ダリアの盲点 ダリアの結婚観 1
「残念令嬢」本編第六章の頃。
「ヘンリーの夢路」の後のお話です。
『ダリアも、モレノについてきてくれる?』
あの言葉がどれだけ嬉しかったか、イリスにはわからないだろう。
ダリアは侍女だ。
仕える主人はイリスだが、雇い主は彼女の父親であるアラーナ伯爵。
どれだけイリスのそばにいようとも、他家に嫁ぐ際には離れることになるのだろうと覚悟していた。
だが、イリスはダリアを望んでくれた。
それがどれだけ嬉しいことなのか、きっとイリスにはわからない。
今までの働きを認められただけでなく、今後もそばにいてほしいと言われたのだ。
ダリアが必要だと。
それは、ダリアにとって最高の褒め言葉だった。
「イリスについて行ってくれるのは、私としても安心だけど。それだとダリアの婚期を逃しかねないのが、困ったところだね。申し訳ないよ」
プラシド・アラーナ伯爵は、そう言ってダリアの用意した紅茶を口にする。
確かに、ダリアはいわゆる適齢期ギリギリに差し掛かってきている。
ここで嫁ぐ主人と共に他家に移動すれば、しばらくは退職するわけにもいかない。
自然と婚期は遠のいていくだろう。
「ですが、私はこのまま独身で良いと思っています」
結婚しても仕事を続けることはできるだろうが、あれこれと私生活で時間を取られるのは困る。
イリスには手がかかるのだ。
わがままだとか、一人で何もできないというのなら、逆に少し離れて自立を促しても良いのかもしれない。
だが、イリスの場合には放って置くと危険だから、見ていなければならないのだ。
残念な傷の化粧にしたって、ちょっと目を離すと腕やら首にも拡大させようとしている。
ダリアが止めなければ、残念な装いだって天井知らずで進化してしまう。
ここでダリアが妊娠でもしようものなら、イリスから離れなければならない。
その間のイリスのことが、心配で心配でならない。
ならば、イリスの子供を育てれば十分な気がする。
つまり、結婚する意味がない。
その考えを伝えると、プラシドは苦笑している。
「ダリアが良いなら、私が口を出すことじゃないけれど。でも、私はダリアにも幸せになってほしいんだ。……それに、イリスに子供が出来たら、乳母が必要だろう?」
――乳母。
その言葉に、ダリアの中で何かが煌めいた。
なんて魅力的な言葉だ。
イリスの子供に乳を与え、養育する最前線。
自分の子供を持て、イリスの子供を育て、イリスのそばにいられる。
……あれ? 最高じゃないだろうか。
「……声が漏れているよ、ダリア」
「申し訳ありません」
うっかり、イリスの第二子が歩くところまで想像してしまった。
天国のような話だったが、現実には難しい。
「ですが、肝心の夫となるべき男性がおりませんので」
「そうだね。ダリアは良い子だし、良い家に嫁いでしまったら、侍女として働くのを止められるだろう」
そんな家の男性とお近づきになることはないので心配ないが、そう考えてみると問題が浮かび上がってくる。
「となると。それなりに稼ぎつつ、侍女という職に理解があり、乳母としてお嬢様のそばにべったりでも文句を言わない男性。……いますでしょうか?」
「うーん。世の中は広いから、どこかにはいるさ。意外と近くにいるかもしれないよ?」
空になったカップに紅茶のおかわりを注ぎながら、小さく息をつく。
「だと良いのですが。そんな都合の良い人がいれば、お嬢様のおそばで役に立てますから」
「……ダリア。君の話ぶりだと結婚するというよりも、イリスの侍女と乳母を務める手段みたいに聞こえるんだが」
「そうですが」
「……そうか」
寧ろ、それ以外に結婚する理由などあるのだろうか。
だがプラシドは、何やら困った様子でカップに砂糖を入れている。
「……まあ、君が幸せならそれで良いよ。私にできることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
プラシドは娘に甘いが、使用人にも優しい。
良い職場に恵まれて、幸せだ。
「お嬢様の子の乳母。……その手がありましたか」
片付けをしながら、ダリアが呟く。
知識としてはもちろん知ってはいたが、盲点だった。
逆に言えば、このままでは誰かほかの人間が乳母として雇われるのか。
当然だし、仕方のないことだし、必要なことだ。
そうは思うものの、何だか悔しい。
可能であれば、すべてダリアが務めたいというのは、欲張りだろうか。
「とはいえ。……相当な難関ですよね」
まず第一に、モレノの屋敷でのイリスの安全を確保しなければ。
嫁いびりなどあってはならないし、信用のできる同僚を見つけて安心できなければ、とても結婚や妊娠などしている場合ではない。
次に、稼ぎがあり、侍女の職に理解があり、イリス第一でも問題のない男性を探す。
それからどうにかイリスの結婚までに結婚にこぎつけ、イリスの妊娠までに妊娠あるいは出産しておく。
……難題しかない上に、時間制限が酷い。
「こうなったら、乳母だけでも勝ち取るために、未婚の母を視野に入れても良いですね」
プラシドのことを親馬鹿だと思っていたが、こうして考えてみるとダリアも結構なイリス馬鹿なのかもしれない。
ぶつぶつと呟きながら片付けを続けていると、同僚に呼ばれた。
何でも、イリスに客らしい。
イリスはクレトと共に仕立て屋に出掛けているので留守だが、誰だろう。
ヘンリーだろうか。
だが、玄関ホールで待っていたのは、オレンジがかった茶色の髪の青年だった。









