ビクトルの依頼 ビクトルの休日 1
「残念令嬢」本編第六章の頃。
「ダリアの盲点」「ダリアの着眼」の後のお話です。
ビクトルは書類をひたすらに片付けていた。
調査の後は、大体こうだ。
今回はそこまで多くないから良いが、酷いと徹夜続きになることもある。
明日は久しぶりの休日だし、できれば早々に仕事を終わらせたい。
……そう思っていたのだが。
「それでね。あのカフェで食べたチョコレートケーキ、覚えている?」
金の瞳を輝かせて、黒髪の美少女――イリスが楽しそうに話している。
容姿端麗とは、まさに彼女のための言葉と言っても良い、可愛らしさだ。
「どんぐりの形の?」
それに返答する少年――ヘンリーもまた、眉目秀麗。
傍から見れば、美少年と美少女の微笑ましい語らいだ。
……イリスの手に骨付き肉さえ握られていなければ。
「そう。あのケーキがね、改良されたらしくて。ラウルの情報なんだけど」
一生懸命説明するたびに、骨付き肉が揺れている。
小ぶりとはいえ、持って歩く意味がわからない。
「じゃあ、一緒に行く?」
「え?」
イリスは肉を持ったまま、きょとんとしてヘンリーを見ている。
書類を机に置いたヘンリーは、骨付き肉を指でつついた。
「俺の所に来てその話をするんだから、一緒に行こうってことじゃないの?」
「いえ、別に。ただ、チョコレートの量が増えて、凄く濃厚になったって聞いたから」
「うん。だから、俺と行きたかった?」
「ち、違うわ。そうじゃなくて、ケーキのスポンジもしっとりしたらしくて」
「何? 俺とは行きたくない?」
「そういうわけじゃないけれど」
「俺は、イリスと一緒なら、どこへでも行きたいけどな」
そう言いながら、イリスの黒髪を一房すくい取り、口づけた。
あまりに自然な流れに何も言えないらしく、イリスは口を開けたまま固まっている。
「都合をつけるよ。いつにしようか」
「……い、いいです。結構です」
何故か敬語で断りながら、ぶんぶんと首を振るイリスを見て、ヘンリーが笑みを浮かべる。
首と同時に肉も振られているが、あれは頭の動きと連動しているのだろうか。
「遠慮するなよ。俺の愛しい婚約者さん?」
とどめとばかりにそう言うと、微笑みながらイリスの手に口づけを落とす。
顔を真っ赤に染めたイリスが、ふるふると震えながら口を開いた。
「――ヘ、ヘンリーの馬鹿ぁ!」
肉を持ったまま部屋を飛び出したイリスを見て、ビクトルはため息をついた。
「……もう、本当に勘弁してくださいよ」
「そこにいるからだろう」
「私は仕事中ですよ」
「奇遇だな。俺もだ」
確かに、ヘンリーはイリスの髪に触れるまでずっと書類に目を通していたし、今もそれを再開している。
「……わざと、やっていますよね?」
「うん?」
「イリス様です」
「ああ。良い反応だからつい、な。リハビリもしないといけないし」
「リハビリ?」
以前にもそんなことを言っていたが、よく意味がわからない。
「おかげで良い気分転換にもなった。さっさと片付けて、イリスとカフェにでも行くか」
明らかに御機嫌になって仕事のはかどる主人を見て、ビクトルはため息をついた。
今日は、久しぶりの休日だ。
たまには気分転換しようと街に出てみたのだが、貴族を見かけるたびに目で追ってしまう。
見回りをする騎士や、貴族の会話、街で流れる噂。
うっかりそれらに気を取られていることに気付き、ビクトルは自分の頬を叩いた。
「いけない。職業病だな」
気を取り直して歩いていると、目の前にカフェが見えてきた。
確か、例のどんぐり型のチョコレートケーキの店だ。
そう気付き、店の前で足が止まった。
実は、ビクトルは甘党だ。
ニコラスのようないかれた甘党ではないが、クッキーやケーキには目がない。
「……チョコが濃厚。スポンジしっとり」
イリスの言葉が脳内を支配する。
食べたい、食べてみたい。
だが、人気のカフェに男一人で入ってどんぐり型のケーキを頼むなど、もはや罰ゲーム。
「何でどんぐり型なんだ。勇ましい熊とかなら、何とかいけた気がするのに。……持ち帰り対応してないかな」
「……あの」
うろうろと店の中を覗いていると、背後から声をかけられた。
振り返れば、そこには紅茶色の髪と瞳の女性の姿。
どこかで見たことがあると思えば、確かイリスの侍女だ。
「こんにちは。ヘンリー様の侍従の方ですよね?」
「ええ、はい」
カフェの前で不審な行動をしているところを見られてしまったので、何となく気まずい。
見て見ぬふりをしてくれれば良いのに。
「もしかして、チョコレートケーキですか?」
核心を突く言葉に、一瞬言葉に詰まる。
「……何故」
「お嬢様が話していましたから。カロリーナ様の所に行った際に、ヘンリー様にもきっと話していますよね? ……今日は、お仕事ですか?」
「いえ、休日です」
いっそ仕事なら良かったのに。
ああ、早く立ち去ってほしい。
「奇遇ですね、私もです。では、よろしければ御一緒にいかが?」
「え?」
何を言われたのかわからず困るビクトルに、イリスの侍女はにこりと微笑んだ。
「ケーキを食べてみたいのでしょう? どんぐり型だなんて、男性にはハードルが高いですけれど、私も一緒ならば付き合わされたという形に見えますよ?」
ばれている。
恥ずかしいし情けないが、ケーキは食べたい。
チョコが濃厚。
スポンジしっとり。
やはり、諦めきれない。
「……よろしくお願いします」
ビクトルは観念して頭を下げた。









