑顔もすべて――ヘンリーのものにする。
その後、肉と共に都に移ったイリス姫は皇后となり、骨付き肉の一大ブームを巻き起こすのだが。
それはまた、別のお話。









