ヘンリーの幸運 イリス&ヘンリーのデート 2
本編第四章でドロレス達が来る前のお話です。
カフェを出ると、ぶらぶら歩く。
出店でアクセサリーやお菓子や果物を見てみたのだが、人気のワンピースに身を包んだ美少女はどこに行っても注目の的だった。
だが、本人はそれほど気にしていない。
というよりは、気付いていないようだった。
そう言えば、学園でも何だかんだでイリスを見ている人は多かった。
鈍感は一朝一夕では成されず、また一朝一夕でなくなりはしないのだろう。
何軒目かの店の前で、ふと足が止まる。
アクセサリーが並ぶ中で、イリスの目はビーズの髪飾りに釘付けだった。
透明のビーズがいくつも連なって、小さな花束のように見える。
「……気に入ったのか?」
「え? いや、可愛いなって」
「なら、プレゼントするよ」
そう言って支払いをすると、髪飾りを渡す。
「あ、ありがとう」
屈託のない笑顔に、ヘンリーの顔も思わず綻ぶ。
安価な髪飾りでもこんな顔を見られるのなら、もっとプレゼントをすれば良かった。
忙しかったとはいえ、もったいないことをしたと思う。
イリスは髪飾りを着けようとしているが、リボンが邪魔で手間取っている。
すると、片方のリボンをするりと解いてしまった。
「いいのか、リボンを取って」
「うん。こっちを着けたいから」
「なら、俺が着けるよ」
ヘンリーのプレゼントを優先されたことが、何だか嬉しい。
リボンをほどいた左の髪に飾りを着け、リボンはイリスの手首に巻いた。
「ありがとう」
にこりと微笑まれれば、こちらの顔も緩んでしまう。
「仲の良いカップルだねえ」
店員にからかわれるが、気分は悪くなかった。
しばらく見て回っていると、明らかにイリスの足取りが遅くなってきた。
きっと、歩き通しで疲れたのだろう。
小柄で華奢なイリスは、見た目通り体力がないのだ。
「飲み物を買ってくるよ」
「うん。ありがとう」
そう言って噴水のそばに座らせると、すぐ近くの店に向かう。
飲み物を持って戻ろうとすると、イリスの周りに男達の姿があった。
これも、夜会と一緒か。
疲れたイリスを休ませるためとはいえ、そばを離れたのは迂闊だったのかもしれない。
「本当に可愛いね。君、一人なの?」
「違います」
「一緒に遊ぼうよ」
「結構です」
イリスは断っているが、まったく通じていない。
寧ろ、男達は美少女とのやり取りを楽しんでいるようだった。
「俺の連れに、何か用か?」
「何だ、おまえ」
背後から声をかけると、男の一人が振り返ろうとして、転ぶ。
だいぶ不自然な転び方に、ヘンリーも眉を顰める。
「何だ? 足が動かない」
確かに、男の足底は地面にぴったりくっついたままだ。
俺も、俺も、と男達が異変を口にする。
どうやら、地面と靴がくっついているらしかった。
「ヘンリー、行こう」
イリスは立ち上がると、すたすたと男達の横を通り抜ける。
「ま、待てよ、お嬢さん」
男達はその場から動けないようだが、足以外は問題なく動く。
通り抜けるイリスに男が手を伸ばす。
それを避けようとしたイリスが、つまづいてバランスを崩した。
「――イリス!」
このままでは、イリスは地面と熱い抱擁を交わすことになる。
ヘンリーは飲み物を放り投げると、咄嗟に手を伸ばす。
次の瞬間、衝撃と共にヘンリーの手に柔らかな感触が伝わってきた。
「……ん?」
妙な感覚にもう一度手のひらを動かしてみるが、やはり何か弾力のある手応えが返ってくる。
「――へ、ヘンリー……やめ、て」
蚊の鳴くような声に見てみれば、イリスが顔を赤らめてこちらを見上げている。
潤んだ瞳も可愛らしいが、どうしたのだろう。
ふとイリスを支える自分の手の位置を見て、その手の平が覆うものを視認したヘンリーは思わず目を瞠った。
「――ご、ごめん!」
イリスの胸を触っていたことに気付き、慌てて手を離す。
咄嗟の出来事とはいえ、堂々とイリスの胸に触ってしまった。
というか、更に揉んでしまった。
シーロと剣の鍛錬をしていたシャツ姿の時から思っていたが、イリスは華奢な割に胸が大きい。
あれは見かけだけではなかった。
いや、違う。
今はそんなことを考えている場合ではない。
「そんなつもりじゃなかったんだ。ごめん」
ふくれっ面のイリスに謝罪する。
じきに婚約者となる女性なのだから、世間的には問題ないのかもしれない。
だが、少なくともイリスに突然することではなかった。
「……いいの。転びそうなところを助けてくれたんだし。これも、私の残念のせいだわ。犬に揉まれたと思って忘れる」
「噛まれた、だろ? ……まあ、残念というよりは幸運だが」
思わず出た本音に、ヘンリーは慌てて口を押さえる。
「何よそれ。揉まれると幸運って、ヘンリーは神の手なの? もう、手の感覚を削ぎ落して、幸運だけちょうだい」
怒っているのか照れているのかわからないが、言っていることは滅茶苦茶だ。
大体、何で揉まれたら幸運と変換されるのだ。
普通に考えれば、イリスの胸を揉んだヘンリーの方が幸運に決まっているではないか。
ヘンリーの手の平には、まだイリスの感触が残っている。
これは、幸運の感触である。
……どうせなら、もう少し触っておけば良かった。
「……おい」
何やら低い声に視線を向けてみると、転んだまま動けない男達が死んだ目でこちらを見ている。
ヘンリーが放り投げた飲み物を頭からかぶった男は、コップを頭にのせたまま、意識をどこかに飛ばしていた。
「いちゃつくなら、よそでやってくれ。……こっちは動けないんだ。頼むからどこかに行ってくれ」
人生に疲れ切ったような表情と声に、ヘンリーとイリスは無言でうなずくと、その場を立ち去った。
「おいしいわ」
もう一度飲み物を買って渡すと、イリスは歩きながら飲んでいる。
伯爵令嬢は歩き飲みなんてしたことないだろうに、何故抵抗なく飲めるのだろう。
不思議ではあったが、イリスは残念なのだから、これくらいは特におかしくないのかもしれない。
「さっきの男達が動けなかったのは、イリスの魔法か?」
「うん。靴と地面を凍結させたの。……何か用かと思って話を聞いていたんだけど。全然要領を得なくて本題に入らないから、困っていたの」
「……そうか」
まさに『可愛いね。一緒に遊ぼう』が本題なのだが、わかっていない。
どうやら、社交辞令だと思っていたようだ。
どれだけ鈍感なんだ、とため息がこぼれてしまう。
「……そろそろ、帰る」
小さな声でそう言うイリスは、表情も曇っている。
やはり、歩き回ったので疲れたのだろう。
「なら、あっちに馬車を用意させているから、行こうか」
体力を考えれば、こうなるのはわかっていた。
馬車に乗ると、イリスはすっかり黙ってしまった。
魔法まで使ったので、疲れ切っているのかもしれない。
「……ごめんね」
馬車が走り出してしばらくしてから、ぽつりとイリスが呟いた。
「何がだ?」
「だって。ヘンリー、ずっとため息ついているから。私に付き合って、つまらなくて疲れたんでしょう?」
イリスはすっかりうなだれている。
それで、何だか元気がなかったのか。
確かに原因はイリスと言えるが、決してつまらないからなどではない。
「それは、違うよ」
そう言って、イリスの隣に移動する。
「イリスと出掛けて楽しいよ、もっと一緒にいたいくらいだ」
「……本当?」
首を傾げながらの上目遣いに、思わず息を呑む。
隣に座ったせいで至近距離なので、破壊力も増している。
無意識なのだろうが、大変な攻撃力だ。
イリスは常々残念の攻撃力が云々言うが、素の方が余程攻撃力が高いことをわかっていない。
「本当」
「……良かった」
ヘンリーの答えを聞くと目を丸くし、次いで柔らかく微笑んだ。
――なんだ、この可愛い生き物。
「髪飾りも、ありがとうね」
「こんな安いのでいいのか?」
イリスは高価な宝飾品を好むわけではないだろうが、それにしたって玩具のような飾りなのだ。
「うん。これがいい」
そう言って手を頭にやると、ビーズの飾りを撫でた。
よくよく見ると、無色透明の中に黄色と紫の粒が少しだけ入っている。
「……もしかして、瞳の色?」
「うん。ちょうど二人分だったの。凄い偶然よね」
微笑む姿に、思い切り抱きしめたい衝動に駆られる。
――本当に、どうしてくれよう、この可愛い生き物。
幸運のお触り事件の負い目さえなければ、確実に抱きしめていたものを。
とにかく、ヘンリーのため息はイリスのせいではないと伝えておかなければ。
また変な勘違いで暴走されても困る。
そう思って説明し始めると、ヘンリーの左肩に重みを感じる。
見れば、イリスがヘンリーにもたれるように傾いている。
これは甘えてくれているのだろうか。
ヘンリーの心はときめいたが、よくよく見るとどうやら眠っているらしかった。
「……なんだ」
落胆の声が思わず出てしまう。
でも同時に、イリスらしいなと思ってしまった。
ゆっくりと、何度もイリスの頭を撫でると、それだけでも幸せな気持ちが湧いてくる。
もう少しだけ、この残念で大切な存在のペースに合わせよう。
……ヘンリーが我慢できる間は。
ヘンリーは苦笑すると、イリスの頭に口づけを落とした。