『主』
城へと戻り、夕食の準備はしましたがヒナ様はほとんど手を付けませんでした。ヒナ様は私が見守る中、ベッドに横たわるとすぐに眠りにつきました。疲れもあるでしょうが、心労もたまっているのでしょう。
せめて寝ている時くらい、体をやしっかりと休めて頂きたい。
その為に、賊共を即刻排除しなければなりません。昨晩に続き、今度の相手もたいした腕前のようです。城内に侵入を許したのは初めての事です。
気配は二つ。一つは二階へ。もう一つは私の元へと近づいてきています。
部屋の扉をそっと開け、廊下を注視しますが気配はあれど、侵入者の姿を確認することができません。
私の戸惑いを他所に、気配はだんだんと近づいてくる。音を立てぬよう扉を閉め、天井の割れ目から身を乗り出すと、顔を覆面で隠した賊が驚きの声を上げました。
覆面から覗く二つの眼差しをめがけ剣を一刺しすると、賊は対抗する暇もなく絶命しました。足で押した亡骸は、崖下へと転がり落ちていく。
残すは一人。気配は二階の主の部屋へと迫っています。主が賊程度に負けるとは思えませんが、すぐに向かわなければ。
、
「レッカ?」
天井の割れ目から部屋へと戻った私をヒナ様が呼び止めました。ベッドから上半身だけを起こしたヒナ様の視線が、私の顔から私の手にした剣へ動いていくと、息をのむ声が聞こえました。赤黒く染まった剣を見てしまえば、仕方のないことでしょう。
「どうしたの、それ」
「侵入者です。数は全部で二つ。ここで一人しとめました。残る一人は主の部屋へと向かっているようです」
「僕も行く」
断ったところで、黙ってついてくる可能性がありますし、それに今は一分一秒がおしい。
「私から絶対に離れないでください」
賊は一部屋一部屋を丹念に調べているようです。足音を殺し、音もなく扉を開くその技術。油断はできません。
「そこまでです」
私の声に賊はドアノブから手を離し、飛びのくと懐に手を伸ばし、短剣を投げ放ちました。その軌道を予想するのは容易。避けることにも問題は……ありました。
やはりヒナ様を連れてきてしまったのは浅慮でした。ヒナ様が狙われる。それは想定内です。投げつけられた短剣をたたき落とすことにも問題はない。
想定外だったのは私の心の在り方。叩き落とした短剣が、万一ヒナ様にあたってしまったら、そもそも叩き落すことが出来なかったら、その光景が頭を過った瞬間、私の手が止まってしまいました。
ヒナ様を傷つけてしまうかもしれない、という恐怖が叩き落すという選択肢を消していく。
仕方がありません。今は、私が盾となる。それが最善の選択肢です。
「失礼いたします」
私の体で覆い隠せるほどの小さな体を抱きしめる。こうすれば、賊の短剣がヒナ様にあたることはありませんから。
背中に衝撃が走り、遅れること一拍、再び衝撃がありました。
わずかではありますが、声をあげてしまいました。
「レッカ!」
にやにやと笑う、その目つき。目元以外を覆った布の上からでも、いやらしい笑みを浮かべているのが容易に想像できます。崩れ落ちそうな私を見ながら、何の警戒もなく近寄る賊。
その勝ち誇った顔、不愉快です。
振り返ると同時に振り抜いた左足。足に伝わる衝撃と廊下に響く破裂音。壁面にたたきつけられた賊の頭に私の足がめりこんでいました。これでも加減はしたつもりですよ。城内をあまり汚されてはかないませんから。
「ヒナ様、お怪我はありませんか」
「僕の事よりも、レッカは背中を刺されているんだから、じっとしていて」
ヒナ様は、不意に私の服をめくると、背中へ手を伸ばし傷口を確認しています。黙ったままですが、じっと傷口を眺めていました。
「どうかしましたか」
ヒナ様は無言のままでしたが、顔色が優れないように見えます。傷口があまりにも酷かったのでしょうか
「ヒナ様、私なら大丈夫です。この程度であれば自然に治りますから」
「……短剣、抜くね」
ヒナ様は傷口から短剣を引き抜き、私に見せぬよう背中に隠しました。
「ご心配ありがとうございます。あと小一時間も経てば、傷口は治るかと」
「治るって、いつもそうなの」
「主に随分と鍛えられましたから。普段、傷を負うことはありませんが、主が鍛えてくれたおかげで、傷のことで気に病んだことはありません」
すぐに良くなりますよと、付け加えましたが、ヒナ様の暗い顔が晴れることがありません。何かを口にしようか、迷っているようです。一体どうしたことでしょうか。
「ねえレッカ、いきなりだけど一つお願いをしてもいいかな。この城の、君の主に会わせて欲しい」
随分と、急な話でございます。今日にいたるまで、ヒナ様には何度か主との面会についてご相談してきましたが、いずれも何かと理由をつけて断られていました。それなのに、今日になって自分から面会を申し込むとは、どういった心境の変化でしょうか
「今日は、いや今日も、レッカには命を守ってもらったんだ。お礼を言う位は良いよね」
何やら必死のご様子。あまり目にしたことのない真剣な眼差しに、動揺してしまいました。主の部屋は目と鼻の先ですが。
「わかりました。今日は夜も更けたことですし、明日にでも主に伺ってみます」
「その時はレッカと一緒に行きたい。何をするにも主の許しが必要なんだよね。もしかしたら怒られるかもしれないけど、レッカに迷惑がかからないようにする。もしものことがあれば、僕は城から出て行くよ」
城から出ていく。ヒナ様の言葉に、何故か私の胸が締め付けられるように苦しくなる。ヒナ様はそれだけ言うと、部屋に戻っていきました。ちらりと見た主の部屋の扉が開く気配はありません。物音にも動じないその剛胆さは感嘆しますが、もう少し周りのことを、いえ私のことを気かけてはもらえないでしょうか。
ヒナ様と出会ってからの私は、少し変なのです。そのことを相談できるのは主。あなたしか居ないというのに。
翌朝、主の部屋の前まで来ましたが、依然として気がかりなのはヒナ様の様子です。食事を召し上がっているときも、そして今もヒナ様の顔が強ばっています。
「大丈夫ですよ、ヒナ様。主は変わり者ですが、とても優しい方ですから」
お客様がいらっしゃれば、さすがの主も会話ぐらいはしてくれるでしょう。私自身、主の声を聞くのも久々でございます。こんな状況でありながら、少し胸が高まってきました。
「お客様をお連れしました」
相変わらず、主からの返事はありません。私にしてみれば、いつもの事であると、諦めることもできますが、今日はヒナ様もいらっしゃいます。いつまでもお客様であるヒナ様に態度をとろうものなら、人格を疑わざるを得ません。
「失礼します」
扉を開け、主人が横たわっているベッドの前に立ちます。
「お客様がいらっしゃいました」
まったく、返事の一つでもしてくれてもいいのに。なぜ、そこまで強情なのでしょうか。どうしたものかと考えているうちに、ヒナ様が主人の部屋へ入ってきました。
ヒナ様は部屋をきょろきょろと見渡しながら、私の傍で立ち止まりました。主の姿を捕らえた視線が、ベッドから動こうとしません。
仕方ありません。少々、強引ではありますが、主を起こすとしましょう。ベッドに近づき伸ばそうとした手を、ヒナ様が急につかみました。その手は、何故か震えています。
「ヒナ様?」
ヒナ様は、主をじっと見つめた後、ようやく口を開きました。
「死んでる」
震えた声で、そうおっしゃいました。