ダリアの先見 イリス&ヘンリーの社交界デビュー 2
「……暇、ですね」
ダリアは思わず呟く。
令嬢達は、国王に謁見をする。
謁見の間に入れるのは一人ずつらしい。
まとめて済ませば効率が良いのに、何故わざわざ個別にしないといけないのだろう。
貴族というものは、無意味な形式にとらわれ過ぎだと思う。
おかげで、控え室は時間を持て余した令嬢と付き添いが、話に花を咲かせていた。
「――わたくしは、舞踏会会場を横切る時に、運良く」
「私は、馬車を降りるところで、偶然お見かけしました」
何やら、一際盛り上がっている御令嬢達がいる。
聞くつもりはないが、話に夢中で声量が増しているために、聞かざるを得ない。
「あれが、噂のモレノ侯爵の御令息なのですね」
「既に、侯爵と一緒に夜会にも顔を出しているそうですわ」
「お顔立ちも整っていて、物腰も穏やかで、将来有望となれば、気になりますわよね」
「わたくし、目が合ったかもしれませんわ」
「まあ、抜け駆けですよ」
歓声を上げつつ楽しそうに話している。
身分や年齢は違えど、女の子というものは恋の話が好きなようだ。
「……その割に、お嬢様はそういう話をなさらないのですよね」
そもそも男性とろくに接していないというのは、確かにある。
だが、もう少し興味を持っても良いのではないだろうか。
イリスはどう見ても抜群の美少女なのだから、引く手あまたになるのは目に見えている。
それこそプラシドではないが、ダリアが見る限り会場で一番可愛いと言っても過言ではないはずだ。
それが色恋はさっぱりというのだから、心配になる。
「どうか、チャラついた男に引っかかりませんように」
ダリアはそっと神に祈った。
「お嬢様、思ったよりも早かったのですね」
今までの様子からして、もっと時間がかかるかと思っていたが、イリスとイサベルは早々に控え室に戻ってきた。
「私で最後だったみたい。陛下の体調が優れないから、早めに切り上げられたの」
「そうだったのですか。お疲れさまでした」
「私、頭を下げていたから陛下の顔も見ていないのよ」
腰に手を当てて不満そうなイリスの頭を、イサベルが優しく撫でる。
「謁見自体はもう済みましたから、良いではありませんか」
そう言うイサベルの顔色は、だいぶ良くなっている。
やはり、伯爵夫人と言えど、国王に謁見となれば緊張するのだろう。
令嬢全員が謁見を済ませたので、これから舞踏会が始まる。
楽し気な令嬢達に混じって、ダリア達も会場へと移動した。
『紫の舞踏会』と呼ばれるだけあって、参加する令嬢は頭のてっぺんからつま先まで紫色だ。
だが、令息の方には服装に決まりはなく、胸に紫色の花を飾るだけらしい。
どうせなら男女共に、全身紫色にすれば良いのに。
本当に、貴族というものはよくわからないことをする生き物だ。
男性はこの舞踏会の前にも、父親に連れられて各所で顔を知られている者も多い。
さっき話題になっていた侯爵令息も、それで騒がれているのだろう。
男女の差こそあれ、顔立ちが整っていればああして噂になるということだ。
イリスが注目されるのも時間の問題だろう。
国王は不在のままだったが、王子が姿を見せ、舞踏会が始まった。
ここで令嬢達は淑女として初めて、社交の場に第一歩を踏み出すのだ。
「……お嬢様は、踏み出せませんね」
ダリアはため息をついた。
別に、イリスが恥ずかしがって動けないということではない。
イリスの姿を見かけた男性がどんどんと周囲に集まった結果、身動きが取れなくなっているのだ。
美しいだの何だのと男性達は色々言っているが、イリスにはさっぱり伝わっていない。
ムヒカ伯爵令息とバルレート公爵令息くらいとしか、まともに話していない弊害だ。
彼らは故意か偶然か、イリスに甘い言葉をかけることが多い。
それに慣れ切っているイリスからすれば、多少の好意を伝えたところで挨拶程度の認識でしかない。
チャラついた男の言葉にあっさりと靡かれるのは困る。
だが、何を言われても気付かないというのも、どうなのだろう。
今更ながら、イリスの行く末が心配になってきた。
再びため息をついて周囲を見渡すと、踊る人々の向こうに令嬢の塊がある。
イリスの逆の状態で、令嬢が群がっているのだろう。
噂の侯爵令息かもしれないし、他の誰かかもしれない。
何にしても、人は均等に散らずに、特定の人に寄っていく習性があるようだ。
砂糖に群がる蟻のようだな、とダリアは思った。
「陛下がお見えになるらしいぞ」
誰かがそう言うので見てみれば、確かに王族席がざわついている。
「お母様、大丈夫ですか?」
イリスの声に視線を戻せば、ふらつくイサベルを支えていた。
慌ててダリアが駆け寄ると、明らかに顔色が悪くなっている。
「邪魔です。どいてください」
イリスは周囲にいた男性達を身もふたもない言葉で追い払うと、手袋を外す。
イサベルの額に手を当てると、眉を顰めた。
「少し熱があります。帰りましょう、お母様」
「でも、イリスの社交界デビューの舞踏会が始まったところなのに」
「謁見は終わったから、あとは自由ですよね。舞踏会なんて、これからいつでも行けますから、良いんです。お父様にも、お母様が無理をしないように頼まれていますから」
そう言ってダリアに手袋を渡すとイサベルを支えて歩き出そうとするが、非力なイリスでは支えられずに二人でふらついている。
「すぐに馬車の手配を致します。お二人はここに座って、動かないでお待ちください」
手近な椅子に二人を座らせると、ダリアは走った。
本来ならこんなはしたない行動をするべきではなかったが、イサベルの体調が心配だし、イリスの行動も心配なので仕方がない。
だが、慌てていたせいか、馬車の手配を終えて戻る途中で盛大に転んでしまった。
すぐに立ち上がり、スカートを手で払うと、目の前に紫色の手袋が差し出された。
「これ、落ちましたよ」
茶色の髪の美少年はそう言ってイリスの手袋をダリアの手に乗せる。
紫色の花を胸につけているから、今日社交界デビューしたご令息だろう。
整った顔立ちに紫色の瞳が印象的だった。
「ありがとうございます」
ダリアが頭を下げると、「どういたしまして」と一言返して、すぐに少年は立ち去った。
見れば、紫色の手袋は綺麗にたたまれている。
転んだ拍子に飛んだはずなので、彼がわざわざたたんでくれたのだろう。
貴族のご令息だろうに、随分と丁寧な対応である。
「……お嬢様もどうせ引っかけるなら、ああいう誠実そうな男性にしてほしいものです」
ダリアはポケットに手袋を押し込むと、イリスとイサベルの元に急いだ。
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「――え? 目立っていたの? もう残念だったの?」
「お嬢様は紫色のドレスが大層お似合いで。旦那様は嫁にやらんと泣いておりました」
「そう言えば、そんなこともあったわね。……それで、目立っていたの? ねえ」
イリスの質問に笑顔を返していると、さすがに何かを悟ったらしく、しゅんとうなだれた。
「いいなあ、見たかったです。ヘンリーさんも同じ舞踏会に参加したんですよね?」
「ああ。でも、たぶんイリスには会っていない。そんなに目立つ令嬢を見た覚えはないからな」
ヘンリーの言葉を聞くと、イリスが水を得た魚のように目を輝かせた。
「ほ、ほらダリア。目立っていないって。ヘンリーが知らないんだから、大丈夫よきっと」
必死のイリスを見て微笑むヘンリーの瞳は、紫色だ。
ダリアはふと、手袋を拾ってくれた少年の色彩を思い出した。
あれは、もしかすると。
もしかして――。
「……そうですね。私には先見の明があるのかもしれません」
「何の話?」
首を傾げるイリスに、ダリアは笑顔を返した。
「もう少しで出会ったという、残念なお話です」









