ベロニカの努力 残念な平民女子 3
「あのワンピースの子、貴族令嬢だってミランダの店員が言っていたでしょう?」
カフェに集まった友人の一人が、そう切り出した。
「あの時に私達が見たのは、イリス・アラーナという名前の伯爵令嬢らしいの。貴族の間で残念の先駆者と呼ばれる、有名人なんだって」
残念の先駆者。
お嬢様が言っていた人物だ。
確か、残念という概念を作り上げたとかなんとか。
だが、ベロニカの中でワンピースの可憐な美少女と、お嬢様の呪いのフリルドレスがまったく結びつかない。
眉を顰めながら悩むベロニカを尻目に、友人達は残念というものに興味津々だ。
「ねえ。私達も、残念を楽しんでみましょうよ」
その言葉に、何となく楽しそうだと乗り気になった。
「でも、残念って、どうすれば良いの? 残念ラインとかいうドレスは貴族御用達でしょう? とても手が出ないわ」
それに、手に入れたところで、着る機会もない。
「その前に、残念なドレスって、どういうものなの?」
友人達はベロニカを含めて皆平民だ。
当然、華やかな夜会などに縁はなく、そういったドレスを見たこともない。
そこでベロニカをはじめとした貴族の屋敷に出入りする友人達の情報を、何とかつなぎ合わせてみた。
「……目が痛い布、多すぎて絡まるリボン、血まみれ風の柄、呪いのフリル……」
書き出した残念ドレスの情報を読み上げると、友人達の眉間には深い皺が刻まれていた
「……これ、流行っているの? 何で?」
正直な感想に皆頷きかけるが、一人が慌てて首を振った。
「待って。流行り始めって、そういうものでしょう? 貴族の中では浸透していても、平民の中では知られていない。つまり、私達が流行の最先端ってことよ」
何だか無理矢理な気もするが、流行の最先端と言われれば不思議と残念が良い物のように思えてくる。
「そうよ。それに、あの美少女が残念を取り入れているのなら、間違いないわ」
残念の先駆者と呼ばれる美少女の姿を思い出し、それもそうだと今度こそ納得した。
「それで、どうやったら適正な予算内で残念を楽しめるのか、検討しましょう」
フリルの呪い状態は、予算的に無理だ。
あれは、ただのフリルではなくて、札束だ。
平民にはとても無理な話である。
「なら、一部だけでもフリフリにするというのはどう? フリル自体も新品ではなくて、お古の布を再利用すれば良いわ」
「それならできそう。……でも、一部って。どこをフリフリにすれば良いのかしら?」
チョコレートケーキにフォークを指しながら、思案する。
「可愛いところじゃ駄目よね。残念なんだから」
「じゃあ、髪飾りや胸元は駄目ね」
「スカートがフリフリなんて、可愛いだけよね。足元も、可愛いだけだわ」
着けたくない所、フリフリしたくない所、邪魔な所。
こうして考えてみると、なかなか難しいものだ。
俯いて考えていたために前髪が顔にかかったので、フォークを持った手でそれをかき上げる。
その瞬間、きらりと閃いた。
「――そうだ。顔よ。顔についていたら、邪魔だし、おかしいし、フリフリなんてしたくないわ!」
「顔? でも、どうやってフリルをつけるの?」
「お医者様がつけているマスク。あれなら、口と鼻を覆っているから、顔のど真ん中よ。四角い布に紐をつけて耳にかけるのなら、作れそうじゃない?」
「……そうね。それに、そのくらいの大きさなら、フリルも少なくて済むわ」
水を得た魚のように、残念のヒントで皆が盛り上がる。
ああ、確かに残念って楽しいものかもしれない。
「じゃあ、十日後。各自、フリルマスクを作って集合よ!」
約束の十日後、友人達はまたカフェに集まった。
各々で作成したマスクは、古布を利用したフリルでびっしりと覆われている。
何人かは、更にビーズも縫い付けていた。
だが、古布フリルは本来のフリル素材と違って分厚い。
しかも、元の生地の色が暗い。
それをみっしりと縫い付けてあるせいで、巨大なたわしが張り付いたような有様だ。
「……やっぱり、色って大事よね」
そう呟く友人のフリルは緑色の生地だが、マスクいっぱいに青カビが発生した状態に見える。
「本当ね。でも、色が明るければ良いというものでもないわ」
その友人のフリルは白っぽい色なのだが、こんもりとした白カビに見える。
良かれと思ってつけたはずの、なけなしのレースが白カビ感を増しているのが皮肉だ。
思ったものと違う現実に、皆静かにため息をつく。
それに、何よりも暑いし、苦しい。
「これは、ちゃんとしたフリルやレースならこんなに息苦しくて重くないのかしら」
友人の言葉に、ベロニカはお嬢様のドレスを思い出す。
「いえ、重くて暑いとお嬢様も言っていたわ」
「……これが、残念の洗礼なのね。平民に残念は難しいのかしら」
儚い希望も打ち砕かれ、皆で肩を落とす。
「待って。諦めるのは早いわ。私達はまだ本当の残念に出会っていないのよ」
「どういう意味?」
「残念ドレスの本物だってほとんど見たことがないし、この状態でにわか残念を目指すから失敗したのよ。やはり、まずは本物を見ることから始めるべきだわ」
「でも、貴族の集まりなんて覗けないわよ?」
「私、この間ミランダの仕立て屋に貴族の御令嬢が入るところを見たわ。貴族は屋敷に仕立て屋を呼ぶことが多いらしいけど、残念ラインは特殊だから店に来ることが多いって」
「え? じゃあ、残念の先駆者にも会えるの?」
「あの綺麗な子に?」
「あの素敵な男性も来るかしら」
「きっと、いつか会えるわ。だからそれまでに、まずはもう少し呼吸ができるマスクを考えましょう」
その言葉に皆、真剣に頷く。
フリルを外せば良いだけだと一瞬思ったが、すぐにそんな考えは消し去る。
だって、目的は快適なマスクではない。
残念なマスクなのだ。
ふと、ベロニカの脳裏にミランダの店員が浮かぶ。
残念の先駆者について話す彼は、とても優しい瞳をしていた。
ベロニカも残念になれば、彼はあの優しい眼差しで見てくれるのだろうか。
それを想像すると、何だか胸のあたりが少し温かくなった。
この気持ちが何なのかは、彼に会ってから考えれば良い。
まずは、残念にならなければ。
それがすべての始まりなのだから。
ベロニカは残念なマスクを握りしめ、決意を新たにした。









