シーロの旅立ち カロリーナとシーロの出会い 1
本編第一章の一年ほど前のお話です。
第一章、第二章の後に読むのをおすすめします。
「俺を狙っても、仕方ないと思うんだけどな」
ため息と共に、シーロは呟いた。
シーロは国王の息子、いわゆる王子だ。
だが母親は王妃ではないので、王族とはいえ気楽に生きてきた。
弟のアベル、異母兄弟のフィデルとルシオとも仲が良く、王城の庭を駆け回って遊んだものだ。
このまま王族の端くれとして生きていくのだろうと、ぼんやりと思っていた。
それが、この数年で風向きが変わってきた。
国王と王妃の間には、子供がいない。
そうは言ってもいずれは子宝に恵まれるのだろう、と周囲は楽観視していた。
既にシーロ達が生まれていたし、王妃は若かったからだ。
だが、待てど暮らせど懐妊の知らせはなく、そのまま時が過ぎ。
王妃が病のために子を持つことが絶望的になったと知らされた。
王妃の子がいない以上、他の子が王位を継ぐことになる。
フィデル達の母とシーロの母に大きな身分の違いはなく、四人の王子は全員が王位を継ぐ可能性を与えられた。
シーロは早々にそれを辞退した。
自分が国王に相応しいとは思えなかったし、何よりフィデルがいたからだ。
フィデルは優秀だし、優しさも厳しさもある。
更に、体も鍛えていて、剣の腕前もかなりのものだ。
年長者でもあるし、フィデルが王になるのに何の障害もない。
シーロはそう思っていた。
ところが、他の兄弟はそうではなかった。
ルシオは自分こそが次期国王に相応しいと名乗りを上げ、フィデルと対立し始めた。
アベルはしばらく様子を見ていたが、ルシオに名だたる貴族がついたのを見て、ルシオ派に流れた。
フィデルとルシオで勢力を二分する形となった王位継承争いは、予想以上に長引いていた。
「父上が次期国王を指名してくれれば、話が早いんだけどな」
「諸々の面倒を収められるかどうかを見ているんだろう。正しい選択かどうかはわからないが、一理あるとは言える」
フィデルはそう言って笑うと、人払いをした。
王城の中でも、誰が味方かわからない。
こんな殺伐とした状況が良いとは思えないので、シーロはやはりさっさと指名した方が良いと思う。
「シーロ、最近おまえが狙われているだろう? あれは、ルシオと言うより背後の貴族の力が大きい。都合の良い王を玉座につけるには、俺やおまえは邪魔だからな。……こんなことで命を落とすのも馬鹿らしい。おまえは、少し国を離れた方が良いだろう」
「国を離れるって、兄上はどうするんだい?」
「俺は、この争いをできるだけ早く収めるよ。俺自身に手を出すほど、あちらも馬鹿ではないし、大丈夫だ」
確かに、ここでフィデルに何かあれば真っ先に疑われるのは、ルシオとその背後の貴族だ。
『資質を争うものであり、生命に害を与えてはいけない』と最初に告げられている以上、フィデルを害せば自身の首を絞めることになる。
だが、シーロは辞退しているために、その範囲からは外されている。
シーロの身に何かあっても、あくまでも偶然だ事故だと言い張るだろう。
「コンラド・モレノ侯爵が協力してくれる。シーロはしばらく留学中ということにする」
フィデルの言葉に、シーロは息を呑んだ。
「――モレノ侯爵家が、こっちについたのか」
「ああ」
フィデルはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
モレノ侯爵家は、表向きはただの侯爵家。
だが、実際には王家直属の諜報機関であり、その影響力は計り知れない。
モレノがフィデルに協力するということは、次期国王にフィデルを推すということだ。
これは、かなり有力な後押しとなる。
フィデルが言うように、早期解決することも難しくはないのかもしれない。
「……わかったよ、行ってくる」
シーロはうなずくと、暫しの別れとなる兄と固く握手をした。
モレノの手配で隣国に出るにあたり、シーロは髪の色を魔法で黒く染めた。
赤い髪に緑の瞳というのは、かなり目立つからだ。
それから名前を変え、王子ではなく遠縁の親族という設定で扱うという。
言葉遣いも態度もそれに合わせるので、シーロも気を付けるようにと言い渡された。
黒髪に緑の瞳のシルビオ・トレドは、そうして隣国にあるモレノ侯爵家の屋敷にやって来た。
馬車を降りると、御者はそのまま馬を繋ぎに行ってしまった。
玄関はわかったし、王子のシーロでない以上は仕方ないとはいえ、想像以上に設定通りの扱いだ。
感心しながら扉に手をかけようとすると、勢いよく扉が開いた。
「――あら? 誰?」
中から姿を現したのは、細身の少年だった。
黒髪を一つに束ね、金色の瞳をした美少年だ。
シャツにズボンという軽装だが、生地は上質だし、何となく品がある。
コンラドには息子がいたはずだから、彼がそうなのかもしれない。
「俺は、シルビオ・トレド」
「ああ」
少年はうなずくと、屋敷の中に手招きをする。
どうやら事情は知っているらしいと安心すると、後をついて歩く。
「ここがあなたの部屋。荷物は運んでくれるだろうから、待っていて」
案内されたのは、ベッドと机と椅子があるだけの簡素な部屋だ。
王城の自室とは雲泥の差だが、特に不満はない。
まるで秘密基地のようで、面白そうだった。
「それじゃ」
「ありがとう。……あ、シャツに虫がついて――」
「きゃあ!」
言い終わるより前に、少年は悲鳴を上げた。
胸元についている緑色の芋虫を確認するが、それ以上何もせずに硬直している。
「苦手、なのか? 取ろうか?」
シルビオが提案すると、ぎこちなくうなずく。
胸元の虫をつまんで窓の外に放り投げると、背後から深いため息が聞こえた。
「もう大丈夫だよ。それにしても、女の子みたいな声を出すなあ」
シルビオがからかうように言うと、少年は思いきり顔を顰めた。
「……女ですけど」









