プラシドの理想 父の条件
本編開始前。
「ダリアの同行」「ダリアの先見」の社交界デビューよりも前のお話です。
娘のイリスは、可愛い。
親馬鹿と言われようとも、最高に可愛い。
多少変なことを言ったり、妙なことをしたりするが、それも愛嬌だ。
艶やかな黒髪に、きらきらと輝く金の瞳。
正直、世界一可愛いんじゃないか、と妻のイサベルに相談したことさえある。
「イリスは可愛いです。でも、そんなプラシド様も可愛いですよ」
そう微笑まれて、プラシド・アラーナは気付いた。
娘も妻も世界一かもしれない、と。
そうして幸せに時が流れ、美しく、それなりに優秀に育ったイリスは、プラシドの自慢の娘だった。
「はいはい。わかったわかった。うちの娘は世界一、だろう?」
パストル・ポルセル伯爵は立派な腹をさすりながら、納得したようにうなずいている。
夜会も終盤だが彼の食欲は衰えることがなく、ひたすらに果物を食べ続けていた。
「一人娘の父親は、そうなる傾向があるよ。私が知っている限りでも、世界一の美少女が五人は存在している」
「いや、本当に可愛いんだよ。もはや、歩くお人形だ」
「そうだな。人形のように可愛い娘とやらも、十人ほど存在している。……それより、もうすぐその子も社交界デビューなんだろう? うちはもうデビューして、時々夜会に行っているよ」
「……そうなんだよ」
パストルに現実を突き付けられ、プラシドはうなだれた。
社交界デビューするということは、大人の仲間入りをするということであり、伴侶を探し始めるということだ。
イリスはまだまだ子供だし、手元に置いておきたい。
嫁になんて出したくないし、婿だってまだいらない。
「そんなに落ち込むことじゃないだろう? いつかはその子も男を連れてくるぞ?」
真実は時として残酷に心を穿つ。
プラシドの目に涙が溢れそうになった。
「おいおい、今からそんなで大丈夫かい?」
「大丈夫、一応少しは覚悟している」
「少しか」
「地位はそんなに高くなくて良いから、仕事ができて、経済的にも将来に不安がなく、清潔感のある容姿で、優しくて思慮深く、頼りがいがあって、イリスのことを包み込むような愛情で接する誠実な男で」
段々とパストルの眉間に皺が寄っていくが、続ける。
「……あと、それなりの剣術か魔法を使えて、数人程度なら圧倒する武力があるなら。――仕方ないから認めるよ」
パストルは大きなため息をつくと、林檎を手にしてプラシドに突きつけた。
「そんな男いるものか。夢見る乙女みたいなことを言うんじゃないよ。大体、財力ならともかく、武力なんて必要ないだろう」
断腸の思いで言ったのに、パストルに笑われてしまった。
彼にだって娘がいるのだから、わかってくれそうなものだが。
「……そんなに心配なら、自分で婚約者を探せばどうだ」
「なるほど」
悪くない提案だ。
少なくともイリスに会わせる前に、最低限の人となりを知ることができる。
「でも、イリスの意思を無視して決めるようなことはしたくないんだよ」
「面倒臭いな。まだ、デビューすらしていないのに。……夫人は何て言っているんだい?」
「とりあえずデビューが無事に済めば良いって」
「こういう時は、女性の方が現実的だよな」
パストルは林檎を口にしながら、笑う。
だが、イサベルの言葉は少し意味が異なると知っているので、曖昧に濁す。
「何にしても、あっという間に大きくなって、手元を離れていく。寂しいものだな」
「ああ」
いつか、イリスにも好きな人ができるだろう。
その人と穏やかで幸せに過ごしてくれれば、それで良い。
何だかしんみりとしていると、パストルがとんでもないことを言い出した。
「うちの娘の友達がよく遊びに来るんだが、その度に男に振られたと泣いていてなあ。まったく、ろくでもない男もいるもんだ。俺が若い頃は、もっと紳士的に……聞いているか?」
――前言撤回。
イリスは、しばらくどこにもやらない。
夜会にも、必要最小限出るだけで良い。
いっそ、虫除けに安全な仮の婚約者を探しても良い。
そう言えば、親類のムヒカ伯爵の末息子は、イリスに懐いている。
それとなく、婿養子の話を出してみてもいいかもしれない。
互いにまだ若いから正式な話ではなく、あくまでも虫除けとして。
ムヒカ伯爵と夫人は年の離れた末息子を特にかわいがっていたから、虫除けに賛同してくれるかもしれない。
そうと決まれば、早速会いに行ってみよう。
いつか、イリスがプラシドの眼鏡にかなう男を連れてくるその時までは、プラシドがイリスを守るのだ。









