シルビオの失言 カロリーナとシーロの出会い 2
本編第一章の一年ほど前のお話です。
第一章、第二章の後に読むのをおすすめします。
「え?」
思わず自分の手と少年の胸元を見比べる。
虫を取る際に少し触れたが、そこには何の存在も感じ取れなかった。
「いや、からかってもらっては困る。いくら何でも、胸に何の気配もない女性はいないだろう」
「気配がないとは、どういうことよ。ちゃんと確認しなさいよ」
少年に手を引っ張られて胸の部分に触れるが、やはり何の凹凸も弾力も感じられない。
だが、ここまでムキになるのだから、きっと女性なのだろう。
女性だとすればこの行動はどうなのかと思ったが、恥じらいを上回る何かがそうさせているのだろう。
「……布でも巻きつけているのかい?」
シャツとズボンという恰好を女性がするのなら、乗馬でもしていたのだろう。
揺れる胸を押さえるために、布を巻いて潰しているのかもしれない。
それにしたって、何の痕跡もなかったが。
すると、少年改め長身で細身の少女は、シルビオの顔を鬼の形相で睨みつけた。
「――加工なしの天然ものよ。何の気配もなくて、悪かったわね!」
「……モレノ侯爵コンラドの長女、カロリーナよ」
黒髪に金の瞳の美女が、ドレスを着てシルビオの前に立っている。
不満が前面に出た酷い表情だったが、こうしてドレス姿を見てみれば、間違いなく女性だ。
「シルビオ・トレドだ。……さっきは、申し訳ない」
「さっき? 何のことかしら」
顔を背けるカロリーナは、女性にしては長身で痩身。
凛とした佇まいの美女だった。
何故少年に見えたのだろうと考えれば、……やはり、何の気配もない胸元のせいだろう。
ドレスに着替えた今も、結局は胸元に生命の気配をほとんど感じられない。
わざわざ触らせてまで否定したところや今の様子からしても、カロリーナにとってこの話題は禁句なのだろう。
「モレノ侯爵令嬢が、何故ナリスを出てこの国にいるんだい?」
「シルビオと同じようなものよ」
話題を変えようとするが、こちらもあまり触れてほしくなさそうだった。
シーロに媚びを売る女性達とは違って、これっぽっちも興味がない様子が新鮮だ。
「屋敷の使用人と私は、あなたの素性を知っているわ。でも、あくまでも遠縁のシルビオとして扱うから、そういうことでよろしく」
隣国での暮らしは、思っていた以上に穏やかだった。
シルビオは特にすることもないので、体を動かしたり本を読んだりして過ごす。
初日にあんな出会いをしたカロリーナとも、時々お茶を飲むくらいには関係を改善している。
何せ暇なので、カロリーナと話をするのは楽しかったし、彼女の弟ヘンリーからの手紙でナリス王国の様子を知れるのがありがたかった。
一体何で侯爵令嬢が隣国にいるのかは謎だったが、それも次第にどうでもよくなっていた。
「カロリーナ、出掛けるのかい?」
馬車の用意をしているところを見かけ、シルビオが声をかけた。
「ええ。国境付近で物資を受け取る予定なの」
「俺も一緒に行って良いかい?」
「シルビオも?」
カロリーナが眉間に皺を寄せて考えこんでいる。
身を守るために変装して隠れているのだから、安易に出掛けるのは良くないというのはわかっている。
だが、ここ数ヶ月何もないし、馬車から出なければ人目に触れることもない。
さすがに気晴らしに出掛けたいと思うのも仕方がなかった。
しばらく考え込んでいたカロリーナは、ため息をつくとうなずいた。
「ずっと屋敷じゃつまらないわよね。……ただし、馬車からは出ないでくれる?」
馬車で国境付近まで半日もかからない。
久しぶりの外出に心躍っていると、あっという間に到着してしまった。
御者二人が何かを受け取ると荷物を積み込み、一緒に確認していたカロリーナが馬車に戻ってきた。
「あとは帰るだけよ。それと、手紙が来ていたから待ってくれる?」
「弟のヘンリーからの手紙かい?」
王位継承権争いの様子を知る、唯一の手段だ。
フィデルが気になるシルビオは、この手紙を心待ちにしていると言ってよかった。
ヘンリーの手紙は、手紙と言うよりは報告書のような状態だ。
綺麗な字で整然と書かれたその手紙からは、彼の人となりが伝わってくる。
それに、本来宮廷内でも一部しか知らないような情報まで伝えてくるので、シルビオも最初は驚いた。
フィデルが王になれば、モレノ侯爵令息であるヘンリーはその直接の臣下となる。
この手紙から察するに、彼は優秀な働きをしてくれるだろう。
「待ってね。……これだわ」
動き出した馬車の中で、手紙に目を通す。
どうやら、モレノ侯爵家がフィデルについたことで、フィデル有利に傾いているらしい。
ヘンリーの見立てでは、もう少しでフィデルの勝利が確定するという。
「良かった、ようやく決着がつくみたいだ」
「そう。なら、もう少しで帰れるでしょう。良かったわね」
「ああ。……そうだね」
フィデルが次期国王に決まれば、シルビオとしてこの国にいる必要はもうない。
当然のことで、歓迎すべきことだが、何だかすっきりしない。
何故だろうと考えていると、馬車が急停止した。
体が投げ出されそうになったが、向かいに座っていたカロリーナが支えてくれたおかげで何とか堪える。
「あ、ありがとう、カロリーナ」
水たまりにでも車輪がはまったのだろうか。
シルビオが窓の方に目を向けると、立ち上がったカロリーナが椅子の肘掛を外し始めた。
「……何をしているんだい?」
「急停止して御者が理由を告げないわ。――襲撃の可能性がある」









